CHAPTER 03 /
13「あぁ、なんて情けない…」


「明日、仕事が終わったら…レオ君のお部屋に行ってもいいですか?」
「………え?」

なまえちゃんのプチダイエットや私の延期になっていた長期出張で、バタバタとしていたここ数週間。 なんとかどちらも無事に終えて、久しぶりの魔王城での日常を堪能していた昼下がり。 しんと静まり返る悪魔教会になまえちゃんの鈴のような声が響く。 しかしその可愛らしい声からは想像も出来ないような言葉の内容に、食後でふわふわとしていた眠気が一気に吹き飛んだ。
…彼女は今、なんと言った…?落ち着け、落ち着くんだ、レオナール。 私の聞き間違いじゃなければ、彼女は『私の部屋に行く』と、そう言ったはず……えっ!?な、何故!?どうして私の部屋に!?!?
落ち着くどころか余計に混乱した私は、手にしていた書類をついグシャッと握りしめてしまった。

「わわ、レオ君っ!書類が…っ!」
「…なまえちゃん、い、今言ったこと…もう一度言ってくれるかい?」
「えっ?書類がしわくちゃに…」
「そ、そうじゃなくて…!その前っ!!もうひとつ前だよっ!!」
「えっ…?」

せっかくまとめた書類がシワだらけになったことに焦るなまえちゃんには悪いけれど、こんなタイミングで人を惑わせるようなことを言う彼女にも非があると、私は思う…!!つい、心の中でボヤいてしまう。 彼女はそんな私のことなんてお構いなしに、私の手から書類をサッと取り上げシワを一生懸命に伸ばしながら、いつもと変わらない態度で口を開いた。

「えっと、明日お仕事が終わったあと、レオ君のお部屋にお邪魔しても良いですか…?渡したいものがあって、ふたりきりになりたいんですけど…」
「へっ、部屋で、ふっ、ふたりきり!?、そ、それは、えっと、その…っ、」
「だめ、ですか…?」
「っ…ぜっ、全然ダメじゃない!ダメじゃないよ!!!明日の仕事終わりだね!?予定を空けておくよ…!」

彼女の事だからきっと不純な理由などないであろうことは重々分かっている。 渡したいものがあると、はっきりそう言っているし…しかし私も男だ。 部屋でふたりきりと聞いて、『そういうこと』を全く意識しないなんて、到底無理な話で…
なんと答えれば良いのか分からず言葉に詰まってしまう私に不安になったのか、なまえちゃんはこちらを伺うようにこてんと首を傾げながら見上げてくる。 そのあまりの可愛さに、先ほどまでの迷いなんて跡形もなく消え去り、私は呆気なく了承してしまった。

「…よかったぁ、断られるかと思いました…!ありがと、レオ君!…ふふ、明日が楽しみだなぁ」
「…は、はは、そうだね…私も楽しみだよ」

楽しみだと言う彼女に、私は乾いた笑みを返すことしか出来なかった。 楽しみなのは私も同じだが…また理性との闘いになるのは、目に見えている。 明日のことを想像し悶々と葛藤する私のことなんてつゆ知らず、呑気に嬉しそうに笑う彼女を見て、内心ハァとため息を吐くのだった。




「あくましゅうどうし様、お疲れ様でした!」
「えっ!?…あ、ああ、お疲れ様、きゅうけつきくん」

きゅうけつきくんの声にハッと我にかえる。 昨日のなまえちゃんの『部屋でふたりきりになりたい』発言から、一夜が明けた今日。 気がつけば、お疲れ様でしたと皆が仕事を終えて帰る時間になっていて、私は思わず頭を抱えてしまった。
昨日は仕事を終えたあとすぐに自室に戻り、バタバタと部屋の掃除や模様替えをひと通り終えてからベッドへと入ったのだが、全く眠れず。 この部屋に彼女が来る…そう考えないようにしようとすればするほど、彼女のことを思い浮かべてしまって、余計に目が冴えてしまう。 私に渡したいものがあると言っていたが、一体何だろうか…などとあれこれと考えては止めてを繰り返し、ハッと気がついた時には教会へと向かう時間になっていた。 仕事が始まってからも、今夜のことに気を取られる私は全く集中出来ず…今に至るというわけだ。

「(今日の記憶が一切ない…!私は一体何をしているんだ…あぁ、なんて情けない…)」

教会を取り仕切る立場の私がこんな体たらくでは、皆に顔向けができない。 ごめんよ、皆…今日だけは…今日だけは許してほしい…っ!!思わず心の中でそんな身勝手な言い訳をしてしまう。 幸いなことに、誰にも私の異変に突っ込まれることはなく、何事もなく1日が過ぎたことが唯一の救いだった。

「レオ君、レオ君。 今夜のことなんですけど…」
「っ…!?…なまえちゃん、っ?」

私がひとり考え込んでいると、くいっと袖を誰かに引っ張られる。 その直後、コソッと小声で話しかけてきたなまえちゃんに思わずドキッと胸が鳴ってしまう。 周りにはまだチラホラと談笑している魔物がいるからなのか、ちょいちょいと耳を貸すように手招きされ、私は彼女の身長に合わせるように屈んで耳を寄せる。 近づく彼女の息遣いがダイレクトに耳に届き、胸のドキドキがさらに加速した。

「私、ちょっと準備することがあるので、一度自分の部屋に帰りますね、後からレオ君の部屋に行くつもりなんですけど、今日はもう上がりですよね…?」
「う、うん…、私も今から帰り支度するつもりだよ」

なんとか冷静を装って、私も小声で返事をする。 私の返事に満足したのか、彼女はにっこりと愛らしい笑顔を見せたあと、足早に教会の扉へと向かっていく。 そしてくるりと振り返り、元気な声で別れの挨拶を口にした。

「それじゃあ、お先に失礼しますね!お疲れ様でした!」
「えっ!?あ、うん、お疲れ様…!」

上機嫌で帰ろうとするなまえちゃんの背中を目で追っていると、彼女は扉を出る直前にもう一度こちらに振り向き『ま た あ と で』と口をパクパクさせた。 そのあまりの可愛さに、またもや胸がドクドクと鳴り始める。 本当にどれだけ私を翻弄させれば気が済むのか…バタンと扉が閉まり彼女が見えなくなった途端、私はへなへなと床に座り込んでしまった。 うるさく鳴る胸をギュッと握り、なんとか抑え込もうとするが中々治りそうもない。 辺りを見渡せばもう魔物たちは誰一人残っておらず、教会には私ひとりとなっていた。

「ハァ…(このままじゃ心臓がいくつあっても足りないな…)」

私が吐き出したため息が、虚しく教会内に溶けていく。 …一体、世の中の男達は自身の恋人にどうやって耐性をつけているのだろうか。 愛しくて堪らないなまえちゃんを頭に思い浮かべて、ふとそんなことを考える。 それとも、いつまでたってもなまえちゃんの可愛い態度や仕草に慣れない自分が、おかしいのだろうか…?いや、そんなことはない。 きっと彼女が可愛過ぎるのがいけないのだ。 なんて馬鹿なことを考えて、ハッと我にかえる。 こんなことしてる場合じゃない!彼女が来るまでに戻らないと…!座り込んでいた腰を上げ、帰り支度をさっさと済ませると、私は教会の扉へと向かう。

「(…早く、なまえちゃんに会いたいなぁ)」

何だかんだと悩んでいたが、今夜のことを思うとやはり嬉しい気持ちが勝っていて、自然と会いたくなっている自分に思わず苦笑いする。
彼女が来るまでに、部屋を暖めておかないと。 それに飲み物は、彼女のお気に入りの温かいココアを用意して、それから…頭の中で、彼女が部屋に来た時のシミュレーションを繰り返しながら、私は自室への道を急いだ。



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