何かをきっかけにして誕生日を尋ねられた場合、大抵の相手はその日がクリスマスだなんて素敵ですね、といった反応をする。自分の場合は男であることを理由にして、その価値を見い出せない、と答えることがほとんどだ。時たま似たような境遇の奴に、誕生日とクリスマスのプレゼントが一色たにされて子供ながらに理不尽さを感じた、と俺に同意を求めることもあったが、生憎その気持ちが全く分からないもので、そういうものですか、と答えるしかなかった。自分の対応に拍子抜けした本人は、それを理由に高野さんは子供の頃からクールだったんですねと揶揄する


物心ついた頃には、誕生日を祝われた記憶もなく、クリスマスのプレゼントだって一度たりとも貰ったことは無かった。


クールというか、例えば心が凍っていたと表現するなら、その描写はあながち間違いではないのだろう。



俺の心は死んでいた。



++もみのきそのみをかざりなさい++



ほし めざめなさい



その日は、随分と暖かな空気の中で目覚めたような気がした。


デジタル式の時計を確認する。午前八時。休日の目覚めとしては早からず遅からずの時間帯だった。瞼を閉じながら忘れかけていた自身の記憶を取り戻す。今日の日付は確か十二月二十三日。ついでに自分の感覚が間違いなければ、確か日曜日であったはずだ。うつろうつろした瞼をどうにかこうにか押し上げて、寝室内に申し訳程度に飾られているカレンダーに目をやれば、自分の勘が正解だったことを証明する。あくびを一つ零して、のっそりと起き上がった。カーテンの隙間から見える冬の太陽が酷く眩しい。


喉が乾いていたので、回転しない頭のままにキッチンへと歩いた。


小野寺がいた。


「あ、高野さん。おはようございます」
「………はよ」
「少し待ってて下さいね。今朝食作ってますから」
「…んー」
「…まだ寝ぼけてますね。丁度いいので目を覚ましにコンビニで牛乳を買ってきてくれませんか?」


紺色のエプロンをつけた小野寺が、野菜を切っていた包丁を手にしながら俺に声をかける。二、三の会話を繰り返して、ただそれだけだった。


小野寺がそう言うなら仕方ない、と考えて、いそいそと身支度を整え部屋を出た。マンションを抜けると、冷たい風が住宅街の中をひゅう、とすり抜けていく。空は良い天気だが、それは見かけばかりで、足を踏み出す度に寒いという感覚が戻ってくる。手袋を忘れてきたので、ポケットに手を突っ込んでの朝の散歩だ。吐く息が白く、けれどそれは一欠片の名残すらもたらさずに空中に立ち消えた。


自宅から十分もかからない駅前のコンビニへと無事辿り着く。暖房の効いた店内に入ると緊張状態にあった体がいっぺんに弛緩する。小野寺との約束通り、牛乳パックを一つ掴んでレジへと向かい、そういえば煙草を切らしていたなと思い当たると同時に、目の前をとある客が通り過ぎて行き、驚きに目を見張った。


小野寺だった。


ぽかんと口を開けながら呆然と眺めていると、俺の視線に気づいたように小野寺がこちらに振り向き、げ、という明からさまな表情を作る。見間違えるはずもなく、まごうことなき彼自身。


「………お早うございます」
「おはよーさん」
「お買い物ですか?」
「見りゃー分かんだろ」
「それはそれはどうもすみませんでした!!」
「お前のメシはまたコンビニ製か?」
「俺のことは良いから、放っておいてくださいよ!」


白いコートを着込んだ彼は、服とは対象的に顔を真っ赤にしてぷりぷりと怒っている。籠の中に入っているのは見るも無残なジャンクフードの数々で。お前、そんなものを毎日食ってるとそのうちぶっ倒れるぞ、という言葉は、これ以上小野寺を怒らせたくもないので、無理やり喉元へと押し込んだ。靄が掛かっていたような思考が次第に鮮明となり、購入したばかりの煙草一本を咥えれば更に意識がはっきりとした。


「何で高野さんと一緒に帰らなくてはいけないんですか!」
「お前、気にしすぎ。部屋が隣なんだから、どう考えても自然だろ」
「その考え方自体が不自然なんですよ。…もう良いです。高野さんが先に行かないなら、俺が先に行くまでです!」


静かに切れた小野寺は、その後の制止の声も聞かずにすたすたと前を歩いてしまう。小さくなりつつあるその背を眺めて、俺は何をどう勘違いしていたのだろうかと思い悩んだ。朝目覚めたら自分の家の台所に、朝食を準備している小野寺の姿があって、その彼本人から牛乳を買ってこいと言われたはずだ。だからこうして左手に牛乳の入った袋を抱えているわけであって、なのに当の本人が目の前にいるということは一体どういうことだ。


考えるまでもない。おそらくは俺の勘違いだ。


あまり追求したくはないけれど、朝の自宅での光景は多分白昼夢の類だったのだろう。完全に覚醒した今となっては、キッチンにいた小野寺の姿はあまりにも不自然だ。いつもと同じく前日に彼を無理やり引き込んだのなら兎も角、昨日は大人しく一人部屋で眠った記憶が確かにある。そこに忽然と小野寺の姿が現れて、そしてこの近距離に彼の存在があるだとしたなら、どちらがおかしいかは明確なことだった。


そもそも、小野寺は家事が出来なければ料理も出来ない。


深く考えれば考える程、あれはありえないことだったという事実が、しみじみと胸に染み入る。気を抜けば遠ざかり、出来る限り俺から離れようとするあの小野寺が、俺の部屋に留まるどころかあまつさえ朝食の支度などする訳がない。


あれは夢だ。しかも、気持ち良いくらい俺の願望が詰まった。


家に帰れば、きっと誰もいない部屋が俺を待ち受けているのだろう。小野寺が此処にいる限り、彼は存在しない。と、その事実を理論づくめで立証したのは良いものの、何処かで酷くがっかりしている自分がいた。


結局小野寺の足の速さでは自分が本気を出せば追いつける距離で、玄関の目の前までは一緒にいた。何処か脱力していたのでそのまま小野寺を引き止めることもせずに、自分の部屋の扉を開錠する。隣の家に彼が消えてゆくことを確かめてから、玄関に足を踏み入れた。架空の世界で準備されていた食事なんかにありつけるはずもなく、どう考えてもこれから自分で作らなくてはならないはずだ。が、あんまりにも力が抜けすぎて、今は作る根気もない。こんなことなら小野寺と同じく、適当に食事を買うべきだったと後悔し始めた時だった。


「もう、高野さん。遅いですよ!牛乳買いに何処まで行ってるんですか?というか、どうせ煙草を吸ってて遅くなったって、そんなところでしょうけど。折角作った料理が冷めたのは自業自得ですから、ちゃんと残さず食べてくださいね」


キッチンから、ぱたぱたと音を立てながら小野寺が現れた。


え?と混乱したままの頭でぐるぐると考える。だって、今確かに俺は小野寺とコンビニに居合わせて、しかも一緒に帰ってきたはずだ。ずっと後ろ姿を見ていたから、その存在が誰かと入れ替わるはずもない。つい数秒前に、小野寺が自分の部屋に入っていくのを俺は間違いなく確認している。


なのに、何故か小野寺が俺の部屋にいる。


そうか、これは白昼夢ではなく明晰夢だったのだ。現実に見た夢ではなく、全部が夢であったというなら頷ける。今までの一連の出来事は全て夢の中の出来事で、本物の俺は多分今もベッドの上に眠っているのだ。そうでなければ、こんな異常な状況に説明がつかない。


思い切って、自分の頬を指で抓った。恐ろしく痛かった。


「うーん。高野さんの今の行為は、つまりこの事態が夢かどうかを確かめた訳であって、ようやくこの異常な状況に気づいてくれたんですね?休日の寝起きはぼうっとしていることが多いからという話は聞いていたので、まあ、想定内です。ちなみに、いくら驚いたからって確認しに隣の家には行かないでくださいね。自分自身が鉢合わせするという状況は出来れば避けたいので。だって、そうしたら絶対面倒なことになりますから」
「………お前、誰だ?」


見かけも声のトーンも、何から何まで小野寺のそれと一緒なのに、自分には分かった。目に前で朗らかに笑っている存在が、自分の知っている彼ではないこと。


俺の問いかけにご名答とばかりにご満悦な笑顔を浮かべたそいつは、良いですか?ちゃんと聞いてくださいね?と、まるで親が子供に教えるような調子でこう語った。


「初めまして、こんにちは。俺の名前は小野寺律と申します。今から一年後の十二月二十三日からやって来ました。どうぞ宜しく」





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