感情のままに、心の内を吐き出しながら小野寺の体を抱き締める。最後の台詞を聞いた彼は、抵抗していた体の動きをぴたりと止めた。その状況を幸いにと、回した腕に力を込める。


どん、と次の瞬間思い切り突き放された。


そのあまりの力の強さに、そのまま尻餅をついてしまいそうになる。足にぐっと力を込めて何とか堪えて、呆然と小野寺の表情を見る。彼自身に散々アプローチを仕掛けてきたものだが、ここまで拒まれたのは初めてだった。楽しげにも、悲しげにも見えない小野寺の顔は、全くの無。まるで物を見るような、そこに一個人などが存在していないような冷たい目。背筋からぞくぞくとしたものが駆け上がり、やっとのことで事態を察する。


俺は、彼から本気で拒絶されたのだ。


「今の、どういうことか説明してくれませんか?」
「………」
「俺が高野さんの様子がおかしいことに気づかないと思ったんですか?随分見くびってくれますね。買い物の途中から高野さんが変になったの。俺、ちゃんと分かっていましたよ?こんな馬鹿げたことを言うには、それなりの根拠があるんですよね?」


小野寺の指摘に、思わず狼狽える。間違いなく彼の言う通りだった。普段通りを装っていたはずなのに、何もかもこの小野寺にはお見通しかよ、と笑いたくなってしまう。でも、そっか。それなら、こいつにはきっと隠し通せないんだな、と早々に白旗を掲げた。


ポケットの中からぐしゃぐしゃになった紙切れを小野寺へと突き出す。両手でそれを受け止めた彼は、指の腹でそれを押し広げていく。それを見届けてから、倒れこむようにソファーに体をどすりと落とした。


「日付と時間と中身を見る限り、今日昼食を食べた店でのレシートですね」
「……一応さ、万が一のこともあるだとうと思って、その店に電話を入れたんだよ。小野寺が最後のプレゼントを選んでいる時間に、一人で」
「何の為にですか?」
「決まってるだろ?お前が教えてくれた通りに、あいつの誕生日を過ごせるかどうか確認したかった。それだけだ」
「………でも、どうしてこれが」


良く分からないと首を傾げる小野寺に、決定打となる言葉を吐き捨てるように告げた。


「店員にはこう言われたよ“このお店は、一ヶ月後に閉店予定です”って」
「………え?」
「…電話口で聞いた限り、そいつが嘘をついているとは思えなかった。店長に代わって確認したところで、答えは一緒。俺は無条件にお前の言葉を信じている。なのに、これはどういうことだ?」


小野寺は俺の姿を驚いた目で見つめていて、けれどその真っ直ぐな視線にすぐに耐えられなくなって、振り払った。膝の上で掌を組んで、それを抱え込むように項垂れる。頭の中がぐちゃぐちゃだった。


「だから、その電話を切ったあとからずっと考えていたんだ。今ここにいる小野寺は、お前は、本当は俺達のそれじゃなくて、別の世界の未来からやって来たんじゃないかって」
「………高野さん?…ちょっと、よく意味が分かりません」
「朝言っただろ?お前は過去と未来の間をスライドしただけの存在だって。でも、それって確かなのか?誰かそう証明してくれたのか?お前は関係が上手くいった世界の未来からやって来ただけ。………だからと言って、今の俺達がそうなるとは限らない」


自分の考えも何の虚飾もなく有りのままに告げる。自分の口で言葉にしてしまうと、さもそれが正解のように思えてしまう。


「つまり、こういうことですか?現在の俺と高野さんには、二つの未来が存在する。一つはお互いの手を取り合う未来で、もう一つは何らかのきっかけで二人が結ばれることのなかった未来。俺が存在していたのが前者で、今から高野さんが迎えようとしているのが後者。つまり俺は、パラレルワールド、平行世界から時間どころか次元を超えてやって来た人間だと言いたい訳ですね」


小野寺がゆっくりと自分の元に近づいてくる気配がする。彼の冷静すぎる声が、信じられないくらいに怖い。


「可能性はゼロではないですよね。俺ですら何故こんなことになったのか原因も根拠も不明ですから。違う、とは残念ながら断言出来ません」


見上げた距離に小野寺の顔が見えて、でもそうやってはっきりと言い切る彼が信じられなくて。思わず頭を抱え込んだやっぱりそうなんだという想いが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。そうか、また、またなのか。また俺は、あの地獄に戻るのか。


小野寺を、また失ってしまうのか。


「嫌だ。……もう二度と、お前と離れたくない」


絞り出すような声だった。縋るように小野寺の温かな手を求めた。


「高野さん、ちょっと顔を上げてもらえませんか?」


彼の言葉に弾かれるように顔を上げれば、パン、と風船が張れるような音が瞬時に耳に届いた。じわ、と痛みが頬に広がって、呆然と小野寺の姿を見つめる。振り払ったばかりの右手が視界に移り、すぐに彼の掌で叩かれたのだと理解する。


「高野さんは、馬鹿ですか?」
「…小野寺?」
「どうしてそんなにマイナス思考なんですか!そりゃあ俺だって人の事を言えませんけど、高野さんほど酷くはありませんよ!俺が高野さんと一緒にならない未来?そんなもの、あってたまりますか!」


今まで聞き手に回っていた小野寺が、唐突に感情を爆発させる。逆上したように次々と俺を言葉で捲し立て、その直後、ぽろりと一筋の涙を零した。


「俺だって、嫌ですよ。想いを伝え終えた後だって、本当はずっと怖いんです。またあの人に捨てられたらどうしようって。また一人にされたら、俺はどうやって生きていけばいいのかって。でもね、俺が一番恐れているのは、そんなことじゃないんですよ!俺が何よりも怖いのは、高野さんを一人にしてしまうことです!」


堰を切ったように涙を溢れさせながら、小野寺が吠える。雫をぽたぽたと零しながら、それでも払おうともせずに真っ直ぐに自分に訴え掛ける彼に、思わず呼吸することも忘れてしまった。


「高野さんと結ばれた時、一番に後悔したのはそのことです。俺は、高野さんが一番辛い時に一緒にいてやれなかったんですよ!本当は俺が一番に支えなくてはならなかったのに、自分のことばかり考えて高野さんから逃げ出したんです。馬鹿でしょう?卑怯でしょう?自分でもそんなことを分かっていますよ!本当は、俺だって、あんな愚かな勘違いをしなければ、ずっと高野さんと一緒だった!いつも傍にいて慰めてやれた!十年も経った後に気づくなんて遅すぎるけれど、でも、願わずにはいられなかった!」


震える掌を口元に寄せて、小野寺は嗚咽を漏らす。何て声をかけて良いか分からずに、折れたただ唖然としながら彼の様子を見守るしかない。今にも第きしめてしまいたい衝動があるにも関わらず、体は強ばったままだった。そんな俺の様子を眺めて、少し落ち着いた小野寺が、諭すように俺に語りかける。


「高野さん、これだけ説明してもまだ分かりませんか?もしこの世界に残ったら、俺はまた未来の政宗さんを一人にしてしまうじゃないですか。それがどんなに残酷なことかなんて、高野さんには一番良く分かるでしょう?高野さんが俺と離れたくないように、俺だってもうこれ以上高野さんを一人にしたくないんです」


はらはらと涙を零しながら、それでも小野寺は俺に訴える。ああ、そうか。そうなのか。


「俺の心も体も、もう既に政宗さんのものなんです。俺はあの人のことだけを一生考えて、これからも生きていく。その覚悟を汚すことは、いくら高野さんであっても許しません」


この小野寺はそれほどまでに、高野政宗という人間を大切にしてくれているんだね。


理由は分からない。けれど気づけば、俺までもが涙を零している有様だった。小野寺にぎゅっと抱きしめられる。彼の体温は何処までも暖かくて、泣くのをやめようとしているのに、意思に反して熱い雫がとどめなく溢れ落ちる。


「だから、素直になればいいんですよ。俺のことを好きだろ?とか余計なことばっかり言って、どうして肝心なことを口に出来ないんですか。一人になることが寂しいって、どうして俺に言うんですか?高野さんには、高野さんの“小野寺律”がいるじゃないですか。高野さんの身も心も、全部今の“小野寺律”のものじゃないですか。何故、自分の心を一番愛する人に話してやらないんですか?」


力強く小野寺の体を抱きしめ返す。今度は、拒まれなかった。しゃくりをあげて子供のように泣く俺に、小野寺は柔らかくその髪を撫でる。よしよし、という小さな慰めの声が、とてもとても暖かくて。


「望まない未来の到来なんてくそくらえです!一人になりたくなければ、”小野寺律”の手を離さなければ良い。それで十分です。もし逃げようとしても大丈夫。それは絶対に自分の本心からではありません。絶対です。十年も前に高野さんを助けたのが俺だとしたなら、今度は俺のことを、救ってあげてください。高野さんは、俺と手を結ぶ未来だけを見ていれば、信じていれば良いんです!」


うん、そうだね。俺の信じた小野寺がそう言うなら、きっとそうなのだ。


「たかだかケーキ屋が一つ無くなったからってなんですか!俺はそこのケーキを食べたから喜んだ訳じゃないですよ。高野さんが俺の為に一生懸命考えてくれた。その事実が、何よりも一番嬉しかったんですから!」
「……そうかな」
「そうです!」


あまりにもはっきり断言する彼が何故か可笑しくて、思わずぷっと吹き出してしまった。けらけらと笑っているにも関わらず、涙は溢れたままで。でも、それは小野寺も同じだから。


「苦しかったこともありました。意地を張って素直になれない時も。でも、それが高野さんの手を取る為に必要な時間だったら、試練だったなら。それを乗り越えて良かったと今は思います。近い未来に、俺はこう考えるんですよ。あー、やっぱり自分はこの人から離れられないやって。この世界の“小野寺律”には、高野さんしかいないんですよ。そう思わせてくれるのが、高野さんしか」


漸く涙が拭った小野寺が、無理やり笑顔を作ってこう言った。


「此処まで辿り着く道のりは、決して楽ではありませんでした。でも、それでも俺は。高野さんと一緒にいることが出来て、………幸せでした」


だから高野さんも、幸せになってください。昔の俺を、幸せにしてください。


どの世界でも、未来でも。一緒にいましょう。


折角止まりかけていたのに。小野寺の優しすぎる言葉で、また、涙が溢れた。


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