とりあえず、高野さんに落ち着いてもらわないことには今の事態を説明は出来ませんのでと、にこやかに微笑む小野寺に背中を押されてリビングまでやって来た。テーブルの上には、朝起きたときには確かに無かったはずの食事がずらりと並んでいる。目玉焼きに少々焦がしたウィンナー。サラダボウルの中にはブロッコリーとトマトがレタスの上に飾られ、そこに満遍なくコーンが振りかけられている。マグカップには温め直したコーンポタージュ。そして小野寺が俺から購入したばかりの牛乳をひったくり、こぽりと音を立ててグラスの中に注ぎ始める。


「腹が減っては戦は出来ない。まずは朝食を取りながらこれからのことを話し合いましょう。高野さん?座らないんですか?立って食べるのは行儀悪いですよ」
「…いや」
「何です?何か言いたいことがありましたら、はっきり言って貰わないと分かりませんよ」
「つーか、お前って料理出来たっけ?」
「高野さんが良く知っている小野寺律は勿論出来ません。でも、一年後の未来からやって来た俺はと言えば、ここにある料理が回答の全てです」


それ以上答えることはない、というように小野寺がいただきます、と手を合わせる。納得の表情を浮かべたまま、俺も仕方なしに彼の真向かいに座り込んだ。黙々と箸を動かす小野寺の指先を目で追い、自分も同じように料理に手をつけた。口に入れて咀嚼しながら考える。…おかしい。小野寺の料理だというのに、普通に食べられる程度には美味しい。


もしゃもしゃと焼きたてのトーストを口に入れて噛み締める彼の姿を、もう一度ゆっくりと監察した。


やはり、何処をどう見ても小野寺だ。毎日の様に顔を合わせている彼を、俺が見間違えるはずもない。なんせ上司と部下という関係以上の付き合いだ。まるっきりの第三者か小野寺ではないかの違い位、自分には簡単に区分出来る。その俺が、目に前にいる相手を小野寺だと認識しているのだ。


唯一の違いと言えば、髪が僅かながらに長いというものだけだ。


それと、料理の腕も。朝目覚めた時の状況と帰宅後のそれを比べれば、自然に考えたとしてもこの食事は小野寺が作ったものだと察することが出来る。少し冷めたウィンナーだって、いつもの小野寺が作れるような代物では到底無い。


いよいよ彼の言葉が真実味を増してくる。


自分の部屋に突如現れたこの人物は、俺の知る小野寺ではないが、間違いなく小野寺である。つまり、こいつは俺の知らない小野寺ということだ。そこでようやく先程の彼の自己紹介が記憶に蘇る。今から一年後の十二月二十三日からやってきたと、彼は断言したのだ。…ということは、この小野寺は本当に言葉通り未来からやって来たとでも言うのか?


「…まさか」
「……それって、高野さんの悪い癖ですよね。自分の頭の中だけで一生懸命に考えて、俺にはいつも結論しか話してくれない。だから過程を省略するなとあれ程…、と言っても今の高野さんには、まだ注意すらしていないんですよね。まあ、今はそれは置いておいて。ようやく状況が飲み込めて来たようなので、証拠をお渡ししましょう」


ジーンズの後ろポケットから紙切れのようなものを取り出し、はい、と俺に手渡した。


丁寧に折りたたまれたメモの中には「よろしく」というただ一言が書かれているだけだ。それだけだと言うのに、ごくりと固唾を飲んだ。白い紙の上に走る文字に、何処か見覚えがあったから。…違う、見覚えがあるとかそういう次元の問題じゃない。


これは、俺の筆跡だ。


いつまでも現実逃避をする訳にもいかない。この小野寺は一年後の未来からやって来た。そう納得すれば全ての説明がつく。


「悪いが、ちょっと頼みがある」
「はい。俺に出来ることなら何でも」
「自分が見えているのが、実体かどうか確認したい。触らせてくれないか?」
「うーん。状況が状況ですから、仕方ないですね」


小野寺はやや渋い顔を作って、はいどーぞと掌を差し出してくる。それを両手で包むように確認した。あたたかな体温とその感触が、彼がこの現実に存在するのだということを嫌でも証明してくれる。


「やっと納得してくれましたか?」
「ああ…、こんな非常識な展開をあんまり想像したくはないけど。けれどお前が嘘をつくとは思えないし。嘘をついてたら顔で分かるはずだし」
「信用していただいたのは結構ですけど。それ、凄く失礼な言い草ですよね」


口では文句を言いつつも、小野寺の表情は酷く穏やかなものだ。それにつられて一瞬唇が歪んだものの、慌てて気を取り直した。


「で?一年後の小野寺が、どうして此処にいる訳?」
「知りません」
「はあ?」


ようやく本題に立ち入ったと思いきや、小野寺の答えはすこぶる曖昧なものだった。


「過去にやって来れそうなタイムマシンとやらに乗った記憶は一切ありません。いつも通りでした。いつも通りに朝食の準備をしていて、野菜を切るときにちょっと集中してまな板を見て、顔をあげた次の瞬間にはもうこの部屋にいました」
「それだけで良く過去に来たってのが分かったな」
「そりゃあ、部屋の配置が違っていたら誰だって気づきますよ」
「………ん?」
「………?何ですか?」
「いや、つまりお前の話をまとめると、未来と過去が何らかの原因で繋がっていて、小野寺自身の存在だけがスライドしたっていうことだよな?」
「そうですが。それに何か疑問でも?」
「何でお前の部屋じゃなくて、俺の部屋で料理してるんだってこと」
「付き合っているからに決まってるじゃありませんか。それ以外の理由があるとでも思ってるんですか?」


小野寺は動揺した素振りも見せずに、さも当然であるかのように未来の自分達の関係を告白した。唖然としたままに彼の姿をじっと見つめていると、何を驚いているんですか?と逆に聞き返される。


「そういうこと、言っても良いの?」
「SF小説でよく起こり得る逆説ですね。俺がこうやって高野さんに未来の事実を伝えることで、今現在の本来起こるべきだった運命が変わるというありがちの。でも、たいした影響を及ぼさないと判断したからこそ、こうやって話したんですよ。大体一年前だったら、高野さんはもう俺の気持ちを知っていたはずですよね?何を今更確認する必要がありますか?」


小野寺がぺらぺらと口を動かして発するのはご立派な正論だが、そういう壮大なネタバレはもう少し段階を踏んでから話して欲しい。意識を出来る限り逃がそうと努力するも、口元がにやけてしょうがない。結局無理に押しとどめるような形で、掌を唇に当てた。


「俺もまだ現況をやっとのことで理解出来ましたが、未だちんぷんかんぷんなことも沢山あるんですよ。………実は、当の本人から未来から自分がやって来たという話を聞いた経験はあります。残念ながら、その時の俺は全く信じてはいませんでしたが」
「マジで?」
「はい。でも、教えてくれたのはそこまでです。あの人は俺以上に秘密主義だから。否、単に俺に意地悪をしたくて口を噤んだのかもしれませんけど」
「じゃあ、未来に帰る方法もお前は知らないってことか」
「一応俺の私物…といってもコートと財布は、理屈は分かりませんけれどこの部屋に置いてありました。後はそのメモがポケットの中にいつの間にか入っていた。気づいた点はその程度ですね」


折りたたんでいた用紙をもう一度開いた。よろしく、という何とも無責任の言葉が、今も尚変わらずに踊っている。


「だから結果だけを語らずに、どうやって元の場所に戻れるか。その方法を教えてくれれば良いのに」
「悪い」
「別に高野さんの所為じゃないです。でも、今後は確実に高野さんの所為になりますので、以後気をつけてください」


小野寺の言い分はもっともだ。せめて何をよろしくしているのか位は、もうちょっと詳細に書いてくれと自分でも思う。俺が同意したことに小野寺の怒りもやや収まったのか、ここに存在しない人を責めても仕方ありませんよね、と彼は深くため息をつく。


「俺の覚えている限り、一年前に未来の自分と出会ったという摩訶不思議な体験はありません。高野さんの家に誰か他の人の存在があったら、その違和感に流石に過去の俺も気づくと思います。ただ、それが短期間であれば可能性としては低いはず」
「つまり、どうにかこうにかお前は未来に帰れるっていうことか。だから、一年後の俺もその詳細を省いたと」
「そう考えた方が、性格上自然だと思います。……高野さんにはご迷惑をかけると思いますが、今日一日どうか宜しくお願いします」


ふかぶかと頭を下げる彼に、率直な疑問を投げた。


「…一日?今日中に帰れるっていう当てでもあんのか?」
「ありませんが、絶対今日中には帰ります」


真っ直ぐに俺を見据える小野寺の視線が力強い。それに気圧されるように、そうかとだけ答えた。


「原因は俺にもあるようだし、ま、無事に元の世界に帰れるまでは、こちらこそ宜しく」


無意識に彼との握手を求めるように、自らの掌を差し出した。けれど小野寺はその手を掴もうとはせずに、にこりと微笑みこう言った。


「ちなみに俺は、身も心も全て未来の政宗さんのものなので。必要以上に触らないでくださいね。いくら過去の高野さんだって、許しませんから」


料理のことと言い、名前の呼び方と言い。ついでの拒絶の発言すら、最早何処からどう突っ込んでいいのか分からない。


とりあえず、これからの一年間に一体何があった。誰か教えろ。






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