確かに自業自得だと思わないわけではない、思わないわけではないんですが、それにしても今の状況は自分なりに大変厳しい状態でして。願わくば、誰かに本気で同情してほしい。

立て込んでいた論文提出を終えて、ふらふらの体で向かった先は我が読書愛好会サークル部室。建設されてから半世紀ほどたつこの建物は、見た目どおりあちらこちらで老朽化が進んでいる。歩くたびにぎしぎしと鳴る廊下や小さく風が吹くたびに大げさに揺れる窓枠。学生達はその古臭さを酷く毛嫌いしているようではあるが、自分は逆にその年月の重みをひしひしと感じるこの建物が好きだった。

小さな館の二階の部屋。狭い空間の中、机を挟んだ一番奥の窓際の席。それがサークル会長である木佐翔太のお気に入りの定位置だった。青空から零れる白い光りが、その場所にひだまりを作り、酷使した体を優しく包み込みそれが酷く心地よい。ああ、疲れた。もうこのまま眠ってしまいたい。ささやかな願望はいつの間にか実行に移されていたらしい。気づけば机に頭をつっぷして、そのままうとうとと眠りかけていた。もういいや、このまま寝ちゃえ、と脳に命令を出し、本格的な睡眠に入ろうとした矢先、同じく室内に駆け込む二つの人間の気配に気づく。

眠くて目を開けていられはしないけれど、発生する声のトーンだとか小さな物音でそれが誰であるのかはすぐに分かった。我が読書愛好会の期待の新人の律っちゃんと、当サークル一番のクールビューティー嵯峨くんだ。ちなみに、律っちゃんはともかく、嵯峨くんは自分にそんな愛称がついていることを彼自身は知らない。勿論その愛称をつけたのは自分であるのだけれど、最近はそれを改称しなければならないかな、と認識を改めつつある。それには無論理由というものがあるわけで。

この小動物のように愛らしい律っちゃんと、何考えているのか一見よく分からない宇宙人みたいな嵯峨くんの両二人は、この度めでたくお付きあいを始めたらしい。お互い男同士という弊害はあるものの、自分自身にそれに対する偏見などまるで無いし、他の読書愛好会のメンバーも、本人幸せならいいんじゃない、と割りとフリーダムな意見を持っているためか、結局この二人を暖かく見守ろうという結果に落ち着いた。

律っちゃん自体は付き合い始めたからと言って、その性格の大きな変化はない。相変わらず嵯峨くんが今も昔も世界で一番大好きで、彼の為だったら本気で何でもするのだろう。変わったといえば、それは嵯峨くんの方だ。以前は、律っちゃんが嵯峨先輩好き好きオーラを発生させてているときに、わざとらしくそれをからかえば、心底嫌そうな顔をしていた。普段はクールすぎるくらいにクールなくせに、そういう時に限って反応を見せるという時点で、彼も律っちゃんを意識しているのは周囲から見てるとバレバレなのだが。当の本人がその事実に気づいていないから、それが面白くて。だというのに、今はこいつ微笑みやがる。微笑みやがるんですよ!律っちゃん相変わらず嵯峨くん大好きだよねえ、と含めた言い方を彼にすれば、そうですよ、こいつは俺が好きなんですよ、いーでしょ、みたいななんとも言えない嬉しそうな表情を浮かべやがる。

からかっていたはずの自分は、いつの間にか惚気を聞かされていることに気づいても、後の祭りだ。おかしい、嵯峨くんにダメージを与えるはずだったのに、何故かダメージを受けているのは自分ってどういうことだ!と憤慨しだすのも勿論度々。

二人が幸せなのは良いことだと思う。大変良いことだと思うんだけど!こういう切り返しをされるのは結構癪に障って。二人で遊ぶはずだった日常が、二人に振り回される毎日に変わりつつある。それが何だか凄く不満に思えて、その仕返しをしてやろうと決めたのもこの時だった。

計画はこうだった。まず、自分は狸寝入りを決め込む。しばらく二人を放っておけば、必ず二人はいちゃいちゃを始める。最近は周囲の視線もお構いなしにいちゃいちゃしているわけだけれど、いちゃいちゃがいちゃいちゃを超えようとした頃を見計らって、いやー実は起きていたんですよ!アハハ!と三文芝居よろしく自分は目を覚ます。そこまでやれば流石に嵯峨くんだって、前みたいな面白い表情を浮かべてくれるだろう。そう思っていた。思っていたんですよ。その認識の甘さに気づいたのは、狸寝入りを始めた後の割りと早い段階で。

予想外にこの二人。いちゃいちゃ通り越して、いきなりラブラブし始めたわけでして。本当に何てこったいという感じですよ。いちゃいちゃだのラブラブだの、表現がかなり曖昧で申し訳ないんですが、色々察しろ。というか、妄想でカバーしろ。やれば出来るから!

さほど距離の無い室内で繰り広げられる後輩達のラブシーンは流石にきつい。きついなんてもんじゃない。変な汗が背中をだらだらと流れるわ、あまりの緊張感で思わず体も強ばるわ。仮にも、先輩が寝ている―いや、実際は寝たふりをしているわけなんですが―ところで破廉恥な行為をするのは如何なことかと思うよ!もうちょい!もうちょい!恥じらいと気遣いを持とうよ!と机に顔を埋めたまま心中必死に叫んでみてももちろんその悲鳴に似た懇願が二人に届くはずもなく。

くそう。そもそもこの二人に関わった時点で、どっちにしろ自分が大ダメージを受けるんだよな、と今更ながらその事実に気がついた。気づいたところで、もうどうすることも出来ないし、そうやって無謀な行為を行った自分の迂闊さを呪っている間も、勿論ちゃくちゃくと二人の状況は進行しているわけで。

なんだか本格的にちゅーとかし始めそうな二人の雰囲気に、駄目だよ!駄目なんだからね!この小説R指定じゃないんだからね!そういう表記なしにいきなりそういうシーンに突入するとか大人としておかしいからね!という必死の忠告も、どうせ無意味に決まっている。ああああ!もう誰でもいいから止めてくれよこの状況。そして誰か助けてヘルプミー!俺、神様の存在とか信じない無神論者だけど、今から信じる。信じるから、神様でも仏様でも仏陀でも釈迦でもキリスト様でも良いから、誰でも良いから早く助けろこのやろう!

と逆切れしつつ半泣きになりながら願えば、どうやら俺の願いは届いたらしい。危機的状況を打破する救世主が何とか現れてくださった。誰か部屋の中にいる?と部屋の外から響いてきた声は後輩である美濃のもの。その声に弾かれたように二人もぱっと体を離したところで、部室のドアがそっと開かれる。いつものにこやかな表情を浮かべる美濃に、ああ、居たんだねと言われれば、一方はしれっとした顔で、一方は真っ赤になった顔でその所在を告げる。

とにもかくにも助かった。あとは頃合を見て、今までのことなんか忘れたふりをして目を覚ませばいい。美濃。ありがとう。いつもお前の笑顔は胡散臭いとか言ってごめん。今は仏様の顔に見えるよ…と内心両手を重ねて拝んでいると、まだ眠ったふりをして机に体を縮めている俺に、ぼそりと彼は言ったのだ。

「悪いことを考えると、そういう目に合うんですよ」

お前いつから俺が寝たふりをしているのに気がついていたのか。そして、自分が何を考えてどうしてこういう状況に陥ったのか、それすら全部分かっているぞと口にしたのはどういう根拠か。当の二人が帰った後にそれとなく尋ねてみれば、美濃は勘ですよ、と一言だけ言った。何お前、勘で全部分かっちゃうの?どんなエスパーだよ、と突っ込めば、こいつは、さあ?どんなのでしょう、と楽しげに意地悪そうな笑顔を浮かべていた。

前言撤回。やっぱりお前の笑顔はほとほと胡散臭いわ。





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