それはぽつりと漏らした弟の一言から始まった出来事だ。月初めの日曜日は今まで、離れて暮らしていた弟と会う約束を取り付けていたものだが、最近では大学で会う為にその必要も無くなった。流石に休日をも弟を拘束するのは忍びなく、それとなく口にしてみたのだ。休みの日のくらい、織田とデートでもしてみたらどうかと。


「……デートか。出来てたら今頃とっくにしてるよ」


と溜息混じりに答えが返ってきたので、流石に動揺した。まさかとは思うが、今まで一度もデートをしたことが無いという訳じゃないよな、と青ざめた表情で弟の様子を伺うと、憂いを帯びたような瞳で遠くを眺めている。その姿があんまりにも不憫だったので、またもや俺が一肌脱ぐことになった。


とりあえずは映画辺りが無難だろうと思い、弟に進言するも未だ半信半疑の状態だ。大学という状況上では小野寺の襲来に受身になるしかないが、外となれば話は別。戦場が違う場所なら異なる戦術を取るのは当然のこと。こちらから襲撃をしかけることだって出来る。弟にその作戦を話せば、そんなに上手くいくかな、とやや不安げだったが、結局は休日に恋人と出かけるという誘惑に負けて渋々ながらに頷いた。勿論、この案は織田の協力なしには成立しえないが、大体は弟と同じような反応だった。


そして迎えた当日。駅の近くの映画館に出向いてみれば、そこには誰かを待っているような二人の姿があった。一人は織田で、もう一人は小野寺。自分達の姿を発見した小野寺は、ぽかんと口を開けながら固まっていて。そして瞬間的に何が起こったのかを察したらしいが、今更気づいてももう遅い。隣にいた弟と織田を一緒に映画館の中に押し込んでやり、追いかけようとした小野寺の首を捕まえた。


「映画を見たいのは分かるけれど、もう少し落ち着けよ」
「高野さん。あんた、俺を嵌めましたね?」
「さあ、何のことやら」
「おかしいとは思いましたよ。律が俺と映画に行きたいって誘うなんて!でも一緒にいる方が好都合だから了解したのに。俺のことを油断させて、最初から二人きりにさせる予定だったんですよね!?」


概ねその通りだった。まんまと罠にはまった小野寺は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。痛いです、離してください、との台詞がやや冷静さを取り戻していたので、大人しく固く握りしめていた服をすんなりと離した。


「伸びたらどうするつもりですか!」
「新しい服が欲しいなら侘びに買ってやるけど?」
「要りませんよ、そんなもの」


大学でならいざ知らず、道行く人々から興味津々に見られることはそれなりに恥ずかしかったらしい。おそらく彼はもうあの二人の後を追うような真似はしないだろう。素晴らしいアイデアですね。完敗ですよ!と憎まれ口を叩きながら、小野寺は俺の前から去ろうとする。


逃がすまいと、彼の腕を掴んだ。


「…何ですか?心配しなくても、映画館の中で騒ぎ立てることなんてしませんよ」
「いや、そうじゃなくて。何処へ行く気なのかと」
「……?全部高野さんの目論見通りですよね?邪魔な俺がいない方が好都合じゃないんですか?」
「お前、この映画楽しみにしてたんだろ?」


織田からそのことを聞いていたと告げてやれば、小野寺は瞠目しながらあからさまに狼狽えていた。


「ち、…違う!」
「パンフレットもお前が買ったんだろ?どんだけ楽しみにしてんだよ」
「五月蝿いな!別に高野さんには関係ないじゃないですか!」
「関係あるの。織田から、お前のことを頼まれているから。“律っちゃん、一緒にいられなくてごめんね。でも映画は楽しんで!”だとさ」


言葉を失って俯いた小野寺は、怒りのせいかそれとも羞恥のあまりか、顔を真っ赤に染めてぷるぷると震えている。その態度ではいくら否定しても無駄なことなのに。手に取った腕をそのままに引っ張り、自分達も映画館の中へと入り込む。何のつもりなんですか?と消え入りそうな声で聞かれて、俺も一緒に見るんだよと答えた。小野寺はもう抵抗する気力もないらしい。以降は沈黙のままだった。


小野寺を自分の隣の席に座らせて、タイミング良く会場のライトが落とされていった。次第に暗くなる視界の中、どうしてか先程の小野寺の姿が素直に可愛いな、なんて思えてしまった。



「中々面白かったよな」


上映時間を終えて、そのまま小野寺の腕をひっつかんで映画館の近くにあった喫茶店へと連れ込んだ。ここで彼がごねるであろうことを予想していたが、意外にも大人しい。けれどそれは素直で、という前置きでではなく、多分怒りで固まっているであろうことは簡単に想像出来た。お前だって上映の途中で笑っていたくせに、という一言は、藪蛇になりそうなので口には出さない。


店に来たと同時に出されたお冷には唇をつけようともせずに、小野寺は窓の外をじっと睨んだままだ。何がそんなに気になるのかと視線を同じ場所に投げてみれば、そこには楽しそうに語り合っている弟と織田の姿があった。


真一文字に唇を結んだ小野寺は、でも外に出ようとする気配は無い。


「お前さー」
「何ですか?」


俺が声をかけると、彼はあからさまに不機嫌な表情になる。けれど怯むことなく今の今まで内心ずっと考えていたことを、思い切って小野寺に尋ねた。


「何がそんなに気に食わないの?」
「………、そんなの」
「お前が織田のことが好きなのは良く分かる。でも、織田はお前の所有物じゃないんだよ。いつまでも小野寺の思い通りになると思ったら大間違いだ」


俺の言葉にぴくりと小野寺が反応する。次第に俯いていく顔には、不安という文字が浮かんでいる。いつも自信満々な彼が初めて見せた表情に驚きながらも、自分の言葉が確実に相手に伝わっているのだと思えた。二人きりで彼と会話が成立していること自体奇跡だ。これまでのことを考えると、大きな前進のように俺には思える。


「小野寺、今の二人を見ていただろ?」
「………」
「あれだけ幸せそうに笑っているのに、それを壊しているのはお前なんだよ。織田が好きなら、その幸せを一番に考えてやってくれ」


窓の外に未だ佇む二人を見守りながら、願いを語る。俺は、弟に幸せになってもらいたい。ただ、それだけなのだと。それだけのちっぽけな夢を、叶えてもらいたいと。


「お前は織田のことを守りたいのかもしれない。昔はそれで良かった。でも、今の織田はもう小さな子供じゃない。自分の力でその幸せを手にしようとしている。むしろお前の支えこそ要らないものだ。誰も、お前に守られたいなんて思っていない」


視線を窓から彼へと移すと、思わずぎょっとした。見えた小野寺の表情が、くしゃりと歪んでいたから。泣きそうな顔を見せたのは一瞬で、何かを諦めたような声で彼が言った。


「そうですね。きっとそれが正解でしょうね」


すみませんが、これで失礼します。その台詞を残して、小野寺は店の中から消えていった。呆然とその後ろ姿を見つめていた。彼が俺の言葉に何を思ったのかは知りようもない。でも、俺が小野寺を傷つけたということだけは分かった。




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