CHAPTER 04 /
18「や、柔らかくて、良い匂い…」


「魔王軍の一員たるもの、本来なら敵を驚かせ恐怖に陥れることなど造作もないはず…だがしかし!!近頃の魔王城内の気の緩み様ときたら…さすがの我輩も看過出来ないところまで来てしまっている…!!」

僅かな明かりだけがぼんやりと揺れる薄暗い広間に、魔王様の神妙な声が響きわたる。 周りを見渡せば所狭しと魔物たちが集まっていて、静かに魔王様の言葉に耳を傾けていた。

「よって本日は、数多ある恐ろしいホラー映画作品の中から選び抜いた名作を鑑賞し、恐怖とは何たるかを学んでほしい…これより、魔王城魔物研修会を開催する!!」
「「「うおおおおお!!!!!」」」

魔王様の宣言に、魔物たちが一斉に雄叫びを上げる。 野太い声が広間を揺らし思わず耳を塞ぎたくなるが、十傑集のひとりである私がそんなみっともない姿を見せる訳にもいかず…何でもないように胸を張り、何とか体裁を保った。
『魔王城魔物研修会』などと銘打ってはいるが、詰まるところ…ただの映画鑑賞会、である。 開催理由をそれっぽく述べてはいるが、その実は『皆で映画を見よう』という魔物らしからぬ平和な理由であることに、誰も突っ込まない。 いや、突っ込んではいけないのである。
新年会以来の魔物総出の大きなイベントに、皆が盛り上がるのも頷けるが、そんなことよりも…私にはとても気掛かりなことがひとつ。
今日の研修会は自由席だったので、なまえちゃんと隣同士で座ることになったのだが…

「あ、あの、なまえちゃん?…大丈夫かい?」
「……は、い…だっ、大丈夫ですっ」

私の言葉に大丈夫だと返事をするけれど、その声は上擦り震えている。 爪が食い込むほど強く拳を握りしめながら俯く彼女のあまりに弱々しい姿に、ズキッと胸が痛んだ。

「(まさかなまえちゃんがホラーが苦手だとは思わなかったな…)無理して参加しなくてもいいんだよ?…部屋に戻るかい?」
「えっ?…で、でも、研修会だし、ちゃんと参加しないと…っ」
「そんなの名ばかりだから、気にしなくてもいいよ…!まだ映画も始まっていないし、退出するなら今の内だけど…どうする?」
「ど、どうしよう…」
「私も一緒に付いて行ってあげたいんだけど…さすがに幹部の私が参加しないというのは周りに示しがつかないからね…ごめんよ」
「そっ、そんな…!レオ君は全く悪くないんですから…!謝らないでくださいっ」

余程怖いのか、うーんと真剣に部屋に戻ろうかと悩むなまえちゃんの姿に、またもやズキっと心が痛む。 この研修会の開催を決めた先日の会議に時間を戻せるのなら…魔王様がこのイベントを思いついたその瞬間、即却下するのに…!!などと過ぎた事を後悔するが、そんなことをしていても現実は変わらない。 目の前で不安そうに瞳を揺らしている彼女をどうすれば安心させてあげられるのか…そのことだけを考えなければ…!!私は必死に思考を巡らす。

「(研修会をサボることになるから、部屋に戻るのは出来るだけ避けたいようだし…本当に、何が研修会だ!こんなことになるならせめて名前だけでも映画鑑賞会にしておくべきだった…!それならなまえちゃんも気兼ねなく参加せずに済んだものを…)」
「あ、あの…レオ君…」
「えっ?あっ、ご、ごめん!どうしたんだい?なまえちゃ、ん…っ!?」

ひとり頭の中でごちゃごちゃと文句を垂れていると、なまえちゃんに呼び掛けられる。 パッと隣の彼女を見れば、少し潤んだ瞳でこちらを見上げていて、そのあまりの可愛さに思わずウッとたじろいでしまった。

「や、やっぱり、ここにいます…っ、部屋にひとりになるのは怖くて…レオ君がそばにいてくれるだけで、安心できるし…」
「っ、そっ、そうかい?私なんかで良ければ、映画が終わるまでずっと隣にいるからね…!」
「…ありがと、レオ君」
「こっ、このくらい、お安い御用だよ…っ!」

怖いだろうに、ニコッと力無く微笑むなまえちゃんに『ズキュン』まさにそんな効果音がつくような衝撃が私の心臓へと走る。 …どうしてこんなに可愛いんだ、この子は…っ!!!思わず叫びたくなる衝動をグッと抑えて、何とか笑顔を取り繕った。 きっとぎこちないであろう私の笑顔でも少しは安心材料になったのか、ホッと息を吐き出すなまえちゃんに私はハッとする。 …そうだ、今日は彼女を少しでも安心させてあげないと…!!彼女の魅力に翻弄されている場合ではない!!しっかりしなければ…っ!そう心の中で気を引き締めた、その時。 パッと広間の明かりが消され、暗闇が辺りを包んだ。

「ひっ…っ、!…れ、レオくんっ、」
「大丈夫だよ…!なまえちゃん、ちゃんとそばにいるから、…って、あ、あの、なまえちゃん?」

突然真っ暗になった視界に驚き怖がるなまえちゃんを安心させたくて、出来る限り優しい声で囁く。 すると彼女はそっとこちらに手を伸ばして、遠慮がちに私の腕をキュッと掴んできた。 確かに暗くて周りにはあまり見えないけれど…!大勢の魔物がいるこの状況で彼女に触れられるとは思ってもおらず、私は狼狽えてしまう。 しかしそんな私のことなどお構いなしに、彼女はさらにとんでもなく甘い声で囁いた。

「…レオ君、手、繋いじゃ、ダメ…?」
「えっ?」

『手、繋いじゃ、ダメ…?』甘い言葉が、頭の中で何度も繰り返される。 …ダメなわけ、ないじゃないか…っ!!!!こんなに可愛いお願いを断れる男がこの世にいるのだろうか…っ!!!いや、私以外の男に触れさせる気は更々ないけども!!!

「ご、ごめんなさいっ、恥ずかしいですよねっ、子供じゃあるまいし…今のは、わ、忘れてくださ…っ、あっ」

私がひとり脳内で葛藤して黙っているのを拒否していると勘違いしたのか、なまえちゃんは申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にし始めて、私は慌てて彼女の手を取る。 そして私よりもひと回り小さい柔らかな手をそっと優しく包み込んだ。

「こ、これでいいかな?…少しは安心できそうかい?」
「っ、はい…レオ君の手、大っきくて、だいすきです」
「っ〜〜、(あああ、もう、本当にこの子は…っ!!!)」

立て続けに甘い言葉を言う彼女に、カアッと頬が熱くなる。 特に今日は怖さからいつもより甘えん坊になっているようで、私にその効果は絶大だった。

「(弱みを曝け出して私を頼ってくれているだけでもすごく嬉しいのに…その上、こんなにも私を喜ばせるようなことばかり言うんだもんなぁ…)」

暗闇に慣れてきた目でちらりと彼女を盗み見る。 今だ何も映っていない真っ黒な大型ビジョンを不安そうに見つめている様子が何だか小動物のようで、そのあまりの可愛らしさに思わずクスッと笑ってしまった。 私の笑い声が聞こえたのか、なまえちゃんはピクッと反応してこちらを恨めしそうに見つめてくる。

「い、今、笑いましたね…っ?」
「ふっ、くく、ご、ごめんっ、」
「…もうっ、人が真剣に悩んでるのにっ」
「ふふっ、あんまり可愛いから、つい…」
「っ、そうやって褒めれば許されると思ったら、大間違いですからねっ」

ぷんっとソッポを向くなまえちゃんだけど、しっかりと握った手はそのままで…本当にやる事なす事全てが可愛くて困る。 またもや思わず笑ってしまいそうになるけれど、何とか我慢して私はもう一度『ごめんね』と謝罪の言葉を口にした。

「…次は謝っても許さないですか、らっ!?」
「ぶふっ、くっ、ふふふ…っ!」

彼女が話している最中に、真っ黒だったビジョンの画面がパッと明るくなる。 突然の画面の点灯にビクッと驚き固まる彼女に、先ほどの我慢も虚しく私はつい噴き出してしまった。 そんな私をキッと睨みつけてくる彼女の瞳にはうるうると涙が浮かんでいて、少し意地悪し過ぎたかな、と反省する。
ビジョンを見れば映画のオープニングクレジットが流れ始めていて、ここから先はお喋りは出来そうにないと判断した私は『ごめんね』の意味を込めて握った手にギュッと力を込める。 少し遅れて控えめに握り返してくるのがまた可愛くて、きゅんと胸が高鳴った。




『…今、何か音がしなかったか?』
『ちょ、ちょっと、こんな時に冗談はやめてよ…』
『そ、そうだよな、俺の気のせ、』
『きゃああ!!!!』

「っ、ひっ、!」

ヒロインの女の子の甲高い叫び声が響いた瞬間、ビクッと体を震わせ小さく悲鳴をあげるなまえちゃんを少しでも安心させてあげたいと、繋いでいる手にギュッと力を入れる。 映画も中盤に差し掛かり、話が盛り上がってくるにつれてこちらを驚かせるようなシーンが段々と増えてきていた。 その都度怖がり震えるなまえちゃんが心配で仕方がない私は、映画なんてそっちのけで彼女の様子をバレないようにそっと見守っている。

「(こんなに震えて可哀想に…いっそのこと目を閉じて見なければいいのにと思うけど…)」

怖いもの見たさなのか恐怖に震えながら薄く目を開いて映画を見る姿が無性にいじらしくて、キュンと胸を締め付けられる。 涙目で怖がっている表情には、不謹慎にもドキドキとしてしまった…

「(なまえちゃんのことが気になって、映画の内容なんて全く頭に入ってこない…というか、見る気にもなれない…!!)」

正直なところ、ビジョンに映る主人公たちよりも、いつ来るか分からない恐怖の瞬間に怯えながらも立ち向かう彼女の方がよっぽど魅力的だ…なんて、完全に自分の贔屓目を含んだ感想に、思わず苦笑いが漏れてしまう。 幹部としての立場上、映画もちゃんと見なければ…と少しの罪悪感からちらりとビジョンに目を向けた、その瞬間。

「ひゃ…っ!?!」
「(わっ、今のはさすがに驚いたな…って、えっ!?なまえちゃん!?)」

突然恐ろしい化け物の顔が画面いっぱいに映り、少し驚くがその直後、余程びっくりしたのかなまえちゃんは私の腕に顔を埋めるように抱き着いてきて、私はビクッと体を強張らせる。

「(うっ…こ、これは、まずい…っ!!ど、どうしよう!!まさかこんな状況になるとは…!!)あ、あの、なまえちゃん…?もう化け物は映ってないから、大丈夫だよ…!」

コソコソと周りに聞こえないように小さな声で告げるが、ふるふると首を振り顔を上げない彼女に、どうしたものかと頭を悩ませる。 私にとって嬉しいことこの上ない状況ではあるが、今は仮にも研修会の真っ最中なのだ…こんな浮ついた気持ちでいるわけにはいかない…!それでなくても周りには沢山の魔物たちがいるんだから…!そう自分に言い聞かせ、必死に打開策を考えるが、腕に当たる柔らかな感触に全ての意識が持って行かれ正常に脳を働かせることが出来ない。

「(や、柔らかくて、良い匂い…って、ダメだダメだ…!なまえちゃんが怖がっていると言うのに、私は何を…っ!)」

自分の下心を必死に掻き消し、今だにギュッとしがみついたままのなまえちゃんを安心させるようにそっと抱き締める。 そして子供をあやすように背中をトントンと優しく叩いてあげた。 すると、彼女はずっと埋めたままだった顔をパッと上げ、またしてもとんでもなく甘い声で私を惑わせる言葉を口にする。

「レオ君…っ、映画が終わるまで、このままでもいい…?」
「っ、なっ!?…っ、」

あまりの予想外の言葉に上映中だということも忘れて大きな声で叫んでしまう。 周りの魔物たちは何事かとこちらにパッと視線を向けるが、声の出所が私たちだと分かるとすぐに状況を理解したのか、気まずそうに視線をビジョンへと戻していった。 皆の理解の早さに感謝しつつも…問題はまだ解決していない…!!不安そうにこちらを見上げてくるなまえちゃんに何と答えれば良いのか、私は頭の中であれこれと考えるが…

「…レオ君に抱き締めてもらえたら、私、すっごく安心するんです、おねがい、レオ君…」
「っ、わ、わかったよ、なまえちゃんっ、このまま、抱き締めているから…」
「あ、ありがとっ、レオ君…」

すぐそばから聞こえる甘えたような囁き声に、くらくらする。 こんな風にお願いされては、私に抗う術はない…彼女を抱き締めたままビジョンに視線を向けるが、最後の最後まで映画の内容は全く頭に入って来なかった。 私の全神経は、体に当たる柔らかな感触と耳のすぐそばで聞こえる息遣いへと集中していて、ドクドクと痛いくらいに胸がうるさく鳴っている。 …ある意味、ホラー映画よりもドキドキしたかもしれない…と自分の邪な考えに自嘲気味に笑うのだった。




「タソガレくんの馬鹿…っ!どうしてホラー映画なの…?っていうか、映画から恐怖を学ぶって何!?あんなの全部、フィクションなのに…っ、こっちが怖くなるだけじゃん…!」
「わ、悪かった!!我輩が悪かったから!!その振り上げた拳を降ろせ…!」

映画が終わった瞬間、今回の研修会を発案した魔王様の元へと走り出したなまえちゃん。 私も後を追って付いてきたが、今にも掴みかからんばかりの勢いで魔王様に食って掛かる彼女に、私は慌ててストップをかける。

「なまえちゃん…っ、落ち着いて!私にも責任があるんだ…!今回の研修会は十傑集会議で開催を決定したものだから…魔王様だけを責めないで…!」
「なまえがまさか怖いものが苦手だとは思わなかったんだ…!それに怖かったのなら、不参加でも良かったのに…」
「研修会なんて言うから、参加しなきゃいけないと思うじゃん…っ!もう!魔王城の気の緩みなんて今に始まったことじゃないんだから…!大して気にもしていないくせに、体裁を気にして無駄に格好つけようとするの、悪いクセだよっ!?」
「うぐっ…ど正論過ぎて、何も反論できない…っ!!」
「…おっしゃる通りです」

ぷんすかと怒るなまえちゃんに、私と魔王様はたじたじとなってしまう。 彼女の言うことはもっともで、今の楽しく明るい雰囲気の魔王城を私たちが気に入っていることは明らかなのに…幹部という立場上、どうしても外面を気にしてしまうのは、本当に我々の悪いクセだ。 彼女に叱られて、私と魔王様は思わずしゅんと縮こまってしまう。 そんな私たちを見たなまえちゃんは少しバツが悪そうな表情を浮かべた後、申し訳なさそうに口を開いた。

「すみません…私も言い過ぎましたっ、自分が苦手なものだからって文句を言うのは間違ってるよね…ごめんなさい」
「い、いや、我輩たちの配慮が足りなかったのだ…!本当に、すまない…」
「本当にごめんね、なまえちゃん…しかし誰にでも苦手なものはありますし、これからはこういったことにも気をつけないと…」
「魔王城がブラックな職場だと思われては困るしな…」
「新人にもホラーが苦手な者がいたかもしれませんね…」
「なっ!?そ、それは大変だ…!今すぐ確認して、アフターケアしないと…!!!すまない、あくましゅうどうし!なまえ!お前たちも、手伝ってくれ!!…おーい!改!!改はどこにいるのだ!?」
「……あはは、何もそんなに慌てなくてもいいのに」
「タソガレくんが部下のこと大切に思ってるのは確かなんですけどね…」

私の言葉にギョッと顔を青ざめさせたかと思うと、慌てて私たちに指示を出し、改くんの元へと急いで向かう魔王様の慌てぶりに、思わず苦笑いがこぼれる。 なまえちゃんは魔王様の慌ただしさに呆れながらも、彼の部下への優しさを実感してはいるようで、その表情はとても穏やかなものだった。

「そうだね…よしっ、魔王様を手伝いに行こうか!」
「…ふふっ、仕方ありませんねっ!」

ふたり笑い合いながら、魔王様の後を追うために足を踏み出す。 しかしなまえちゃんは何かを思い出したかのように、パッと立ち止まった。 不思議に思った私は振り返り彼女に問いかける。

「なまえちゃん?どうしたんだい?」
「レオ君…私、今日の夜、ひとりでいるのは怖いから…レオ君のお部屋に行っても、いい?」
「えっ!?!?」
「私、レオ君と一緒にいたいなぁ…ダメ?」
「っ〜〜!!だ、ダメじゃないよ…!わ、私も一緒にいたいし…」

こてんと首を傾げながら、上目遣い。 今回ばかりは狙ってやっているのは明白なはずなのに、何度見てもこの可愛さには敵わなくて…情けなくも、どもってしまう自分が恥ずかしい。 私の返事に満足したのか、にっこりと笑顔を見せるなまえちゃんは、立ち止まっていた足を動かし、私を追い抜いて魔王様の元へと向かって行く。
今日、本気で怖かったであろうなまえちゃんには悪いけれど、こんな展開をもたらしてくれた研修会の発案者である魔王様に感謝しなければ…、と現金にもそんなことを考えながら、私は彼女の背中を追いかけたのだった。



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