November 11th


「やっと、終わった…」

ふう、と吐き出した息が、今しがた作成を終えた資料をはらりと揺らす。 少し乱れてしまった紙の束をトントンとまとめ直し、よいしょと立ち上がった。 事務仕事で凝り固まった首と肩を軽く回しながら、時計にちらりと視線を向ける。

「( もうこんな時間か… ハァ、何でこんな事に… )」

勤務時間をとっくに超えた時刻に、心の中で愚痴をこぼす。 事の始まりは数時間前。 悪魔教会で働いていた私を訪ねてきた、ある人物。 全ては彼の登場から始まったのだ。






「忙しいところ本当にすまない…!この資料の作成をお願いできないだろうか!?」

悪魔教会の扉を勢いよく開けて、泣きついてきたのは我らがトップの魔王様。 手には数枚の紙が握られている。 どうやら資料作成に苦戦しているようだった。

「改も今は手が離せなくてな、我輩も他にやる事が山積みで、どうしても手が離せないのだ…!すまん、あくましゅうどうし!!頼れるのはお前だけなのだ!」

『この通りだ…!』と必死に頭を下げてお願いする魔王様を断れるほど、私も鬼ではない。 それに頼れるのは私だけだなんて、そんなことを言われてしまっては協力するしかないじゃないか。

「魔王様、顔をあげてください…!私でよければ、いくらでもお手伝いしますから…!」
「ほ、本当か!あくましゅうどうし…!」

パアッと笑顔になる魔王様につられて、私も自然と笑みがこぼれる。 本当に、憎めないお方だ。 小さい頃から側で成長を見守ってきた私にとって、こんなお願い大したことではない。 見たところそれほど大変な作業でも無さそうだし、早いところ終わらせてしまえば問題ないだろう。

「なまえちゃん。 申し訳ないけど…少しの間、教会を任せてもいいかな…?」
「はい!こちらのことはお気になさらず!タソガレくんを手伝ってあげてください!」
「ありがとう…!それじゃあ、行ってくるよ」

快く送り出してくれるなまえちゃんに『すぐ戻るから』と伝えて教会を出る。 そこから執務室までの道中、ずっと申し訳なさそうにしている魔王様が横目に入ったが、

「( たかが資料作成のひとつやふたつ… なんて事ないのになあ… )」

なんて、呑気にそんな事を思っていた。
……ヤツらが、来るまでは!!!






「ジジイ!わりぃ!この報告書もまとめといてくんねぇ?」
「えっ?」

「あくましゅうどうしさん、魔王城修繕費用の報告書作成もお願いしてよろしいかしら?」
「はっ!?」

「ボスがまた、新しい開発始めちゃって!この費用領収書もまとめてくれないかしら?ごめんなさいねぇ〜!」
「ちょ、ちょっと…っ!」

「姫が盗んだアイテムの今月分のリストだってよ。 この資料の作成も頼むぜ」
「こ、困るよ!!私にも仕事、が…」

バタン。 扉の閉まる音が虚しく響く。
怒涛のように執務室に現れたのは、上から、ポセイドンくん、アルラウネ、シザーマジシャン、かえんどくりゅう。 魔王様からのお願いを受けて、執務室での作業を開始した直後。 彼らは一方的に仕事を押し付けて、嵐のように去っていった。 机の上にはどっさりと山積みになった資料の数々。

「………」

目の前の資料の山を呆然と見つめる。 途方に暮れた私の脳内に浮かぶのは、優しい微笑みを浮かべるなまえちゃんの姿。 そうだ…!つい先程までなまえちゃんとふたり仲良く、教会で仕事をしていたというのに…!!

「どうしてこうなったんだ…っ!って、ちょ、うわあっ!」

ガバッと頭を抱えた拍子に机が揺れて、資料の山が崩れ落ちる。 大量の紙がバサバサと床に散乱したのを見て、情けなくも泣きたくなった。






「( 全くもう。 皆、人使いが荒すぎるよ… 年長者を労ることを知らないんだから… )」

無事に作成し終えた資料を眺めながら、心の中でぐちぐちと文句を垂れる。 しかしその一方で、頼りにされることを嬉しく思う自分がいるのも事実。 事実なのだが…!

「( なまえちゃんはもう、仕事を終えて、部屋に帰っているだろうな… )」

ここにはいない愛しい恋人に想いを馳せる。 私にとって悪魔教会での仕事は、彼女と過ごせる貴重な時間。 その時間を奪われたことにだけは、ほんの少しだけ憤りを感じていた。 …嫌味のひとつくらいは言ってもバチは当たらないだろう。 そんなことを考えていた、その時。

コンコン。
執務室に鳴り響く、ノックの音。

「( 誰だろう… 魔王様?それともポセイドンくん?)」

きっと私に仕事を押し付けた彼らの内の誰かが、資料の回収に来たのだろう、と少しやさぐれた気持ちで扉へと近づく。 やっぱり嫌味のひとつでも言わないと気が済まない。 私は扉を開けながら、口を開いた。

「やっと回収に来たのかい?勝手に仕事を押し付けておいて、良いご身分だね」
「っ…ふっ、ふふっ、」
「へ?」

扉の先の相手を見ずに口を開いた私。 チクチクとお小言のように文句を垂れたあとに聞こえてきた声は、想像していたどの声にも当てはまらない、とても可愛らしいもので…思わず間抜けな声が出てしまった。 そして少し間を置いて。 改めて冷静になったところで、ハッとする。
い、今の声って……!!!!

「ふふっ、お仕事お疲れ様。 レオ君」
「っ、なまえちゃん!?」
「あははっ、誰かと勘違いしちゃった?」

目の前でくすくすと笑っているのは、間違いなくなまえちゃんで。 先程の自分の発言が恥ずかしくて、カァッと顔が熱くなる。 あ、穴があったら入りたい…!!

「ご、ごめんっ、なまえちゃん!今のは…!」
「ふふっ、わかってますよ。 タソガレくん達が来たと思ったんでしょう?」
「うっ…、お恥ずかしながら…」

余程、私のお小言がツボに入ったのか、今だに笑い続ける彼女に何だか居た堪れなくなってくる。 何とか話題を変えようと、私は先程から浮かんでいる疑問を投げ掛けた。

「そ、それにしても、どうしてなまえちゃんがここに…?」
「そうでした…!そのことなんですけど……」
「?」
「レオ君、ごめんなさいっ!!」
「えっ!?」

突然、頭を下げるなまえちゃん。 彼女に謝罪される心当たりなど全く無い私は、驚きの声を上げてしまう。

「ちょ、ちょっと…!いきなり、どうしたの!?」
「まさかレオ君がこんなことになってるなんて、私、全然知らなくて…」

話が全く見えてこない。 彼女は何故こんなにも申し訳なさそうにしているのか…?とにかく一度、しっかり話を聞かないと…!

「なまえちゃん、一旦落ち着いて?」
「ご、ごめんなさい!私ったら勝手に暴走して…!全て、説明します。 とりあえず、このまま私の部屋に来てくれませんか…?」
「う、うん…わかった」

よく分からない展開だが何やら訳がありそうだし、ここは彼女の言う通りにした方が良さそうだ。 そうして私たちは、執務室からなまえちゃんの部屋へと移動することになった。






「あの、レオ君…私が良いって言うまで、目を瞑っててくれませんか?」
「え?」
「すみませんっ、あとでちゃんと説明しますから…!お願いします…!」

なまえちゃんの部屋の前に辿り着いたところで、唐突にお願いされる。 事情はまだよく分からないが、真剣な表情の彼女に、私は深く頷いた。

「わかった。 目を瞑っていればいいんだね?」
「はい!ありがとうございます…!」

彼女の指示に従い、目を瞑る。 『見えてませんよね…?』と何度も確認するなまえちゃんが何だか少し可笑しくて、くすりと笑いが込み上げる。 正直に『見えてないよ』と答えると、柔らかいなまえちゃんの手が私の両手を掬い上げた。

「手を握っているので、そのまま前に進んでください」
「う、うん…」

手を引かれながら前に進むと、部屋の中に入ったからか、ふわっと暖かい空気が体を包み込む。 それに、何だか食欲をそそる良い香りがするような…そのまま、しばらく奥へと進んでいくと、ぴたりとなまえちゃんの動きが止まった。

「…お待たせしました!目を開けてくださいっ!」
「……っ、!?」

彼女の声にゆっくりと目を開けると、そこには…
美味しそうな料理が、テーブルいっぱいに広がっていた。

「なまえちゃん…こ、これは、一体?」
「ふふっ、お誕生日、おめでとう!レオ君!」
「え…?」

思いがけない言葉に、料理を見つめていた視線をパッとなまえちゃんの方へと向ける。 なまえちゃんはにっこりと心底嬉しそうに笑っていた。 …ちょ、ちょっと待って。 頭が追いつかない…!そんな私の反応になまえちゃんは不安そうな表情で、口を開く。

「あ、あれ? 今日はレオ君の誕生日、ですよね…?」
「それは、そう、なんだけど…記録があやふやだから、とりあえずそうしてるだけであって、その…」

『誕生日、ですよね…?』
そう問われて、私はバツが悪くなった。 11月11日。 言われてみれば、確かに今日は私の誕生日だ。 だがそれは、名目上の、である。 確かな出生記録が無く、今となっては本当の誕生日を知る術は無い。 何百年と生きている私にとって誕生日を祝う習慣なんて、とっくの昔に忘れ去っていたものなのだ。 現に、今日が自分の誕生日だなんて思い出す事も無かった。 そんな私に祝ってもらう価値なんて…

「それでも、私はお祝いしたいんです!」
「っ、!」

彼女の力強い声に、俯いていた顔をパッと上げる。 私の視線の先には真っ直ぐにこちらを見つめる大きな瞳。 その瞳には、私だけが、映っている。

「レオ君が生まれていなかったら、私たち、出会えてなかったでしょう?」
「…うん、」

ギュッと私の両手を握る、柔らかくて暖かい、優しい手。 とてつもない安心感が、私を包み込んだ。

「正直、誕生日がいつかなんて、どうでもいいんです!…レオ君が生まれてきてくれたことが、私にとって1番大切なことなんですから!」
「なまえちゃん…」
「11月11日は、レオ君が生まれてきてくれたことを祝う日!それでいいじゃないですか!」

『料理、冷めちゃうから早く食べましょう!』そう言って、私をテーブルへと急かすなまえちゃん。 明るい声に、こちらまで沢山元気を分けて貰える。 …本当に、なまえちゃんには、敵わないな。






「うん、これも、これも!全部美味しい…!」
「ふふっ、そんなに美味しそうに食べて貰えたら、私はそれだけでお腹いっぱいになっちゃいそうです」

テーブルに向かい合わせに座りながら、食事を楽しむ私となまえちゃん。 私がパクパクと食事を進めるのが嬉しいのか、ニコニコと笑顔をこちらに向けてくれるのが、とんでもなく可愛い。 そんな可愛い彼女の手料理に舌鼓を打ちつつ、気分の良くなった私はワイングラスをぐいっと傾ける。 私のグラスが空になったことに気づいたなまえちゃんは、サッとボトルを持ち『おかわり、どうぞ!』とまた新たにワインを注いでくれた。
な、なんだ、この幸せな時間は…っ!!至れり尽くせりで、新婚夫婦みたいじゃないか…ッ!!なんて、馬鹿みたいな妄想を繰り広げる自分に、何だか少しこそばゆくなっくる。 私は気を紛らわすように、ここに来たときから考えていた疑問を彼女へ問いかけた。

「そ、そういえば、こんなに沢山の料理、いつの間に用意したんだい?」
「!そ、そうだった…!すみません、説明が遅れて…っ!実は…」

彼女の話によると…
私の誕生日を祝う準備をする為に、城の皆に協力をお願いしていたらしい。 その中でも十傑衆には、私の足止めをお願いしていたそうなのだが…

「まさかあんなに沢山の仕事をレオ君に押し付けているなんて思いもしなくて…!せっかくの誕生日なのに、本当にごめんなさい…」
「そんなのなまえちゃんは、ちっとも悪くないじゃないか。 それに、こんなに素敵な誕生日になったんだから皆には感謝しないとね」
「っ〜〜!!もうっ、お人好しすぎますっ!!でもそんなレオ君も好き!!大好き!!」
「っ、うわぁっ!ちょ、なまえちゃん…っ」

ガバッと私に抱きつく彼女の背中に腕を回して、何とか支える。 机の上の料理が無事なのを確認して、ホッとひと安心。 …せっかくのなまえちゃんの手料理を台無しになんてしたくないじゃないか!!

「ね、レオ君…」
「?なんだい?」
「来年も、再来年も、ずっとずっと。 …一緒にお祝いしようね」
「…うん、そうだね」

コツンと額をくっつけ合う。 本当に私は、幸せ者だ。 つくづく、そう思う。 愛おしくて仕方ない気持ちを込めるように、ギュッとなまえちゃんを抱きしめる。 『痛いよ、レオ君』なんて笑いながら言う彼女の声は、とても優しくて穏やかで… 私は、生まれてきて良かった、彼女と出会えて良かった、と。 心の底から、そう思うのだった。



Happy Birthday !
// 2021.11.11


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