俺が雪名皇という当時大学生になりたての十八歳の青年に出会ったのは、今からおおよそ三年前の秋だった。例えば柄の悪い男共に絡まれているところを助けてもらったとか、落とした大事なものを拾ってくれたのがその人だったとか。そういった希なる状況下で出会ったという訳では決してない。人の未知なる人物の遭遇とは、基本的に日常の中に潜んでいるものだ。俺と雪名のファーストコンタクトも、うっかりすれば忘れてしまうような日々の出来事の中に起こった。後々に考えれば運命的な出会いも、その時の俺からしてみればそんな意識は勿論芽生えていたはずもなく。


仕事帰りにたまたま寄った本屋で、たまたまレジがこいつだったのだ。初めて雪名の顔を真正面から見たときは、流石の俺ですら一瞬呼吸が止まってしまった。自分が所属しているエメラルド編集部は、それこそイケメン揃いとして巷では有名で。美形という美形を毎日のように目にしてきた俺ですら、息を呑むほどの美しい人だったから。ついでに言えば、彼をそういった対象で見たとするのなら、迷わずどストライクだった。……けれど、だからといって雪名と付き合いたいなどとは考えもしなかったのだ。その時はまだ。


これをきっかけにし、俺はそれらしい用事を見つけたのなら迷わずこの本屋に足を向けるようにした。もしかしたら彼に会えるかもしれないという期待に胸を弾ませて出向いた訳ではないが、その姿が見えないなら見えないでそれなりにがっかりした。事前に弁解をすれば、俺は本屋の青年に特に恋愛感情を抱いていたわけではない。それはつまり可愛いアイドルや才色のある芸能人を崇拝するようなもので、一目見れたら嬉しいな、という程度のものだった。その感情は、ふとした瞬間に空を見上げたら虹が出ていた。それを偶然目にした時とほぼ同じものだ。


虹の美しさが多くの人の心を惹きつけるように、彼という素晴らしい完成品は人々を魅了する。俺が見た彼の姿の中に、一人で存在していた時が皆無だったように、雪名にはいつだって彼を慕う人が周りを囲んでいた。でも、それを押しのけてまで雪名に近寄りたい、自分だけが雪名に近しい存在でありたいという欲求は己の中に存在しえなかった。美しい虹も雪名という名前の青年も、簡単に手が届かないものだからこそそれは永遠に素晴らしいものになりえるのだから。自分の手を使ってわざわざその美しさを汚すことなんてしようとも思わなかったし、出来るはずも無かった。


その頃の俺は不特定多数と付き合うような、何ともだらしない生活を送っていた。体を結ぶ相手は大抵一夜限りのものだったし、運良く関係が続いたとしても数カ月が限度だった。夜な夜な飲みに行った先で適当な男を見繕い、お互いの性欲のみをその体一つで満たす。ただそれだけのものだ。欲求というものは感情から直接生まれるわけではないから、ぶっちゃけ相手なんて誰でも良かった。……でも、そうやって遊んだ男の中で意外と執念深い男がいて、そいつが散々自分に対してストーカー紛いのことをしてくれたものだから。流石の俺でも反省した。以来その出来事を教訓にして、遊ぶ人間にも自分なりの基準を設けることにしたのだ。


相手の人間の基盤を揺るがすような欠点を見つけること。


一晩を共にするだけの相手でも、俺はその人物を穴が空くほど監察するようになった。そして、あ、こいつはこの部分が短所なのだな、と該当する部分を慎重に探し当ててから、手を出すようにしている。お互いにライトな関係を求めるばかりの人間には、つまりこの考察は全く不要なものではあるが、俺の手を引きとめようと縋る人間には面白いくらいに有効な攻撃になり得た。


その欠点を目を逸らさずに告げてやればいい。お前のそういう部分が、俺にはもう我慢出来ないのだと。


人間という生き物は面白いもので、コンプレックスを少しでも指摘されれば自分の存在を全否定されたと勝手に勘違いしてくれる。例えば、こういう説明なら分かりやすいだろうか?もし自分が漫画家になったとして、一つの作品を書き終えたとしよう。遊ぶ時間や寝る暇も惜しんで作り上げたその作品を、編集者に「これは面白くない」と告げられたら自分は一体どう思うか。折角一生懸命に描いたものをそんなふうに侮辱されて、まるで自分という存在が“面白くない人間”であるかのように言われたと感じやしないだろうか?


実際、そういった漫画家志望の子達に何度かお目にかかったことがある。でも、勘違いしないで欲しいのは、面白くないのは“漫画”であって“その人本人”ではないのだ。誰であっても、他人の人格を否定する権利はない。ただ、そう感じてしまったということに関しては、それがその言葉に対する自身の評価である訳で、外部の人間がどういういう義理もない。「貴方の作品は素晴らしいけれど、此処を直したらもっと素晴らしくなる」という社交辞令は、仕事でもなければプライベートでなんか一切口にしてやらない。俺の言葉に傷ついたというならば、勝手に傷ついていればいい。


あとは簡単だ。無駄にプライドの高い人間なら、自分を認めてくれる存在なんて要らないと素直に手放してくれる。諦めの悪い相手には、生理的に受けつけなくなった。これだけの説明で良い。これらの方法で、だから俺はそれなりに上手くやってこれたのだ。


たまたま本屋で会った営業の人間に、偶然居合わせた雪名を紹介されたときは流石に驚いたけれど、特に動揺はしなかった。同じ本というものを扱う職業に携わっているのなら、何かの拍子にこういう機会があってもおかしくないだろうと思えたから。異変に気づいたのは自宅に帰ってゆっくりとくつろぎ、何気なく雪名からもらった名刺を見返した時。裏に、携帯電話の番号の様なものを発見したのだ。


…何だろう、これは。誰かに渡そうとしてて間違って俺の元に届いてしまったのだろうか?


ふと胸をよぎった予感に、まさかな、という自身の言葉で遮った。


それは、けぶるような雨の日のことだった。唐突とも言える下り坂の天気に、出した結論はとりあえず喫茶店で時間を潰そうというものだ。今日はこれから予定が特にあるわけでもなかったし、何となくのんびりとした時間を過ごしたいという希望をそのままに、馴染みの店へと顔を出す。次第に曇りゆく天候の為か店に訪れる客が僅かに多いなという感覚はあったものの、出入り口は見ようともせずに持っていた本を読むことに夢中になっていた。数十分が経過した頃だろうか?頭上から、相席をお願いしても良いですか?という声が聞こえた。無意識にそれにこくりと頷いて、顔を持ち上げてみればなんてことはない。


目の前に居たのは、あの雪名という名前の青年だった。


店内の状況と言えば、いつもよりもやや人の数が増えていたものの、空席はちらほらと見受けられる。コイツ、何でわざわざ俺の席に座ろうとしてんの?と疑問に首を傾けると同時に、「俺、木佐さんと色々話してみたかったんですよ」と邪気のない表情で雪名が言った。これはあれだ。少女漫画を担当していたのが男だから珍しいとか、編集者がどんな仕事をしているかとか。興味本位で尋ねてみたかったから、わざわざこんなところで俺に話しかけてきたのだろう。少し眉を寄せて、でも座られてしまったら無視も出来ないので、適当な相槌は打ってやった。懸命に話かけてくるのは、雪名の方ばかりだった。


灰色の空から太陽の陽射しが覗き始め、窓の外から見るに外の天気がようやく回復したようだった。このチャンスを逃す手はない。置きっぱなしにしていた本を鞄に詰め込み、帰り支度を始めると、目の前にいる雪名が「もう帰るんですか?」と、とんちんかんなことを尋ねてくる。


「もうって、元々雨宿りの為にここに来たんだから。天気が良くなったら、普通は帰るだろ?」
「帰らないでください」
「は?」
「俺、木佐さんのことが好きなんです。一目惚れでした!」


突然の告白に、流石の俺でも狼狽した。今、この男は何て言った?ぽかんと口を開けたまま雪名の顔を見上げていると、「だから、俺と付き合ってください」とまたもやとんでもない言葉を続けていく。何だ?こいつ。一目惚れって何?大体、俺もお前のことは良く知らないし、お前だって俺のことなんて全然分かっていないくせに。何言ってんの?お前。そう考えたら、急激に全身を巡る血がすっと冷めていった。いかにもという真剣な眼差しを見せる雪名の姿を目に入れると、可笑しくて可笑しくて腹の底から笑いたくなってしまう。


あったじゃないか。完璧だと思っていたこの男に、全てを打ち砕くような欠点が。


タイミング良く、付き合っている男共とは関係が途切れている。基本、相手にする男は顔がそれなりに良ければ後はどうでも良い。自分で探す手間が省けたことを、俺はきっと喜ぶべきなのだろう。向こうから迫ってきたんだもの。この機会を逃すことはきっと惜しい。良いじゃないか。別に。俺がこのままの勢いで雪名の手を取ったとしても。


だって、どうせこいつだって本気じゃない。とりあえず男と遊んでみたいから、気になっていた人間に試しに近づいてみただけだろう?


「…分かった。じゃあ、付き合ってみようか?」


にっこりとした作り笑顔で彼に微笑んでやれば、雪名はほっとしたような表情を見せた。


お前の欠点は、選択肢がいくらでも存在するというのに、わざわざ興味本位で俺に手を出したという“軽薄”さだよ。お前を完璧な人間だと今までずっと思い込んでいたけれど、それは当然の如く俺の勘違いだったみたいだ。完成された作品というものは、一つの傷すら許されないように、お前に一つの欠点が見つかった時点で、俺にとってのお前は“完璧”ではなくなったんだ。


手に入れた新しいおもちゃは、これから随分と楽しめそうだった。願わくは、見た目だけではなく体を相性も良ければいい。肌を滑る唇の暖かさに背筋を反らしながら、溜め息のような呼吸を繰り返して、大きな背中に腕を回した。


お前がもう既に完璧じゃなかったというのなら。


俺がいくら壊しても構わないよね?




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -