君が僕の生きる意味
「糞がァァア!おい、樋野、しっかりしやがれェー!」
不死川さんの怒声が聞こえてきて、意識が鮮明になった。重い上半身を起こすと、刀を振り回す薫の姿が目に入る。嘘だ、こんなの信じたくない。思わず目を背けてしまいそうになった僕を、不死川さんと悲鳴嶼さんが叱咤した。
「時透。樋野は鬼にはなっていない。」
はっと、顔を上げる。悲鳴嶼さんの言う通り、薫からは鬼の気配が感じられない。
「上弦の陸、肆、参、弐は倒したと伝達が来ていた。」
大切なものと引き換えに。その伝達は、僕も鎹鴉から聞いていた。そして、上弦の壱は俺たちが倒した。残るは、
「薫は鬼に操られている、と言うことですね?」
補充されているであろう新・上弦の伍と、無残のみだ。僕の言葉に、悲鳴嶼さんが頷いた。
「おい、樋野ー!!」
“パリンッ”
薫の日輪刀が割れて、彼女の体に降り注ぐ。
「薫、」
刀を失った薫は、素手で不死川さんに殴りかかるが、2人の実力差は一目瞭然。一方的に薫がやられていく。不死川さんも、薫を傷つけないように抵抗してくれているようだが、明らかに分が悪い。僕は、自身の刀を握って彼女へと歩み寄った。
「しっかりして、薫。大丈夫だから!」
必死に名を呼んで、そして抱きしめる。背丈はあまり変わらない筈なのに、彼女が酷く小さく見えた。
「不死川さん、悲鳴嶼さん、先を急いでください。此処は、僕が引き受けます。」
暴れる薫を無理矢理抑え込んで、2人を一瞥する。一瞬視界に写った玄弥を見て、全てを悟った。
「早く、無残のところに!俺たちも必ず加勢しに行きます。」
俺の言葉を聞いた2人は頷いてくださり、その場を後にしていく。信じて託して貰えた。絶対に、この子だけは、僕が守る。
「薫、しっかりして薫。負けないで、お願いだよ薫。一緒に無残を倒しに行こうよ。みんな、薫の力を必要としているんだよ。」
鬼の洗脳に負けるものかと、いつも戦っていた。苦しそうに肩を震わせて、僕の姿を探す薫を、抱きしめてあげることしかできなくて、自分の無力さを呪った。
______私が馬鹿な真似をしたら、私のことなんて捨ててくれて良いからね。
そんなこと、出来っこない。僕が僕でいられたのは、薫がいたからだ。この世で何よりも守りたいものが守れないで、どうする。
「薫。好きだよ、薫。」
美しい髪を撫でて、そっと口付ける。労わるように何度もそれを繰り返した。歯列をなぞって、逃げ惑う舌をコロコロと転がしてやる。うまく呼吸ができないのか、ヒューヒューと喘鳴が僕の鼓膜を刺激した。
「戻ってきて、僕のそばに。薫。」
「、!」
「大丈夫だから、誰も責めたりなんてしないよ。褒めてあげる。鬼に操られても尚、誰も傷付けなかったんでしょう」
「あ、むい、ちろ?」
______無一郎、
瞳から零れ落ちる雫には紅の色が混ざっていた。袖で、それを優しく拭いとる。
「ごめ、なさい。わ、私!」
「大丈夫だから。薫は、誰も傷付けてないよ。」
「無一郎、でも私!このままじゃ、」
きっと駄目になる。そんなこと言わせない。再び僕のもので唇を塞いでやる。クチュクチュと甘い音を立てたそれを、後ろへ見せつけてやるように。
「ねえ、隠れてるつもりなら無駄だよ。樋野先生。」
怒気を隠すことなく告げた。俺の胸に顔を埋めていた薫が、ピクリと再び震え始める。きっともう、薫の精神は限界なのだ。
「これ以上、薫を苦しめる事は、許さない。」
壁から顔を出した樋野先生、もとい鬼。瞳にはやはり、上弦の伍と刻まれていた。最後に見た時よりも、幾分か痩せている。そして、纏う雰囲気は明らかに鬼そのものだ。
「薫、どうしてこちらに来てくれないんだい?」
「お、お父さま、」
ゆらり、ゆらり、と僕らに近づいてくる上弦の伍。数歩後ずさりした後、薫を床へと寝かせた。
「無一郎、」
「待ってて。」
親殺しの罪は、俺が背負うから。
20200621
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