ぽつり、ぽつり、と点滴の薬剤が落ちていくのを眺めていると、コンコンと病室のドアがノックされた。大抵の人は、お見舞いに来てくれる時は事前に連絡をくれるのだけど、1人だけ例外がいる。

「はい、どうぞー!」

今日はとても調子が良い。それなのに、誰もお見舞いに来てくれなさそうで丁度暇をしていた。こういう時にいつだって来てくれるのは、

「よォ。顔色良いじゃねーか」
「雅人くん!!」
「ゾエさんたちもいるよー!」

従兄の雅人くんだ。寂しい想いをしているのを見抜かれていたのか、隊の仲間たちも引き連れてきてくれた。ゾエさんの優しい声も、ぶっきらぼうな雅人くんの言葉も、光先輩の賑やかな雰囲気も、ユズルくんの暖かな眼差しも、全部私を安心させてくれる。

「はい、叶さん。お見舞い」
「わあ、ありがとう!ここに飾るね」

床頭台の中から花瓶を取り出して、お見舞いの花を入れる。お水を汲んで来ようとしたところで、ゾエさんに止められた。

「コラコラ、ゾエさんが行ってくるよー。主役がいないと意味ないでしょ?」
「ふふっ、別に誕生日とかじゃないよ」
「何言ってんだ!叶に会いにきたんだからな!」
「あはは、ありがとう光先輩」

時枝くんから、近々起こるであろう大規模侵攻についての話を聞かされていたので、てっきりみんなの空気も重くなってるかな、と思っていたのだけど、この人たちはそういうことには無縁なのかもしれない。

「ねえ、雅人くん」
「あ?」
「うちの隊はミーティングとかしないの?」
「………何だァ?」
「ゾエさんが言ってた通達の件だよ」
「んなもん、迎え撃つだけだろ」

そうだな!と横にいた光先輩が、がははっと笑う。ユズルくんは呆れたようにため息を吐いていた。

「あたしの言う通りに動けよ、お前ら!あたしがいないとダメなんだからな!叶もだぞ!」
「あはは、うん。光先輩頼りにしてますー」
「ほんっと可愛いやつだなお前!」
「わあ。髪が崩れるー」

入院中は、毎日入浴できないから匂いも気になるし、あんまり触って欲しくないのだけど、光先輩なら良いかと思う部分もあるのが不思議だ。

「お前は1人行動禁止だからな」
「…うん。でも、そもそも退院してるか分からないよ?」
「だから、だろうが!」

もし、ネイバーが病院を攻めてきたら。近くに、自分しかボーダー隊員がいなかったら。そう言う場合のことを危惧されているようだ。

「叶さん、無理しないでね」
「ユズルくんまで…えぇ、私って信用ないの?」
「ちげーよ!男どもは、叶のことが可愛くてしょうがねーんだ!もっちろん、あたしもだからな!」

“大事な仲間だから、心配するんだよ。”

それが、とても嬉しくて自然と頬が緩んだ。

「お待たせー、何何?ゾエさん抜きで内緒話?」

窓際に花瓶を置いてくれたゾエさんが、寂しそうに肩を落とした。慌てて違うよって否定する。

「あたしらが、叶のこと大好きだって話をしてたんだ!」
「いや違うでしょ…。通達の件だよゾエさん」
「合ってるだろ?照れてんのかユズルー?」
「ちょっ、やめてよヒカリ」
「うんうん、みんな仲良くてゾエさん嬉しいよー」

ふいっとそっぽ向いたユズルくんの頭を、光先輩がグリグリして。その光景を見たゾエさんが嬉しそうに顔を綻ばせる。そして、ここは病院だぞ煩いと雅人くんが無愛想に呟いた。ワイワイガヤガヤ。彼らといるだけで、物音ひとつしなかった日が、賑やかに色づいて行く。あぁ、幸せだなと思った。

「つーか、叶!通達の件は、男共に任せといていいけど、ランク戦までには戻って来いよ!今回こそ、二宮隊にギャフンと言わせてやる!」

二宮隊。射手ランキング1位に君臨する二宮さん率いるB級1位の部隊で、うちの隊同様に元々はA級にいた隊だと聞いている。過去に因縁でもあるのか、その話題になると、いつも賑やかなうちの隊は、ピリッとした雰囲気になるので、私はなるべく触れないようにしていた。と言うか、主にユズルくんをみんな気にしているような気がする。

「叶さんがいれば、あんな人たち、すぐ倒せるよ」
「いやいやいや、私、そこまで実力ないよー」
「謙遜しなくて良いよー。那須さん直伝の鳥籠の威力は、ボーダー随一だからね。正直、味方で良かったって思うよー」
「ハッ、お前と二宮が派手にやり合う?面白そうじゃねーか」
「えええええ…」

うちの隊は戦闘狂…血の気が多い人しかいないのだろうか、と頭を抱えた。私のトリオン量は、多いとよく言われるけど、それでも、二宮さんには、敵わないはずだ。

「別に1人で勝てなんて、言ってないでしょ」
「そーそー!頼りにしてるよー叶ちゃん!」

ゾエさんが、優しく頭を撫でてくれる。退院してからの新しい目標ができたなあと思った。やることがいっぱいで、忙しい日々だ。夢にまで見たこんな日々が永遠に続けばいいのにな、と思わずにはいられなかった。




























その日は、突然やってきた。



その日の私は、午前中に主治医のもとを両親と共に訪ねた。そして、自分の体の状態を聞かされた。涙を流す母親の背中を優しく撫でながら叱咤する父親。大丈夫だとぎこちない笑顔で、私に何度も同じ言葉をかけた。でも、私は知っている。そんな父親の手が震えていたことを。私は、そんな2人になんて言葉をかけて良いか分からなくて、ただただ俯いていた。

「叶………」
「ほら、早くしないと仕事に遅刻するよ。いってらっしゃい」
「また夕方に来るからね」
「うん、ありがとう」

病室に戻って、ベッドに転がり込んだ時、ようやくため息が漏れた。仕事へ行くと言う両親を見送り、1人きりになる。それを確認した途端、止めどなく涙がこぼれ落ちた。何を想ってかは、分からない。ポタポタと落ちゆく雫が、シーツを濡らして染みを作って行くのを、黙って見つめていた。このままじゃ、いけない。

「頑張らないとね」

言い聞かせるように呟いて、ふと空を見上げた。そこには恨めしいほどの青空が広がっていて、自分がこの世界でちっぽけな存在なんじゃないかと言う錯覚に陥る。再び、大きなため息が漏れそうになった途端、上空からサイレンが響き渡った。

「、!」

立ち上がって、街を食い入るように見つめる。任務で何度も門(ゲート)が開くところを見てきたけれど、こんなにも多いのは初めてだった。空が一気に黒く染まって行く。先ほど別れたばかりの両親の顔が浮かんで、消えて行った。

「お父さん…お母さん…」

こうしてはいられない。ベッドから出て、コートを羽織る。ポケットに入っているトリガーを握りしめて、病室を出た途端、

「うわああああああんっ…怖いよぉー…!」

隣の病室に入院している女の子が私に抱きついてきた。4年半前の大規模侵攻では、彼女はきっと赤ちゃんだったのだろう。初めて命の危険を感じているのにも関わらず、近くに両親もいないようで、そんな子が私に縋った。私は、彼女を抱きしめて、大丈夫だよと微笑んだ。

「大変!病院の入り口にネイバーが!みんな早く屋上に!」

看護師さんの悲鳴が病棟に響き渡る。泣いてるこの子を慰めて、そして、見知った看護師さんに預けた。

「お願いします」

B級隊員は隊員が全員揃うまで戦闘禁止だけど、そんなこと言ってられない。雅人くんたちを待ってたら、誰かが死んでしまうかもしれない!

「待って、叶ちゃん何処に行くの?貴女は、絶対安静なのよ!」
「緊急事態です。有事の際に動けなくて、ボーダー隊員なんて名乗れないじゃないですか。この病院にいる人たちは、私が守る」
「叶ちゃん!」

お世辞にも居心地が良いとは言えない場所。薬剤の匂いや、偽りの笑顔で溢れた大嫌いな場所だけど、此処にいるおかげで、私は生きて来られた。此処に戻ってくるたびに、何度も涙を流して、その度に助けてくれた人たち。その人たちのことだけは、大好きだから。力があるのに、蚊帳の外なんて嫌だ。今日は、私が守る。

「トリガーオン」

一瞬だけ過った君の顔に気づかないふりをして。トリオン体へと換装する。そうすると、ウソのように重かった身体が軽くなった。看護師さんの静止を振り切って、階段を駆け下りて行く。

__無理しないって、約束して欲しいんだ。進藤に何かあったら、オレは………

謝罪の念を何度も唱えながら。病院の入り口までたどり着くと、ようやく視界に捉えた化け物を睨みつけて構える。

「バイパー!!」

不規則な軌道を描きながら、忌々しい化け物へと向かって何発も何発も放つ。絶対に此処を通しはしない。

「本部、こちら影浦隊の進藤です。三角市民病院に大量のトリオン兵が襲ってきています。とりあえず、医療従事者と患者さんは屋上へと避難をはじめていますが、あまりにも数が多く、私だけでは無理です!援軍をお願いしたいです!」

状況を正確に捉えて、必要なことだけを叫んだ。

「忍田だ。近くに嵐山隊がいるから向かわせる。それまで、なんとか耐えてくれ」

嵐山隊と聞いて、1番に彼の顔が浮かんだ。彼らが来てくれるのならば、きっと、みんな安心するだろう。そして、多分私自身が1番。

「わかりました。メテオラ!!」

こう言う時に、自分の機動力の無さが嫌になる。射手というポジションに就いて本当に良かったかもしれない。敵に近寄らなくても、私のこの多いトリオンで忌々しいネイバーを倒す事ができる。

「アステロイド!ハウンド!」

それでも、限界はあって。トリオン体で、普段よりかは何倍も元気なのに、弾を放つたびに、気力と体力が削られて行くのがわかる。そもそも、生身の体調はかなり悪いのだ。換装を解いてからのことを考えると、ブルリと身体が震えてしまうので、気づかないフリをすることにした。援軍が来るまで、なんとか持ち堪えないと!

「………っ…とき、えだくん、」

何処から湧き出ているのだろうか。モールモッドやら、バムスターやらが、一向に減ってくれない。焦りが募って、助けてと名を呼んだ途端、

「進藤っ!!」

後ろから、ふんわりと抱きしめられて、私の名を呼んでくれた。視界に広がるのは、真っ赤なジャージたち。それに安心してしまったのか、ポロポロと涙が溢れる。今日の私は、泣いてばかりだ。

「怪我してない?」
「時枝くん、私、トリオン体…」
「あ………、そうだね」

こぼれ落ちる雫を拭われる。強張っていた身体から、スッと力が抜けて行った。

「すみません嵐山さん。5分だけ時間を貰えますか」
「ああ!此処は俺と賢に任せて行ってこい!」
「行くよ、進藤」
「え、」

歩ける?と身体を気遣われる。私は、力強く頷いて、彼の隣に並んだ。嵐山さんと佐鳥くんが奮闘しているのを眺めていると、時枝くんは再度口を開いた。

「とりあえず、換装解こうか」
「………それは、」
「進藤、君は今、トリオン体になって良い状態じゃないよね」
「でもっ、」
「無理しないって約束したのは、嘘だった?」
「違うけど、でも!」

みんなが戦ってる中、私だけ、何もしないなんて出来ないよ。その言葉を言おうとした途端、時枝くんの左手が私の口を塞いだ。まるで、私の言いたいことなんて分かってるって言いたげに。

「換装を解いて、調子が良かったら、そのままシェルターの警備に回って欲しいんだ。みんな、突然の不幸で動揺して苦しんでる。そんな人たちの、心の支えになってあげて」
「…、え?」
「進藤は、人の気持ちを読むことに長けてるから。その優しさが、シェルターの人たちの救いになれると思う。ねえ、進藤。オレはね、前線にいる人たちだけが、戦ってるわけじゃないと思うんだ」

トリオンの研究に自分の時間を費やし、様々な武器を作ってくれる研究室の人たち。戦況を分析して、隊員へと指示を出すオペレーター。怪我人を治療する医療従事者。ボーダーの指示に従って避難をしている人たちだって、同じように見えない何かと闘ってる。

「シェルターの方は、人手が足りないみたいなんだ。少しでも戦える人間は前線に出されているから。だから、進藤。オレたちが守った人たちの心を守りに行ってよ。」
「時枝くん………」
「こんなこと、君にしか頼めないよ。忍田本部長も、進藤なら安心して任せられるって言ってくれてる。だから、」

戦い方は人それぞれだ。そして、こんな状態の私にも、できることがあるのだと教えてくれる。

「分かった」
「そう言ってくれると思った」
「それに、約束したもんね」

ふっと少しだけ微笑み合う。そして、一瞬だけ、時枝くんの手が私の頬に触れた。

「ねえ、進藤。この戦いが終わったら、話したいことがあるんだ」

聞いてくれるか、と問う君に、こくりと頷いた。そして、背を向けて、別々の方向へと歩んでいく。未来確定まで、あと___。











20200704


 

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