「本当に驚きました」


と、溜め息のような声を漏らしながら、雪名が段ボールに入った箱をばりばりと音を立てて開けはじめた。中から出てきたのは、服やら、本やら。或いは食器やら。その一つ一つを丁寧に中から取り出す。一方俺はといえば、片手に箒、片手にちりとり、という何とも言えない格好で、せっせせっせと新居の片づけに熱中している。口を動かさなくてもいいから、黙って手を動かせ、と言えば雪名は大人しく、はい、とだけ呟いてまた箱の中を漁り始めた。


驚いたのはこちらの方だ、と内心に思う。


あの教会でミオと別れた直後、俺の行動力は、それはそれは素晴らしいものだった。教えてくれていた新しい雪名の部屋に、事前の連絡をすることもせずに、挙句の果てには彼を無理やりに連れ出して飛び立った。勿論、行き先は彼の故郷。後先のことなんて何一つ考えもせずに、おそるおそる俺に話しかけようとする雪名に黙れと命じ。そしてそのままの勢いで奴の実家にお邪魔して、自分達の関係を洗いざらいぶちまけてきた。


初めまして。こんにちは。お宅の息子さんの恋人の、木佐翔太と申します!


何とも不思議な話だが、興奮していた自分が冷静になったのはその台詞を吐き出した瞬間で。はた、と気づいた時には驚愕したように口をあんぐりと開けていた雪名の家族が目に入り、正直、それが一番の修羅場だった。俺が、ミオに勇気を貰って覚悟を決めたことを知らない雪名、そして自分達の愛すべき息子がいつの間にかホモになっていたことを初めて知ったその家族としては、その反応はいたく自然なことだっただろう。


大変今更なことではあるけれど、その時にやっと、俺は自分が何をしでかしたかを理解したのだ。一気に頭が爆発して、何を言えばいいのか分からなくなり、年甲斐もなくあわあわとしていたところで、それを助けてくれたのは雪名だった。ほら、みんな。この人が“木佐さん”だよ、と。は?お前、何言っているの?と動揺する俺とは正反対に、雪名の家族は一転して歓迎モードになる。ああ、君が例の木佐くんね、と奴の母親らしき人から微笑まれ、ああ、君が木佐くんなんだね、と彼の父親らしき人物からぽんぽん、と肩を叩かれた。


この辺りで、流石の俺もようやく事態を呑みこめた。おい、まさかお前、と隣にいる雪名を睨むと、素知らぬ顔で相変わらずきらきらとした笑みを浮かべている。もしかすると、もしかしなくても。コイツ、自分の家族に俺のことを話していやがったな、と知るには十分すぎる状況だった。


だって、仕方が無かったことなんです。と苦笑いを浮かべながら雪名が言う。俺、意識がない間、ずっと木佐さんの名前をうわ言のように語っていたんです。だから、目を覚ました時に家族に追及されて、それで。という説明だけでおおよそのことは判断がついた。あまりのいたたまれなさに思わず逃げ出そうとする俺を、今度は雪名どころか家族全員で引き留めてきた。軽い軟禁状態と用意された豪華な食事。とりあえず歓迎されているらしいことは、何となくだけれど分かった。


息子を失うかもしれないという恐怖にずっとずっと耐えていたから。その息子が無事で、さらに新しい息子が出来るなんて大歓迎。


と随分と楽観的なことを考える彼の家族は、なるほど、やはり雪名の血縁者だ。あとはもう猪突猛進の如く、今後いきなり雪名に消えられると全体的に俺が困るので、あちらで一緒に住んでも宜しいでしょうか?と本音を乞うと、二人が決めたのならそれで良いんじゃない?という返事をくれる。こんなことなら、もっと早くこうすればよかった。俺の渾身の決断とか決意とか。本当に馬鹿みたいで、思わず涙ながらに笑ってしまった。


新居の件については、俺と雪名でやや揉めた。社会人の俺と、学生の雪名では生活リズムや生活圏内が全く違うわけで、その兼ね合いが一番の問題だった。結局いつしか雪名も学生ではなくなるので、その先を見据えて、ということで、大半は俺の望む条件が叶うこととなった。それについて、雪名には悪いけど、という言葉を奴に告げれば、俺はぶっちゃけ木佐さんと一緒にいられれば何でも良いんですけど、と全てを台無しにような台詞を軽く言ってくれる。


でも、それが雪名皇という人間だった。






あの日以来、俺はミオの姿を見てはいない。


北海道から自宅へと戻り、これからのことを話そうとしたのは良いものの、彼女の姿は俺の部屋から忽然と消えていた。例えば鼻歌を歌いながら鍋を煮込んでいた彼女の後ろ姿とか、何も映さないくせに髪を梳き続けるその残像とか。彼女の気配は家の中から溢れるくらいに感じられるのに、ただただミオの姿はそこには無かった。けれど俺は、そんなミオを探そうとはしなかった。だって、彼女と出会っていた時から分かっていたことだ。いつしか、自分達二人が離れなくてはならないこと。お別れの時がくること。生きている人間と死んでしまったそれが、一緒に暮らすという不可解な状況に終焉はやがてやってくる。ああ、多分その時が来たのだと。思いついて、笑いながらすぐに否定した。


違う、まだ彼女はいる。きっと、俺のすぐ傍に。


全く心配性な奴だ。そんなの不安がらなくても、ミオが俺に教えてくれたこと。そんな簡単に忘れるわけがないだろう、と小声で言いつつも、未だそれを実行出来ていないくせに言えた道理ではないかと思い直す。


引っ越し作業はまだ途中。雪名に、一息入れるために散歩に出かけないかと外に連れ出した。


新しい街、と言っても、実際は今まで住んでいた場所のすぐ近くなので、これといって新鮮味があるわけでもないが、二人で歩けばそれなりに新しい発見があった。ああ、こんなところに小さなお店があったんだとか、この場所から眺める街の景色が、凄く綺麗なこと。そうやって歩きながら、俺たちは一緒に過ごすこれからのことを語る。


偶然か否か。この街にも、どうやら教会らしきものがあるらしい。


先生の家の近くのものに比べればそれはこじんまりとしたもので、一見して人の気配はない。寂れてしまったような趣を感じながら、雪名と一緒に腰を下ろしたのはその近くの公園のベンチだった。時間帯が時間帯だけあってか、公園には人らしき姿はない。何か飲み物を買ってきますね、という雪名の一言にん、と頷き、青い青い空を眺めた。


例えば三年前。こうやって俺は一人で空を見上げていたよな、とふと思い出す。


あの頃の自分と言えば本当に酷かったと、つい笑ってしまう。正直、ネガティブ思考一直線だったし、自分だけならまだしろ、赤の他人を傷つけることがなくて本当に良かったと思う。目に見えるものが全部憎くて、世界に裏切られた気がして、何もかもが嫌になって。ああ、本当に笑えてしまう。




あの過去を笑ってしまえるほど、今、俺は幸せで。




そして、心の中で唱え始める。ずっとずっと雪名に言いたかったこと。今までずっと言えなかったこと。俺は自分の元を離れた雪名を馬鹿みたいに待ち続けて、そして今も待っている。雪名が、帰ってきてくれることを信じて。



だから今度こそちゃんと俺の元に戻ってきてくれた雪名に伝える。



「なあ、雪名」
「はい、何ですか?木佐さん」




俺はお前のことを、裏切りました。




三年前、お前が急に俺の目の前から消えて。最初は、お前の身に何かあったのだと不安になりました。俺なりに、雪名の消息を探してみました。けれど、いくらお前の姿を此処で探してみても、俺はお前を見つけ出すことが出来ませんでした。探し当てることが出来ませんでした。


だから、俺はお前に捨てられたのだと思いました。


雪名が事故にあったなんて知りませんでした。お前が、三年間眠り続けた事実も、何も知らないまま。俺はお前のことを裏切り続けました。お前以外の男と、体を重ねました。俺のことを汚いと思うなら、拒んでくれても良い。最低な奴だと罵ってくれても良い。でも、それでも。




俺は、お前のことが好きです。大好きです。




どうか俺を、許してください。


吐き出す息交じりに零れた涙ごと、俺の体は雪名の温かな腕に包まれる。髪に絡む指先から、そして耳に掛かるその吐息から。俺は雪名の存在をすぐ傍に感じる。留まることを知らない涙は、次々に溢れ、雪名の服を濡らしていく。強く、深く抱きしめながら、離すまいとする彼は、震える声で俺に言った。


「俺は、愚か者です。この世界に大好きな人がいて、その人を三年間も放っておきました。付き合ってくださいと俺がお願いしたのにも関わらず、自分の好きな人をたった一人にしました。苦しかったでしょう。悲しかったでしょう。そんな馬鹿な俺を、どうか許してください」


馬鹿なのは俺で、大馬鹿者なのは二人で、ああ、だからこうやって自分達の愚かしさを知っているからこそ、私たちは許し合える。


誰かを許すということは、自分を許すことだから。


「俺が、お前のことを許さない訳がないだろう」


と俺が告げたところで、雪名はふるふると首を振った。俺は、許しません。木佐さんのしたことを、絶対許しません。さっと青ざめる俺に、雪名は微笑みながら続けて言う。だから一生俺の傍にいて、隣にいて、その罪を償ってください、と。




そんなの。幸せすぎて、罰にもならない。




それは夢の中の出来事だった。



多分、遠い遠いどこかの場所。緑の生い茂る草原の中、俺は一人で気持ちよさそうに眠っていた。柔らかな風が頬をくすぐり、木々のざわめきが耳に届いたと同時に、何処かで聞き覚えのある歌声が聞こえた。…疑いようになく、ミオのものだった。


ぱちくり、と目を見開いた。朗らかに笑う、ミオのあの優しい笑顔が視界いっぱいに映った。


お久しぶり、それと初めまして。


彼女が、随分と奇妙な挨拶をする。けれど自分の喉元から出たものと言えば、初めまして、のただ一言だった。殊更奇妙な言動をする俺に、なのに彼女はただただ微笑みながら、小さく、俺にだけ聞こえるように囁いた。


お願い。どうか伝えて。私は今でも待っています。


その一言で、多分俺は今まで知らなかったことの全てを、何もかも分かってしまった。どうして、俺が彼女を見つけたのか。どうして彼女が俺の傍にいてくれたのか。彼女が一体何者なのか。



どうして、俺だったのか。



手を伸ばしてうっすらと消え始める彼女の腕を掴もうとして、けれどその姿はまるで泡沫のように散り散りに消え始める。ミオ、と名前を呼んだ。…返事は無かった。ミオ、ともう一度数年間、いつも傍にあった名前を呼んだ。もうそれが、届かないものだとようやく分かった。



朝、目が覚めて一番最初に見えたのは雪名の眠る姿で、肌寒い体を布団でくるみながら、その可愛らしい寝顔をじいっと眺めていた。起きないでと思った。起きて欲しいとも願った。けれど数分後に、あっさりと雪名は目を覚ました。寝ぼけ眼のままに手で瞼をこする雪名に、俺は今までずっと内緒にしていた秘密をこっそりと打ち明けるみたいに彼に言った。



なあ、雪名。俺の話を聞いてくれる?






実は俺、魔法使いなんだ。





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