CHAPTER 02 /
08「君があんまり可愛いことをするから…っ!」


「はぁ、はぁ…っ」

姫に背中を押され教会を出た私は彼女を探すため、城の中を走り回っていた。 彼女の部屋やひとりになれそうな場所を探し回ったが、見つからず。 中々会えないこの時間が、今の私たちの距離を表しているかのようで、焦りが募っていく。 そんな時、ふとある考えが頭によぎる。 …もしかして、今はひとりになりたくないのではないか?そう思うと同時に、私の足はある場所へと向かっていた。

「( …やっと、見つけた…っ )」

向かったのは、食堂。 ここなら必ず誰かがいるからひとりにならずに済むだろうと思いやって来た。 辺りを見渡すと彼女の姿があり、ホッとしたのも束の間、やっとの事で見つけた彼女は魔王様と何やら話し込んでいる様子で、そんなふたりの姿に焦りが増していく。 気づけば、私は彼女の元へと足早に向かい、その細い肩を掴んでいた。

「っ、おんなドラキュラちゃん…ッ!私の話を…聞いてくれるかい?」
「…は、はいッ!」

声を上擦らせて返事をする彼女に、怖がらせてしまったかと少し心配になる。 しかしこちらを伺うように視線を寄越す彼女に、私は意を決して、本題を切り出した。

「…わ、私の名前のことだけど…」
「まっ、待ってください!…あくましゅうどうし様にとって、とっても大事なお話なんですよね…?場所、移しませんか?私、ふたりきりで、ゆっくり話したいです…」
「おんなドラキュラちゃん……そうだね、ありがとう」

焦りから、思わず口に出してしまいそうな私を慌てて彼女が止めてくれる。 どれだけ余裕がないんだ…と我ながら情けなくなってくる。 それと同時に、私のことを想って、場所を移そうと言ってくれた彼女にジーンと胸が熱くなった。

「そ、そうだ!タソガレくんにお礼言ってない…!」
「魔王様に…?そういえば私が来るまで話していたみたいだけど…姿が見えないね」

『タソガレくん』、彼女の口から出てくる魔王様の名前につい無意識のうちに妬けてしまうが、それはお門違いも甚だしい。 名乗ってもいない自分がとやかく言える立場ではないのに、となんとか自分に言い聞かせる。 魔王様にお礼したいという状況にいまいちピンと来ないが、キョロキョロと彼を探し始める彼女に釣られて、私も彼の姿を探してみるが見当たらなかった。 するとすぐそばから『むーむー』とでびあくまの声が聞こえ、声のする方に視線をやると、彼女の服の裾を引っ張っているのが目に入る。

「でびあくま?どうしたの?」
「むむー!」
「…手紙?これ、タソガレくんから?」
「むー!」
「ありがとう」

でびあくまは魔王様から預かったと言う手紙を彼女に渡すと、そのままホリ=ゴ・ターツへと潜っていく。 …一体、何が書いてあるんだろう?…まさか、ケンカして傷ついている彼女に取り入るつもりじゃ…!?

「…手紙なんていつ書いたんだろ?」
「…ッ!何か重要なことが書いてあるかも…!」
「…よ、読んでみましょうか」

内容が気になって仕方ない私は、彼女の手元で開かれる手紙を後ろから覗き込む。 すると彼女は手紙を読み上げ始めた。

「『お前たち2人に会議室の掃除を任せる。 誰も入らないようにしておくから、綺麗さっぱり片付くまで、部屋から出ないように』…だそうです」
「…どうやら魔王様は、全部お見通しのようだね」
「…ッ!」
「あっ、ご、ごめん…っ!」

つい呟いてしまった私の声に驚いたのか、彼女はビクッと体を強張らせる。 そして、私もすぐそばで香るシャンプーの匂いにドキリと胸が高鳴ってしまった。 …無意識に覗き込んだけれど、この距離は、まずい。 ち、近過ぎる…っ!!自分の失態に気づいた私は、すぐに謝罪し距離を取った。 耳元で突然声がしたら気持ち悪いに決まっているだろう…!何をやっているんだ…私は…ッ!!!もう一度謝ろうと伺うようにチラッと彼女を見れば、顔を真っ赤にして耳を押さえている。 …えっ、この反応は、て、照れてる…?そんな自分に都合の良い考えが頭に浮かび、カァッと顔に熱が集まってくる。

「…そ、それじゃあ、会議室に行きましょうか」
「そ、そうだね、(…魔王様、申し訳ございません…)」

お互い顔を真っ赤にしながら、歩き出す。 会議室へ向かう途中、ふたりで話す機会をくれた魔王様に疑いをかけたことを心の中で詫びたのだった。




「…まずは何から話そうか?」
「…なんだか改めて話すとなると、緊張しちゃいますね」

会議室に入り、緊張すると言う彼女を見て、私の心臓は早鐘のようにドクドクと鳴り始める。 これから話すことは私の人生最大の悩みと言っても過言ではない…、そう思うと脂汗が額に滲むが、なんとか平静を保って話を切り出した。

「あはは、そ、そうだね…えっと、それじゃあ、まずは私の名前のことからで…いいかな?」
「はい…、」

ギュッと彼女が自分の手を握りしめ固唾を飲んでいるのが目に入る。 …大丈夫、彼女なら受け入れてくれる。 そう願いながら、ひとつ深呼吸をして、私はついに重い重い口を開いた。

「わ、私の本名は、…レオナール。 魔界出身の君なら、この名前を聞いてピンと来るかもしれないけど…この名前には魔界中に知られている古い言い伝えがあるんだ…」

人に名乗ったのはいつぶりだろう…私の名前に必ず付き纏う、古い言い伝え。 まさに私が名乗ることを嫌う原因そのものだ。 …彼女が言い伝えを知らないわけがない、姫とは違い魔界出身なのだから。 だけど、万が一…!知らないってことも…ッ!!そんな一縷の望みは儚く消えて、彼女の口から出たのは私が憎くて憎くて仕方ない、あの言葉だった。

「サバトの牡山羊…ですか?」
「…ッ!?、あ、あぁ、君の言う通り、私の名前はそこから付けられたものだよ…」

彼女の口から発せられる『サバトの牡山羊』という忌々しいワードに、胸がギュッと締め付けられる。 やはり、彼女も知っていた。 不名誉極まりない言い伝えからつけられた私の名前を彼女はどう思うのだろうか…彼女の反応が怖くて、私はそのまま話を続けた。

「こんな名前がついていると、私も言い伝え通りの男だと思われてしまうことが多くてね…だから魔王様や睡魔、あとは一部の旧友にしか、名乗っていなかったんだ…」
「姫にも一度名前を聞かれたことがあってね…その時、私は必死に隠そうとしたんだけど、睡魔が口を滑らせてしまって、最初の『レオ』の部分だけ知られてしまったんだ」

ひと息つく間もなく、全てを話し終える…これで私の想いを全て打ち明けられたと思う。 あとは彼女に委ねるしかない。 彼女が口を開くまでのほんの数秒が、何時間にも思える程、バクバクと鳴る心臓がうるさくて、苦しい。 はやく、早く何か言ってくれ…!そう願ったその時、

「…それで『レオ君』って呼ばれるようになったんですね」
「…うん、黙っていて、本当にごめんね」

寂しそうな声色で呟く彼女に、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 恋人だと言うのに、名前を隠すなんて、寂しいに決まっている。 私が彼女の立場だったら…そう思うと謝らずにはいられなかった。

「…ごめんなさいっ!!!!」

突然頭を下げて謝罪する彼女に、私は面食らう。 彼女は何も悪くないのに…!慌てて頭を上げてと言おうとするが、彼女は俯いたまま話を続ける。

「私、本当はずっとあなたと名前で呼び合いたかったんです。 それなのに、あくましゅうどうし様が名前を教えてくれるまで待ってる、なんて聞き分けの良い女ぶって、あなたと向き合おうとしませんでした…本当に、ごめんなさい」

彼女の言葉に、私は本当に何て馬鹿なことをしていたんだ、と頭が痛くなる。 …向き合おうとしなかったのは、私の方だ。 私の勝手なコンプレックスに巻き込んで、彼女をひとり悩ませていたことにどうして気づかなかったのだろう。

「…おんなドラキュラちゃん、顔を上げて?」
「…っ!」

俯く彼女の頬に手を添えて、顔を上げさせる。 こちらを見つめる彼女の瞳がとても辛そうに潤んでいて、また後悔の念が押し寄せてきた。

「謝らなければいけないのは、私の方だよ…きっとずっと不安にさせていたよね…本当にごめん」
「そ、そんな!私が勝手にひとりで悩んでただけですから…!」
「私が不甲斐ないから、ひとりで悩ませてしまったんだ…少し考えれば分かることなのに…」

ごめん、もう一度そう口にする。 そんな私に、彼女は何とも言えない表情を浮かべて、口を開いた。

「なまえ…」
「…え?」
「私の名前は、なまえ、です。 仕事仲間からは種族名のおんなドラキュラって呼ばれることが多いですけど、家族や友達は皆、なまえって呼んでくれてます」
「う、うん…そうだね」

突然自己紹介を始める彼女に、私は戸惑ってしまう。 彼女の家族や友達、そこに当てはまる人達が羨ましくて仕方ない…そんな気持ちが自然と溢れてしまう自分が嫌になる。

「…恋人にも名前で呼んでもらいたいって思ってます」
「…ッ、そ、それは」
「…だから、なまえ、って、呼んでください」

恋人、それはつまり、私のこと。 彼女からのお願いに思わず、口ごもってしまう。 彼女の名前を呼んでしまったら、私はきっと…もっと、もっと欲深くなってしまう…それでも、…

「なまえ、ちゃん、」
「…ッ!はい!」
「…っ!!な、何だか、恥ずかしいね…」
「そ、そうですね…あはは、」

なまえちゃん、そう呼んだ瞬間、ドクンと脈が早くなる。 たった数文字の名前なのに、彼女のものだと言うだけでこんなにも幸せな気持ちになれるなんて…絶対に今、顔が真っ赤だ…っ!そんなことを考えながら彼女に視線を向けると、同じように真っ赤になった彼女がこちらを見つめていて、体温がカァッと上がるのがわかった。 そして、欲深くなった私は、彼女にひとつお願いをする。

「…私のことも、名前で呼んでくれるかい?」
「えっ、?」
「…君には、呼んでもらいたいんだ」
「…っ、レオナール、さん」
「…ッ、い、いやぁ、な、なんというか、照れるもんだね、これ」
「…慣れるまで、時間かかりそうですねっ」

レオナールさん、彼女の口から聞こえるだけで、大嫌いだったはずの名前が愛しいものに思えてくる私はなんで現金な男なんだろう。 返事するかのように、なまえちゃん、ともう一度心の中で彼女の名前を呼んで、更に顔が熱くなる。

「…レオナールさん、って呼ぶのは周りにバレてしまいますし、…私もレオ君って呼んでいいですか?」
「う、うん、そうして貰えると私も助かるよ」
「…レオ君、」
「…なんだい?」
「ふふっ、レオ君」
「…ッ、」

鈴のような声で何度も私の名前を呼ぶ彼女が、この世のものとは思えないくらい可愛くて、愛おしくて…私は堪らず悶えてしまう。 …なんでそんなに可愛いかなぁ…ッ!

「レオ君、だいすき」

更にとどめとばかりに、大好きだなんて言われてしまっては、もうお手上げ状態である。 本当にこの子は私を喜ばせるのが上手くて困る…っ!

「…っ、私も…大好きだよ、なまえ、ちゃん」
「……ッーー!!!もう!!!それは反則です…ッ!!」
「うわあっ!?なまえちゃん、!?」

真っ直ぐ想いを伝えてくれる彼女に応えようと、私も精一杯の言葉で返す。 すると彼女は余程嬉しかったのか、私に抱き着いてきた。 なんとか受け止めたものの、彼女の柔らかい身体が私の身体に密着しているこの状況に、頭がパンク寸前だ。 …わ、私も、抱きしめ返した方が良いのだろうか…?行き場のない両手をそっと腰に回すと、彼女は更に私を抱きしめる力を強め、スリスリと擦り寄ってきた。 …っ、そ、そんなに可愛いことをされたら、

「…なまえちゃん、」
「は、い?……ッ!?」

名前を呼ばれ顔を上げた彼女の額にソッと唇を寄せる。 そしてハッと我にかえった。 …ッ、わ、私は、いま、な、なな何を…ッ!?自分でもこんな行動を取ってしまったことに驚き、思わずパッと彼女から離れる。

「…、そ、そういえば!会議室の掃除を任されていたんだっけ…!?さ、さぁ、どこから手をつけようか…!!」
「れ、レオ君…い、今、ッ、き、キス…ッ」

話題をそらそうと咄嗟に口を開くが、彼女の言葉で失敗に終わった。 彼女に問い詰められ、額からダラダラと汗が出てくるのが分かる。 顔も熱くて仕方ない。 私がキスをした額を押さえながらこちらを見つめる彼女に、私は観念するかのように呟いた。

「…き、君があんまり可愛いことをするから…っ!」
「……今のレオ君の方が何倍も可愛いですよっ!!!!」

あーっ、もう、恥ずかしさで死にそうだ…っ!一体私たちは何度顔を赤くすれば気が済むのか…良い歳してこんな青春みたいな経験をするとは思ってもみなかった…!そんなことを考えて少しずつ頭が冷静になってくる。

「…掃除、始めましょうか」
「…そうだね」

彼女も同じだったのか、少し落ち着いた様子で掃除を始めようと切り出してくる。 私もそれに同意して、動き出すが、肝心なことを思い出した。 …名前は無事に呼び合うことが出来たけど…不名誉な言い伝えについて彼女がどう思っているのか、まだ聞けていない…ッ!!!

「…?どうしたんですか?」

突然動きを止めた私を不思議に思ったのか、彼女は私に問いかけてくる。 …また聞かずにいたら、後で後悔するに決まっている。 『綺麗さっぱり片付くまで、部屋から出ないように』魔王様にもそう言われているんだ。 ハッキリ聞いておかないと…!!意を決して、私は彼女に尋ねた。

「…念のため、確認しておくけれど、…私のことサバトの牡山羊のような、い、いやらしい宴を開催している男だとは、思ってないよね?」
「…ふ、ふふっ、あははっ、」
「なっ!?わ、笑い事じゃ…っ!」

私の心配をよそに、彼女は声を出して笑い出した。 私の不安なんか何とも思っていないとでも言うように、可愛らしい笑顔で笑うものだから、悩んでいた自分が本当に馬鹿らしくなってくる。

「ご、こめんなさいっ、つい、ふふっ、ふ」
「…ハァ、…悩んでる私が馬鹿みたいじゃないか」
「ふふふ、だってレオ君がそんな人じゃないのは、私が1番よーく分かってますから」
「…ありがとう、なまえちゃん」

私のことを一番理解しているのは彼女だと、心の底からそう思える。 一番欲しい言葉をくれるのはいつだって、彼女だから。

「レオ君が開催する淫らな宴なら、私、喜んで参加しますけどね!」
「…ッ!コラ!またそんなはしたない事を…っ!女の子がそんなことを口にするんじゃありません…ッ!!」
「ふふっ、私以外は招待しないでくださいね…?」
「…っ!ハァ…全く、本当に君は…っ!」

感動したのも束の間、ふざけて冗談を言う彼女に私はまた年甲斐も無く、慌てふためいてしまう。 そんな私を見て、彼女は楽しそうに笑っていて、それが何だか少し悔しい。 それでもこうやって笑い合えることが嬉しくて、彼女に振り回されるこの日常が戻ってきたことの喜びをひとり噛み締めた。




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