もう一度落ち着いて思考してみよう。


自分の部屋のベッドの上で転がりながら、目を閉じる。


今までは弟達を守るという名目で、それを邪魔しようとする小野寺にどうやって対抗するか。そのことばかり考えてきた。自分が介入したのが原因で、小野寺の目論見は崩れつつある。それは微々たる進歩ではあるが、塵も積もればなんとやらだ。途中途中で作戦を変更し、最終的には小野寺に弟の仲を認めさせるのが目的だった。


自分が目指すべきものは揺らがない。だとすれば、小野寺は一体何を求めているのだろう。


少しの間彼と触れあうことで分かったのは、小野寺が織田のことを本当に大切にしているということだ。俺も弟の大事にしていることは確かだが、小野寺の愛情は自分のものより遥かに凌駕している。本当の兄弟でもないのに、そこに確固たる絆がある。


それと、小野寺は弟と張り合うだけあってすこぶる頭が良いのだ。相手がどういった行為をとるのか、どんな言葉を発するのか。いつだって先を読みながら行動する。おそらく俺達兄弟ですら一対一ではきっと勝てなかった。フェイクとして二人の行動をミックスしたからこそ、映画を見に行ったときのように小野寺を罠に嵌めることが出来たのだ。つまりそれは二人がかりでないと、彼の相手にすらならないことを意味する。


この二点を重視してみよう。考えるべきことはそこからだ。


ゆっくりと瞳を開きながら、何もない虚空を見つめる。何てことのない仮説だ。


小野寺が弟達の邪魔をするのは手段であって、目的は他にあるのではないか。


同じ兄という小野寺の立場から振り返ってみる。認めたくはないが、俺と小野寺の性格にはやや似ている部分がある。弟を誰よりも何よりも大切にし、幸せにする為にはどんな行動でも厭わない。その共通点があるからこそ、小野寺の抱える矛盾が理解出来るのだ。


もし織田が弟と別れたとしよう。あれだけ好き合っている二人だから。きっと離れてしまったら、織田の方は特に苦悩することが目に浮かぶ。けれど容易く想像出来るからこそおかしいのだ。愛する人との別離を織田は一度経験している。その姿を、小野寺は一番近くで見てきたはずだ。織田が言ったのだ。今まで一番辛かった時に、それを救ってくれたのが小野寺だと。


そんな小野寺が、織田を苦しめるような真似をするだろうか?


俺ですら察することが出来る簡単な未来予測を、小野寺が想像出来ない訳がない。もしかすると頭に血が上ったからという理由もあるのかもしれないが、冷静になれる時間はいくらでもあったはずだ。どう考えても違和感があるのだ。小野寺の“思考”と“行為”は辻褄が合わない。


小野寺が望むものは何なのか。彼の目的について散々頭を悩ませて考えてみるものの、何も思いつかない。彼の瞳に映し出しているであろう世界が、俺には見えない。


インターフォンの音により、迷宮入りしそうになっていた思考が中断された。これから部屋に弟を迎えて、恒例の作戦会議を始める。休みの日である今日の午前、弟は街の図書館で織田と落ち合う約束をしていて。これまたタイミング良く小野寺は他に出かける用意があった為に、久し振りに誰にも邪魔されない二人きりの時間を堪能したようだ。それを裏付けるように、弟の顔が随分はつらつとしている。


「俺のところに来るくらいなら、もっと織田といればよかったのに」
「そうしたいのはやまやまだけどね。小野寺さんがいつ帰ってくるかも分からないまま、引き伸ばす訳にはいかないから」


都合よく小野寺の名前が出てきたので、自分の考えを弟に話してみることにする。当事者である弟が小野寺の真意を理解出来るはずはないということは知っている。小野寺はあくまで弟にとっては邪魔者だ。その人の本質を考えてくれと頼むのは横暴なのかもしれない。けれどどんな言い分であっても、弟だけはそれを真剣に聞いてくれる。正誤の判断は兄弟二人だけではつくはずもないが、それでも自分だけで考えるよりはずっと良い。


インスタントのコーヒーを渡しながら、あのさ、聞いて欲しいことがあるんだけど、と弟に声をかける。


独特の曲が流れ始めたのはその時で、音源が弟の携帯であることにはすぐに気づいた。しかもそれが織田専用の着信音だった為に、俺のことは良いから電話に出てやれと軽くジェスチャーする。それにしても、定例会議の時間に織田から電話があるなんて珍しいことだよなと思った。俺達の邪魔をしたくないから、時間を教えてくださいと申し出たのは織田からで。これまで、その時間帯に織田から連絡があったことなんて一度も無かったのにと、コーヒーを飲みながら考えた。


様子が変だと気づいたのはその瞬間だ。微笑みを浮かべたままに通話を初めた弟の顔が、唐突に険しくなった。律、どうしたの?ゆっくりで良いから、俺に話してみて、と弟が真剣な表情で電話口に向かって語りかけている。尋常ではない空気に、俺自身にも緊張感が走る。息を殺して耳を澄ませていると、遠くから織田がすすり泣く声が聞こえた。


「…うん、分かった。律はそこでじっとしていて」


弟はそう言って、織田との通話を切った。


「兄さん、ごめん。今からちょっと律を迎えに行ってくる」
「俺も一緒に行こうか?」
「ううん。外、雨が降ってきたみたいだから。出来れば部屋で待っていて温かい飲み物を用意してくれると助かる」
「分かった。待ってるから、気をつけて行ってこい」



察するに、織田はおそらく俺の部屋に訪れようとして道に迷ってしまったのだろう。そして助けを求める為に、弟の携帯に連絡した。そう考えるのが自然だった。しかしあの朗らかな織田が、迷子になったというだけで泣き出すわけがない。状況は飲み込めないが、緊急事態であることだけは分かった。兄弟揃って軽口を叩いたのは、お互い冷静になる為に必要だったから。


弟の言葉に従っていそいそと部屋に二人を迎える準備をする。窓の外では鉛色の空が広がり、ぽつりぽつりと水滴を零していた。幾ばくか胸の奥が曇ってゆく。それに舌打ちしながら振り払おうも、嫌な予感は消えやしない。忘れていたはずなのに。記憶から必死に消し去ろうとしていたのに。ああ、畜生。


あの忌まわしい雨の日の出来事が胸に蘇る。


弟は傘を持って出かけたというのに、織田の方はと言えば見るも無残な姿だった。用意したタオルが間に合わないくらいに濡れていて、急いでシャワールームへと押し込む。その間弟は織田のサイズの適当な服を購入し、それを彼に渡してやった。温かな飲み物を与えてみたものの、織田は一度飲んだきり口をつけようともせず俯いていた。

「律。…辛いだろうけど教えて。一体何があったの?」


弟が織田に優しげに尋ねるも、彼は唇を噛み締めたまま答えない。凍った心を溶かすように、それでも弟は辛抱強く語りかけた。緑色の大きな瞳が揺らめき、そこから涙が溢れるまで、そう時間はかからなかった。


「…せんぱ…、俺、…んぱいと、別れたく、ないです」


告げ終えた後、小野寺はさめざめと泣き始めた。まさか小野寺から別れという台詞を聞くことになるとは。天と地がひっくりかえるような衝撃だった。それ以上に問題なのは、織田がそれを望まないのに言わされているという状況だ。動揺を必死に隠しながら、弟が再び穏やかに彼に諭し始めた。


うん、俺も律と別れたくないよ。律のことが大好きだから。律だって、俺と同じ気持ちだよね。だったら、どうして突然そんなことを言うの?


弟の質問にしゃくりをあげながら震える声で織田が答えた。


「俺と先輩のこと。……母に知られました」



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -