CHAPTER 02 /
08「私が1番よーく分かってますから」


「( …なんでこんなことになっちゃったんだろ )」

魔王城食堂の片隅のテーブルで項垂れながら、私はハァとため息をこぼす。 お昼の時間はとっくに過ぎて人もまだらな食堂は、今の私にはピッタリな場所だった。

「( 1人になると、きっと色々考え込んじゃう…周りに誰かがいるだけで、気が紛れるもんね… )」

悪魔教会を出た私の足が自然と向かったのは、食堂だった。 きっと無意識に1人にはなりたくないと思ったんだろう。 周りを見れば、遅めの昼食をとっている魔物たちがチラホラ。 その中で襟足の長い淡い緑髪の後ろ姿が目に入る。

「( タソガレくんだ…お昼ご飯食べ損ねちゃったのかな?…何食べてるんだろ、ラーメン? )」

そのまま何気無く、じーっと彼を観察する。 ラーメンを口にした瞬間、熱かったのか慌てて水を飲んでこぼしている姿に、思わずブフっと吹き出してしまった。

「ふっ、ふふっ、慌て、すぎっでしょ」
「…あの〜、なまえ?聞こえているんだが?」

私が笑っているのに気が付いたタソガレくんは、紙ナプキンで口の周りを拭きながらくるりとこちらに振り向く。 不機嫌な表情なのに顔は真っ赤で、それがまた可笑しくなって笑ってしまった。

「ご、ごめっ、お、可笑しくって、つい、ふっ、ふふっ」
「…笑い過ぎじゃないか!?」
「ふっ、ご、ごめん、なんかツボに入っちゃって、あはは、っふふ」
「ほ、ほら、周りも皆見てるぞ…!恥ずかしいから、やめなさい!」
「ふふっ、ご、ごめんなさい、……っはぁ、!苦しかったぁ!」
「そりゃあ、それだけ笑えば苦しいだろうな…!」

ようやく笑いが収まり、フゥと息を吐く。 笑いで涙目になる私を恨めしそうに見つめるタソガレくんは、ハッと何かに気づいた素振りを見せたあと、立ち上がりこちらのテーブルにやって来た。

「どうしたの?一緒に食べたいの?」
「いや、そうじゃなくて、」
「?」
「あー、そのー…」

もごもごと口籠もり、なかなか言葉が出てこないタソガレくんを私はジッと見つめる。 しばらくして決心したのか、今度は彼が私をジッと見つめながら言葉を放った。

「なまえ、その…、な、何かあったのか?」
「えっ?」
「…なんだかいつもと様子が違うような気がして…いや、勘違いなら良いんだが…」

そう言って苦笑いするタソガレくんが、なんだかすごく頼れるお兄さんのように思えてきて、つい甘えてしまいたくなる。 せっかくひとりで考え込まないようにと、ここにやって来たのに、彼にはすぐに見破られてしまった。 …こういうところが、彼の魅力のひとつなんだけど、本人はそれに気づいてないんだもんなぁ。

「…あのね、あくましゅうどうし様と、ケンカしちゃったの」
「…え!?な、なぜ…?」
「…私が姫に嫉妬しちゃって」
「ひ、姫に嫉妬?一体何が…」

私は先ほどあった出来事を簡単に説明する。 すると、タソガレくんは『あ〜…あいつの名前のことか…』と妙に納得したかのような素振りを見せた。

「…やっぱり、あくましゅうどうし様が自分の名前のことに触れないのって色々事情があるからなんだよね」
「あ、あぁ、我輩はそこまで気にする必要は無いといつも言っているんだがな…」
「本人にとってはすっごく大事なことなんだろうね…それなのに、私…自分勝手なことばかり言っちゃった」

教会を出るときに見た、彼の表情がずっと頭から離れなかった。 私のワガママで、すごく傷つけたかもしれない。 そう思うと胸がぎゅーっと締め付けられる。

「確かに、あくましゅうどうしにも思うところはあるんだろうが…なまえは悪くないと、我輩は思う。 誰だって好きな相手の名前を呼びたいし、呼ばれたい。 そう思うのは当然の気持ちじゃないか?」
「タソガレくん…」

タソガレくんの言葉に私は思わず感動してしまった。 そうだ、私は彼を名前で呼びたいし、私の名前も呼んでほしい。 初めから彼にそう伝えれば良かったんだ。 私はただ待っていただけで、何も行動していなかった。 もっと早くに彼と面と向かって話すべきだったのに。

「…どうやら、あいつも同じ気持ちみたいだぞ?」
「えっ?」

チラッと食堂の入り口に目を向けるタソガレくん。 同じように私も入り口に視線を移すと、そこには息を切らしたあくましゅうどうし様の姿があった。 彼は私を視界に捉えるとすぐさまスタスタとこちらへ向かってくる。 そしてガバッと私の肩を掴んで、口を開いた。

「っ、おんなドラキュラちゃん…ッ!私の話を…聞いてくれるかい?」
「…は、はいッ!」

いつもと違う男らしい様子のあくましゅうどうし様に思わずドキッとしてしまう。 こんなに息を切らして私の元まで駆けつけてくれる彼に、ときめかない訳がない…!!ドキドキとうるさい心臓をどうにか抑えるが、返事をする声は上擦ってしまった。 肩を掴むあくましゅうどうし様の骨張った大きな手が、すぐそばにあってそれが余計にドキドキを加速させる。

「…わ、私の名前のことだけど…」
「まっ、待ってください!…あくましゅうどうし様にとって、とっても大事なお話なんですよね…?場所、移しませんか?私、ふたりきりで、ゆっくり話したいです…」
「おんなドラキュラちゃん……そうだね、ありがとう」

穏やかな表情で笑いかけてくれる彼を見ると、ケンカしているのが嘘のように思えてくる。 こんな風に思えるのもタソガレくんが話を聞いてくれたお陰だな…なんて考えて、ハッとする。

「そ、そうだ!タソガレくんにお礼言ってない…!」
「魔王様…?そういえば私が来るまで話していたみたいだけど…姿が見えないね」

ふたりで辺りをキョロキョロと見渡すが、彼の姿は見当たらない。 すると近くにいた、でびあくまが『むーむー』と私の服の裾を引っ張ってくる。 …どうしたんだろ?

「でびあくま?どうしたの?」
「むむー!」
「…手紙?これ、タソガレくんから?」
「むー!」
「ありがとう」

どうやらでびあくまはタソガレくんからの手紙を預かっていたらしい。 私に手紙を渡すとふわふわと飛んで行き、ホリ=ゴ・ターツの中へ潜っていった。

「…手紙なんていつ書いたんだろ?」
「…ッ!何か重要なことが書いてあるかも…!」
「…よ、読んでみましょうか」

あくましゅうどうし様も手紙の内容が気になるのか、私の後ろから顔を出して覗き込んでくる。 真剣に手紙の内容を確認しようとしている彼は気づいていないかもしれないが…、顔が、近い…っ!!っていうか、あくましゅうどうし様って、こんなに背が高かったっけ…!?予想外の距離の近さと男らしさにまたもや心臓がドキドキとうるさくなってしまうが、どうにか手元の手紙に意識を戻す。 私はパサッと手紙を開き、書かれているメッセージを読み上げた。

「『お前たち2人に会議室の掃除を任せる。 誰も入らないようにしておくから、綺麗さっぱり片付くまで、部屋から出ないように』…だそうです」
「…どうやら魔王様は、全部お見通しのようだね」
「…ッ!」
「あっ、ご、ごめん…っ!」

耳元で聞こえるあくましゅうどうし様の声に、思わず私はビクッと震えてしまう。 そんな私に気付いたのか、彼は慌てて距離を取る。 …顔が熱いっ!今、私、絶対顔赤くなってるよ…っ!!耳を押さえながら、チラッと盗み見ると彼もまた顔を真っ赤にしながら首元に手を当てていて、なんだか気恥ずかしくなってくる。

「…そ、それじゃあ、会議室に行きましょうか」
「そ、そうだね、」

タソガレくんの粋な計らいに甘えて、ソワソワとぎこちない雰囲気のまま、私たちは会議室へと向かった。




ガチャリと会議室の扉を開けて、そっと中を覗き込む。 もちろん中には誰一人おらず、完全に私とあくましゅうどうし様のふたりきりとなった。

「…まずは何から話そうか?」
「…なんだか改めて話すとなると、緊張しちゃいますね」
「あはは、そ、そうだね…えっと、それじゃあ、まずは私の名前のことからで…いいかな?」
「はい…、」

ついに彼の名前の秘密が明かされる、そう思うと緊張してしまって、無意識にギュッと手を握りしめてしまう。 手汗がじっとりとするのが妙にリアルで余計に緊張感が増した気がした。

「わ、私の本名は、…レオナール。 魔界出身の君なら、この名前を聞いてピンと来るかもしれないけど…この名前には魔界中に知られている古い言い伝えがあるんだ…」

レオナール。 初めて知った彼の名前を頭の中で何度も呟く。 そして、ハッと気づく。 古い言い伝え…彼が隠したがっていた理由が、やっと分かった。

「サバトの牡山羊…ですか?」
「…ッ!?、あ、あぁ、君の言う通り、私の名前はそこから付けられたものだよ…」

『レオナール』それは『サバトの牡山羊』とも言われ、古くから言い伝えられている悪魔の名前だ。 その名と共に伝えられている彼らの特徴が『夜な夜な魔女と淫らな宴を催す』というもの。 魔界では子供でも知っている言い伝えなので、レオナールと聞けばそれを連想する者が大半だろう。

「こんな名前がついていると、私も言い伝え通りの男だと思われてしまうことが多くてね…だから魔王様や睡魔、あとは一部の旧友にしか、名乗っていなかったんだ…」

そう寂しそうに話す彼に、私は何も言葉をかけてあげられなかった。 こんな理由があったなんて思いもしなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 …これは言い出しにくいはずだ。 魔物なら誰でも知っていると言っても過言ではない不名誉な言い伝えなんだから。 恋人相手なら尚更、名乗りたくないのも頷ける。

「姫にも一度名前を聞かれたことがあってね…その時、私は必死に隠そうとしたんだけど、睡魔が口を滑らせてしまって、最初の『レオ』の部分だけ知られてしまったんだ」
「…それで『レオ君』って呼ばれるようになったんですね」
「…うん、」

黙っていて、本当にごめんね。 そう言って申し訳なさそうにする彼に私の心はズキッと痛む。

「…ごめんなさいっ!!!!」

彼から知らされる今までの経緯に、私は咄嗟に頭を下げて謝った。 …理由を知らなかったとは言え、彼には随分酷い態度をとってしまった。 鼻の下伸ばしてるだとか、嘘をつくなとか、きっと沢山傷つけてしまったに違いない。 そんな態度をとる前に、私から彼に向き合うべきだったのに…

「私、本当はずっとあなたと名前で呼び合いたかったんです。 それなのに、あくましゅうどうし様が名前を教えてくれるまで待ってる、なんて聞き分けの良い女ぶって、あなたと向き合おうとしませんでした…本当に、ごめんなさい」

姫が彼を『レオ君』と呼んだ時、恋人同士になれた時、向き合うタイミングは今までに沢山あったはずなのに。 私はきっと拒否されることを恐れていたのだ。

「…おんなドラキュラちゃん、顔を上げて?」
「…っ!」

あくましゅうどうし様は、優しい声で囁き、大きな手で私の頬を包み込む。 私はゆっくり顔を上げて彼と視線を合わせた。

「謝らなければいけないのは、私の方だよ…きっとずっと不安にさせていたよね…本当にごめん」
「そ、そんな!私が勝手にひとりで悩んでただけですから…!」
「私が不甲斐ないから、ひとりで悩ませてしまったんだ…少し考えれば分かることなのに…」

また、ごめんと眉を下げて謝る彼に、私は何だかやるせない気持ちになってくる。 …このままじゃ、堂々巡りだ。 お互いに悪いと思ったまま、一歩も進まない。 私は彼に、こんな顔をさせたかったわけじゃない!

「なまえ…」
「…え?」
「私の名前は、なまえ、です。 仕事仲間からは種族名のおんなドラキュラって呼ばれることが多いですけど、家族や友達は皆、なまえって呼んでくれてます」
「う、うん…そうだね」
「…恋人にも名前で呼んでもらいたいって思ってます」
「…ッ、そ、それは」
「…だから、なまえ、って、呼んでください」

意を決して、私は彼に想いを伝える。 私の言葉に彼は口を開いては閉じ、何度かそれを繰り返したあと、やっと、声を紡いだ。

「なまえ、ちゃん、」
「…ッ!はい!」
「…っ!!な、何だか、恥ずかしいね…」
「そ、そうですね…あはは、」

なまえちゃん、たった数文字の名前を呼んだだけなのに、彼は真っ赤になって照れている。 かくいう私も彼に名前を呼ばれた瞬間、ぼぼぼっと顔に熱が集まってくるのが分かった。 お互いに顔を真っ赤にして、視線を合わせる。 しばらく黙って見つめあったが、先に口を開いたのは彼だった。

「…私のことも、名前で呼んでくれるかい?」
「えっ、?」
「…君には、呼んでもらいたいんだ」
「…っ、レオナール、さん」
「…ッ、い、いやぁ、な、なんというか、照れるもんだね、これ」
「…慣れるまで、時間かかりそうですねっ」

なんともむず痒い、ふわふわとした雰囲気が私たちふたりを包み込む。 名前を呼びあっただけなのに、先程までの悲しい雰囲気が一気に吹き飛んでしまった。

「…レオナールさん、って呼ぶのは周りにバレてしまいますし、…私もレオ君って呼んでいいですか?」
「う、うん、そうして貰えると私も助かるよ」
「…レオ君、」
「…なんだい?」
「ふふっ、レオ君」
「…ッ、(なんでそんなに可愛いかなぁ…ッ!)」

ずっと呼びたかった、彼の名前。 嬉しくなって、つい何度も呼んでしまう。 そんな私にたじたじになっている彼を見て、堪らなく愛おしい気持ちが溢れてくる。

「レオ君、だいすき」
「…っ、私も…大好きだよ、なまえ、ちゃん」
「……ッーー!!!もう!!!それは反則です…ッ!!」
「うわあっ!?なまえちゃん、!?」

同じように名前を呼んで好きだと言ってくれる彼に思わず抱き着いた。 恐る恐る私の腰に手を回す彼に、さらに愛しさが込み上げてきて、私はギューっと力を込めると彼の胸に顔を埋めて、スリスリと擦り寄った。

「…なまえちゃん、」
「は、い?……ッ!?」

名前を呼ばれ、顔を上げる。 するとレオ君の顔が近づいてきて、おでこに柔らかい感触が。 い、今のって…っ!!!

「…、そ、そういえば!会議室の掃除を任されていたんだっけ…!?さ、さぁ、どこから手をつけようか…!!」
「れ、レオ君…い、今、ッ、き、キス…ッ」

彼の唇が触れたおでこを抑えながら、彼に視線を向ける。 するとそこには、ダラダラと汗を流して真っ赤になっているレオ君の姿。 …っなんでそんな慣れないことするかなぁ…!!もう…っ!嬉しすぎて、どうにかなっちゃいそう…!そんないっぱいいっぱいの私に、レオ君は更に追い打ちをかける。

「…き、君があんまり可愛いことをするから…っ!」
「……今のレオ君の方が何倍も可愛いですよっ!!!!」

良い大人がお互い顔を真っ赤にして、慌てふためく姿はさぞ滑稽だろう。 …ここに誰もいなくて本当に良かった!!!段々と冷静になってきた頭で考える。 …もしかして私たち、かなり小っ恥ずかしいことをしてるんじゃ…!?

「…掃除、始めましょうか」
「…そうだね」

彼も私と同じく少し頭が冷えたのか、苦笑いをしながら会議室の掃除を始めようと動き出す。 しかしすぐにピタッと動きを止め、何か言いたげにこちらに振り向いた。

「…?どうしたんですか?」
「…念のため、確認しておくけれど、…私のことサバトの牡山羊のような、い、いやらしい宴を開催している男だとは、思ってないよね?」
「…ふ、ふふっ、あははっ、」
「なっ!?わ、笑い事じゃ…っ!」
「ご、こめんなさいっ、つい、ふふっ、ふ」
「…ハァ、…悩んでる私が馬鹿みたいじゃないか」
「ふふふ、だってレオ君がそんな人じゃないのは、私が1番よーく分かってますから」
「…ありがとう、なまえちゃん」

私の言葉に安心したのか、穏やかに笑う彼を見て思う。 こんな優しい表情をする彼が、言い伝えのような人であるわけがないじゃないか。
レオ君が毎日一生懸命、まじめに魔王城の皆のために働いていることを、私は知っている。 1番近くで見ているんだから。

「レオ君が開催する淫らな宴なら、私、喜んで参加しますけどね!」
「…ッ!コラ!またそんなはしたない事を…っ!女の子がそんなことを口にするんじゃありません…ッ!!」
「ふふっ、私以外は招待しないでくださいね…?」
「…っ!ハァ…全く、本当に君は…っ!」

せっかく冷静になれたのに、またもや真っ赤になって頭を抱えるレオ君に、私はつい笑ってしまう。 今日はいっぱいドキドキさせられたから、その仕返しだ。 彼をからかうように、顔を覗き込めば、嬉しそうな、悔しそうな、そんな表情がまた可笑しくて、私は声を上げて笑った。




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