CHAPTER 03 / Extra edition - のろいのおんがくか
「 Please be at a loss for a moment! 」


「忙しいのにごめんね。 こんなこと頼めるの、のろいのおんがくか君しか思いつかなくて…」

そう言って申し訳なさそうに笑うおんなドラキュラさんを見て、やっぱりこの人モテるんだろうなぁ、なんて場違いなことを考える。 ふとした時の仕草や表情が男心をくすぐり、掴んで離さない。 あくましゅうどうし様が彼女の行動ひとつに一喜一憂して、必死になる理由が分かった気がして、彼の苦労に少し同情した。

「こんなの幹部の人たちの無茶振りに比べたら何でもないから、気にしなくていいよ」
「ふふ、実際こうやってのろいのおんがくか君にお願いしたのも、タソガレくん達の無茶振りがあったからだもんね」

今オレ達は、おんなドラキュラさんの自室にいる。 ふたりきりで。 そこだけ聞くと、いかがわしく思われるかも知れないが決して不純な動機でこの場にいるわけではない。

「ハァ…『のろいのパティシエ』なんて任命してさ、ただ自分達が甘いもの食べたいだけのくせに…」
「でも私も、のろいのおんがくか君が作ったケーキを食べさせて貰ったけど、本当に美味しくてビックリしちゃった!あれを趣味で終わらせるのはもったいないよ!?」
「…そりゃどうも」

話し上手な上に、褒め上手と来た。 …これはモテるのも頷ける。 彼女の甘い蜜にうっかり誘われてしまわぬよう、気を引き締めなければ…オレは簡単には堕ちない、絶対に。 そんなことを考えて、ニコニコと笑う彼女に素っ気なく返事をしてしまう自分が少し情けなくなった。

オレがおんなドラキュラさんの部屋にいる理由…それはもうすぐ訪れる、あるイベントが深く関わっている。

「私もあんなに上手にスイーツが作れたらなぁ…本番までにしっかり練習しておかないと!!」
「バレンタインデーまであと1週間以上あるし、何度か作ってみれば大丈夫でしょ。 アンタ要領良さそうだし」

バレンタインデー。 ここ魔王城では昔から、好きな人やお世話になった人などにチョコレートを贈るという習慣がある。 恋人や本命の相手に贈るチョコレートは手作りするなど、少し手の込んだものを用意するというのが定番だ。
あくましゅうどうし様にどんなチョコをあげようかと悩んでいたおんなドラキュラさんが、以前オレが作ったスイーツのことを思い出し、協力をお願いしに来た、というのが事の経緯である。

「ふふっ、褒めても何も出ないよ?」
「っ…!(…これが素で出来るんだもんなぁ、この人は)」

こてんと首をかしげる仕草をする彼女に、最早敵はいないんじゃないかとさえ思う。 男は単純な生き物だ。 そんな仕草を見せられたら、誰でも少なからず好意を抱いてしまうだろう。

「(こんな調子で迫られ続けたら、そりゃどっぷりハマってしまうわけだよ…本当同情するよ、あくましゅうどうし様)」

ここにはいない彼に心の中で労いの言葉をかける。 そして彼が今、勇者の動向視察のため魔王城を離れてくれていることに、心の底から感謝した。 いくら下心がないとは言え、もし彼女の部屋に招かれていることがバレでもしたら…面倒くさいこと、この上ない。 それにこちらにも言い分はある。 先程ふたりきりと言ったが、本来ならばここにはあとふたり、いるはずの人間と魔物がいないのだ。

「…それにしても、姫ととげちゃん遅いねぇ」
「姫を起こすのに、はりとげさんが手間取ってるとかそんなとこでしょ。 どうせあのふたりは出来たケーキを食べるだけなんだし、先に始めようよ」
「確かにそうだね。 それじゃあ先に始めちゃおっか!…お願いします!先生!!」
「…ちょっと、その呼び方はやめてくんない?全然ピンとこないし…!」
「う〜ん、『のろいのおんがくかくん』も『のろいのパティシエくん』も長くて言いづらいんだよね…あっ!そうだ!私もハーピィちゃんみたいに『のろくん』って呼んでもいいかな!?」
「っ、!…別に、いいけど」
「やった!ありがと、のろくんっ、えへへ」
「…っ、ほら、喋ってないでさっさと始めるよ!!」
「はーい!」

えっ、なにこの距離の詰め方…!!コミュ力の塊なの?と問いたくなるほど、自然な懐への入り方に尊敬の念すら覚える。 うっかりあだ名で呼ぶ事を了承してしまったが、あくましゅうどうし様にバレると厄介だ。 あとで皆の前では呼ばないように、釘を刺しておかないと…と考えたところで、はたと気付く。

「(皆の前で呼ばないようにって、ふたりの時は呼べって言ってるようなもんじゃん…)」

まんまと彼女の甘い蜜に誘われている自分に気付き、ドクンと胸が熱くなる。 頭ではダメだと分かっているのに、心が言うことを聞いてくれない。 一言『やっぱりあだ名で呼ばないで』そう言えば済む話なのに…

「のろくん?…どうしたの?」
「(こんなの、一度味わったら…やめられないよなあ)」

彼女の甘い声で呼ばれてしまっては、元の呼び方に戻ることなんて出来やしない。 そのあまりの心地良さに、彼女を独占しているあくましゅうどうし様が、少し恨めしくなった。

「もしかして、気分でも悪くなった…!?」
「…ごめん、何でもないから気にしないで」
「それなら、良いんだけど…もし何かあったなら言ってね?」

黙り込むオレを心配する表情に、今はオレのことだけを考えてくれてる、なんて馬鹿な考えが頭に過ぎったところでハッとする。 …やば、もう完全に堕ちてるじゃん、オレ。 何が自分は絶対に堕ちない、だ。 そんな事を考えている時点で、彼女の甘い蜜にどっぷりハマってしまっているというのに。 それでも、このまま他の単純な男達と同じようにはなりたくない…そんな微かなプライドが、オレを何とか踏ん張らせてくれた。

「…それじゃあ、ひとつだけ。 オレからの頼みを聞いてくれない?」
「もちろん!私に出来ることなら、何でも言って!」

何でも言ってと胸を張る彼女に、最初で最後のお願いをして、この気持ちには蓋をしよう。 今ならまだ、引き返せる。 そう決意して、口を開いた。

「バレンタイン、オレにもチョコ作ってよ」
「えっ?」
「義理でもなんでもいいからさ」

こんなに一生懸命にチョコを作って貰えるあくましゅうどうし様が羨ましくて…『少しで良いからその愛情を分けてくれ』そんな思いでつい口に出してしまった。 オレの言葉にキョトンとした表情を見せる彼女だったが、すぐにキラキラの笑顔へと変わっていく。

「もちろん!チョコチップクッキーを焼く予定なの!他にもタソガレくん、姫、とげちゃん…いつも仲良くしてくれてる皆に渡そうと思ってるんだ〜!」
「…ふーん、そうなんだ」

無邪気に笑う彼女に素っ気ない返事をしてしまう自分が嫌になる。 その他大勢の中に自分が含まれているということを突き付けられたようで、ズキっと胸が痛んだ。 気持ちに蓋をすると言ったそばからこのザマだ。 自分がこんなにも意志が弱いとは思いもしなかった…思わずガクッと項垂れてしまう。 そんなオレの気持ちなんてお構い無しに、おんなドラキュラさんはオレの顔を覗き込んで、一言。

「ふふっ、のろくんの分は、皆より多めに入れておくね。 皆には内緒だよ?」
「っ、…別に、子供じゃあるまいし…クッキーの枚数なんか気にしないよ」

いたずらっ子のように笑う彼女は、それはそれは可愛らしくて。 『皆には内緒』という、ふたりだけの秘密が出来たことに、喜んでしまっている自分が本当に情けない。 せめてもの抵抗に嬉しい気持ちを表には出さないでおこうと、気持ちとは裏腹な言葉を口に出してしまう。

「えぇ〜?…それじゃあ、皆と同じでいい?」
「…しょうがないから、貰っといてあげるよ」
「ふふ、ありがとう」

まんまと彼女の手の平の上で転がされている状況に悔しくなるが、全く不快では無くて。 ふふと笑う彼女の優しい笑顔に、閉めたはずの蓋はスルスルとまた緩んでいく。 …ごめんなさい、あくましゅうどうし様。 やっぱりオレ、この人の事、好きだわ。

「よ〜し!ケーキ作り、頑張るぞ〜!」
「(…美味しくないレシピにしてやろうかな)」

そんな意地悪な心がオレの中に芽生えるけれど、楽しそうにキッチンに立つ彼女を見ると、そんな気持ちも失せてしまう。 叶わない恋と分かっているのに、どうして好きになってしまうのか…いや、ふたりきりになって雰囲気に流されているだけだ、そうに違いない。 どうか、一時の気の迷いであってくれ、そう願わずにはいられなかった。



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