あの日以来、ミオはまるで自分に取り憑いたとでも言わんばかりに、俺の目の前に現れ続けた。夜眠りにつき朝目覚めれば、奴の姿は忽然と消えていて、まどろみの中に彼女を想う。と何かの小説みたいなありきたりな展開をうっすらと期待していただけに、実に能天気な顔をしてこれまた勝手に新婚の新妻よろしく朝食なんてものを作っていたから。俺は未だ夢でも見ているのだろうかと流石に頭を抱えた。しかし一方でミオは、そんな俺の姿を気にした様子もなく、お早う、良い朝だね、などと声をかけてくる。渋々ながら彼女の挨拶に返事をかえし、二人顔を見合わせるように座っていただきます。料理を食べることが叶わない彼女は、黙々と食事を進める俺の姿をただ微笑んで眺めているだけだったとしても。それでも、穏やかな朝の食卓の光景に違いなかった。


「…ね、ショウ」
「…何」
「私、しばらくここにいたら駄目かなぁ…」


食事も終盤に差し掛かる頃、上目使いをしたミオが甘くねだるような声で俺に尋ねた。…やっぱり。そうくるとは薄々思っていたのだ。一体何処にそんな材料があったのかは知らないが、やや薄味の浅漬けを口に入れてバリバリと噛み砕きながら考える。さて、どうしたものか。彼女の懇願はある程度想定していたとはいえ、実際こうしようという判断は全くしていなかった。幽霊と一緒に暮らすとなると、メリットよりもデメリットの方が良く思い浮かぶ。そりゃあ他の人間に彼女の存在はどうせ見えやしないのだから、家賃も必要なかろうし、何も食べないのだから食費だって勿論かからない。唯一発生しそうな水道光熱も、自分一人が夜な夜な外食するよりは明らかに経済的だ。金銭的には何の心配もない。けれど、精神的な面ではどうだろう。俺が、幽霊だとは言え、仮にも女と暮らすというような恋愛の真似事みたいなことが出来るだろうか?そもそも、俺が自分以外の誰かと一緒に同じ家で過ごすということ自体想像し難い。誰かに相談したいのもやまやまだが、誰に何を言うのだ。どんなに工夫して伝えたとしても、俺の頭がおかしくなったと思われるだけなのだろう。と悶々と考えこんでいると、視界の端に顔をやや曇らせたミオの表情が見えた。知り合ってから実質一日も経過していないというのに、落ち込んだような顔を浮かべる彼女を、らしくもない、と勝手な感想を抱く。


「お前さ、」
「………?」
「帰らなくてもいいの?」
「私が帰れる場所なんて、もう何処にもないわよ」


結局、その彼女の台詞で腹を括った。否、答えは多分最初から自分の中に出ていたのだろう。最初から無理なお願いだと判断していたならば、俺は彼女をとっくの昔に追い出している。悩むということは、心の何処かに彼女を自分の元に引き留めたいという気持ちがあったから。潔く認めよう。俺は、ミオにここにいて欲しいのだ。


「約束しろ」
「…え?」
「今度俺を脅かす真似をしたら承知しないからな。あと、必要以上に料理を作ることも禁止。それと、お互いのプライバシーはそれなりに守ること。それが出来るのなら、考えてやらなくもない」


割とぶっきらぼうな口調で伝えたにも関わらず、俺の声を聞いた途端ミオは感極まった用に俺に抱きついてきた。…おい、このやろ。お前、また金縛り使ってんじゃねーか、という言葉も生憎声が出ないので伝えることも出来ない。最初から約束を破りやがった彼女に憤慨しつつも、ミオが涙声でありがとうありがとうと繰り返すものだから。怒る気力も消え失せて、思わずくすりと笑ってしまった。


彼女は、とても大切なことを二つ教えてくれた。


一つは、何故あの時に俺のことを必要以上に追いかけ回したかという理由についてだ。実は、俺の部屋に訪れるまで、彼女はあの教会に居候をするような形で暮らしていたのだという。もともとミオは生身の人間ではないし、普通の人間には見えもしないのだから、棲家としていたと言うには語弊があるだろう。事実、彼女は随分と長い間あの場所に留まっていたようだが、誰一人としてミオの存在に気づきもしなかったから。彼女の姿を視界におさめ、言葉をも交わすことが出来る俺以外には。誰かと会話をすることが久し振りすぎて、それが酷く嬉しくて、思わず追いかけてしまったと。まるでいじめっ子のガキのようなことを悪気なく口にするものだから、そのまま毒気を抜かれてしまう。

けれど、それだけでない。俺の姿を追ったのには、他に原因があるのだと彼女は告白した。


ショウ、あの人の家から出てきたでしょう?だから、それで。などと語尾を濁しながらぽっと頬を赤らめるミオの表情を目にして唖然とした。それがいかにも少女漫画でよく見かけるような恋する乙女みたいな瞳をしていたから。


「あの人、いつも教会に来てくれるのよ。それこそ、晴れの日も雨の日も、嵐の日だって。よくもまあこんなに毎日来ることが出来るわねー、とか思いながら目で追いかけていたら、いつの間にか好きになっちゃった!」


何ともあっさりと白状した彼女の恋心だったが、一方で自分と言えば内心突っ込みたくて突っ込みたくて仕方が無かった。いくらなんでも年が離れすぎてるだろ?と思わず口にすれば、私、いくつに見える?といかにも年上の女性が酒の席で使うような台詞を返してくる。そういった類の質問は、非常に厄介なものでしかありえないのだが。


「お前…まさか」
「確実にショウよりはお姉さんよね〜」
「お姉さん、の年じゃすまないんじゃないの?」
「ノーコメント」
「年齢詐称かよ」
「見た目高校生に見えるショウには言われたくなーい」
「好きで童顔やってんじゃないけど」
「私は私のこと大好きだもん!」
「言ってろ」


小気味の良いテンポで繰り返される彼女との会話は、どこか心地良かった。あの人は先に私が見つけたんだから、ショウは手を出しちゃ駄目なんだからね?とミオは剥き出しの嫉妬を見せる。大丈夫だ、俺は年が近い人間が好みだからと答えれば彼女はあっさりと敵意を引っ込めた。


ちなみに、自分の異常な性癖については、彼女と一緒に暮らし始めた矢先にカミングアウトした。秘密というのはつまり、誰かに言い振らされて困るからこそ秘密にしている訳であって、口があれどもその事実が他の人間に伝わることがなければ、何も恐れることはない。正直に言えば気持ち悪がられるかな、と不安になりはしたものの、当の本人は割とあっさりとしたもので「ああ、そうなんだ」と何事も無かったように流してしまった。おい、それで良いのか?と思わず聞き返してしまえば、彼女は一つ笑って「だってショウは、初めて会った時以外に私のことを気味が悪いだなんて思わずに受け入れてくれたでしょう?それと同じ」と言う。もしかすると、俺と彼女は性格だとか考え方が、実はとてもよく似ているのかもしれない。


叶わない恋をしているところも。


俺が仕事に出ている間、彼女は一人であの教会を訪れているらしい。あの夜に自分のことを助けてくれた老人のことが好きならば、直接家に行けばいいんじゃないの?と何気なく提案する。すると、彼女は困ったように頬を緩めて、ぷるぷると首を振ってしまった。


「そうしたいのはやまやまなんだけどねー。近寄れないんだ、私」
「…?何で?」
「あれくらいの年齢になるとね、私の存在は害悪にしかならないのよ。傍にいたら、確実に寿命を縮めちゃうレベル」
「……おい、その理屈なら俺はどうなるんだよ」
「ショウくらいの若さならまだ全然へっちゃらよ!むしろ、ショウには良くない気がいっぱいついているから、それを私が減らしてあげてるんだから」
「…良くない気?」
「んー、残留思念ってやつかな〜。質の悪い男の。心当たり、あるんじゃない?」


それってもしかすると、男のエキ…とか何とかいうものだろうか。妙に焦った気持ちになる横で、ミオは「栄養は摂り過ぎたら害悪にしかならないのよ〜」と確信めいた台詞を吐いてくる。この女、只者じゃないなと心の中で思った。実際、只者っていうか、人間じゃないんだけどさ。


先日の謝罪という形でミオの想い人のご老人の家に伺ったのは、数日も経過しないうちのことだ。別に取り立てて急ぐような用件ではないにしろ、これほどまでに早く動いたのはミオがどうしても会いに行きたいと言い出したから。彼女の強い希望に押されるような形で、菓子折りを一つ持ちながら訪れた先生の家。そして最初の一回をきっかけにして、その後ずるずると彼の家へ定期的に遊びにいく羽目になってしまった。


ミオは決して、先生の家には入ろうとはしない。彼女曰く、俺が先生の家にいる間は、気配だけでこの家の中の様子を探っているのだという。そんな芸当が出来るのなら、何も俺がこの家に訪れなくても、お前一人だけでも出来るだろうという指摘をしてみたこともあるが、案の定ミオに鼻で笑われてしまった。


「ショウは分かってないわねー。好きな人に会いにいくっていう行為こそに意味があるんじゃない」


そんなのは分かりたくもない。


それは珍しくミオが俺のベッドの上ですやすやと眠っていて、その時の俺はといえば徹夜明けでふらふらになりながら帰宅した直後だったものだから。そのあまりにも幸せそうな寝顔に安らぎどころか、むしろ殺意を覚えてミオを叩き起こした。実際、俺は彼女に触れられはしないので、耳元で怒鳴ることくらいしか出来なかったけれど。


そんな俺の必死な声が届いたのか、ミオがぱちりと目を見開いた。勢いよく上体を起こして、自分の顔をじいっと眺めながら、ふわりとした微笑みを浮かべて俺にこう教えてくれたのだ。


「実はね、私は魔法使いなの」





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