自分が第三者として登場したことで、現状は考えた程その変化はない。


と個人的には思っているのだが、弟からしてみればどうやらそうでもないらしい。今までは小野寺と弟一人で対峙していたわけだが、そこに自分という一個体が加わったことで、怒りが向けられる力が二分したのだという。毎日毎日顔を見る度に嫌味を言われていて、良くもまあこんな日常に弟は耐えていたと思う。半分ということは、つまり本来の小野寺の罵詈雑言はこれの二倍なのかと考えると心底うんざりした。


個人プレーは危険なので、大学内では可能である限り弟達と一緒にいるように努めた。本来ならば八つ当たりの避けるために、弟は姿を隠した方が最善なのだが。弟が織田の傍にどうしてもいたいと懇願するので、その意思を無碍には出来ない。二人を応援する為に俺がいるだとするなら、隔離が原因で破局を迎えることになったら元も子もないからだ。


「それでも、兄さんが居てくれるだけで十分助かってるよ。ありがとう」
「根本的な解決にはまだまだ遠いけどな」
「あの人の相手は大変でしょ?」
「確かに精神は削られる。むかつくことも事実だけど、あいつの意見はごもっともだから難しいところだ」
「律のことを本気で心配しているのは本当だしね。律自身もそれを知っているから、彼にあまり強くは言えないみたい」
「お前達の関係を認めさせるか、諦めさせるか。単純な二択だけど、実際難易度はどちらも高いよな。個人的には諦めさせた方がやや簡単だけど、織田がそれを望まない」
「堂々巡りだね。俺はそれが原因で悲しむ律を見たくない。結局答えは一つしかないから。解答を求めるでなく解法を探すのが一番かな」


大学内の食堂でカレーを食べながら兄弟二人で作戦を練っていると、そこにひょこりと織田が現れた。珍しく一人だなと思えば、本日小野寺は家の用事があるということで織田を残して早々に帰宅したのだという。教授に呼ばれていたことが功を奏したと、彼は子供のように無邪気に笑う。けれど偶然の出会いに喜んでいたのはどうやら弟の方らしい。兄の前では絶対に浮かべない笑顔を、優しく織田へと向けていた。


「律も何か食べる?注文してこようか?俺たちは夕食代わりだけど」
「いえ、家で食べるので大丈夫です。けど、飲み物は欲しいかな」
「分かった。いつものやつでいいの?」
「はい。ありがとうございます」
「兄さんも何かいる?」
「ああ。適当に何か繕ってきて」
「了解」


弟がその場所から立ち去ると、席には俺と織田だけが残された。良く良く考えてみれば、彼と二人きりの時間を過ごすことなんて今まで無かったよなと振り返る。そのことを織田も理解しているのか、何だか緊張しますね、と言って彼はぎこちなく笑った。


「織田も大変だよな。小野寺みたいな奴と一緒にいると」
「うーん。でも、俺にとっては家族みたいなものですから」
「悪い。陰口みたいになって。そんなつもりじゃなかった」
「いいえ、分かっているので大丈夫です。むしろ律っちゃんがいつも酷いことを言っているので、謝りたいのはこちらの方なので」
「何度も言うようだけど、それは気にしなくていいから。俺は自分のやりたいことをやってる訳だし」
「それは俺も同じですよ。だから、俺のことも傷つけたなんて心配しないでください」


にこりと微笑みながら語る織田に、思わず苦笑いを一つ零した。従兄弟とはいえ、理屈のこね方が小野寺のものとそっくりだ。相手の言い分をやんわりと聞き出して、自分の理論にそれを巻き込み説得させる。最初はただ腹が立つからという理由で言い返していたものだが、それが小野寺による誘導尋問の一種であると気づいたのは最近だ。はっきり言って理論責めでは俺の方が小野寺よりも分が悪い。何故なら奴は、俺よりももっと遠い未来を見越した上で、会話を成立させているのだから。


「今まで話さなかったと思いますけれど、実は俺、父親を亡くしているんです」
「そう、なのか?」


突然の告白に驚いて、織田の顔をまじまじと見つめてしまった。けれど織田はその態度を気にしたふうもなく、言葉を続けた。


「高野先輩のご両親のこと、俺も先輩からお伺いしてましたから。それなのに自分のこと話さないのはフェアじゃないかなって。気分を害されたのならすみません」
「いや、それは別に気にすることはないけど」
「もうすぐ中学にあがる頃でした。病気が原因だったので薄々は分かっていたのですが、本当に父の生涯が閉じた時はショックでした。覚悟していたとはいっても、やっぱり毎日毎日泣いていましたし、塞ぎ込んで部屋から全く出ない日も続いて。随分母を心配させました」
「………」
「でも、それを救ってくれたのが律っちゃんでした」


織田は少しだけ苦笑いして、薄く震えた瞼を閉じた。そして懐かしい過去を思い返すように、雄弁に語り始める。


あの時は本当に誰とも話したくなくて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていました。母親も色々なことが重なって疲れていましたから、無理にこじ開けようともしなくて。でも、ある日律っちゃんが俺の部屋のドアを壊して、俺を強引に引きずり出しました。俺、ちゃんと嫌がったんですよ?でも、泣いても喚いても全く聞き入れてくれなくて。そうしてこんなに酷いことをするのかって、最初は律っちゃんのことを凄く恨みました。


けれど連れて行かれた先は近所に新しく出来たレストランで、そこで美味しいものを沢山食べました。興味がないと言ったのに遊園地に誘われて、結局全ての乗り物を二人で制覇してしまいました。途中で彼に一緒に写真を撮ろうと頼まれて、けれど映し出された絵の中で自分が笑っていたことを知った時には驚きました。俺はあれだけ苦しんでいたのに、それでも、まだ笑えたんだって。


彼は今まで誰にも教えたことのない、お気に入りの場所も俺に案内してくれました。小さな木々の間からは、押し潰された太陽の赤が街の中に沈んで行く様が見えて。何故だかそれを目にしたら胸にこみ上げてくるものがあって、結局わんわんと泣いてしまいました。大切なものを失くした悲しさに、どうすることも出来なかった自分の無力さに。やるせなくなって。


彼は、ぼろぼろと涙を零す俺に声をかけてはくれませんでした。けれど、優しく愛おしむように、俺が泣き止むまでただただ抱きしめてくれました。


「それをきっかけに俺は元気を取り戻しました。単純かと思われるかも知れないけれど、でも俺はそれが嬉しかった。俺が明るくなることで母にも笑顔が増えて。父が居た頃には戻れなくても、笑顔を絶やさないようにしようと決めました。彼の支えが無かったら、きっと今の自分はいなかったと思います。だから、」
「…だから?」
「俺にとっては、律っちゃんは本当のお兄さんなんです。紙の上ではそうでなくとも、誰が何と言っても。今も、大切な人であることに変わりはなくて」


言葉をほぼ失ってその話に聞き入っていると、はた、と我に返ったらしい織田はへへ、と照れ笑いを浮かべていた。すみません、熱く語りすぎましたね、と言い繕う彼に、いいや、そんなことはないと首を振って否定した。


「高野先輩は優しいですね」
「そうか?」
「はい。やっぱり嵯峨先輩のお兄さんなだけはあります」
「そう言われると照れるな」
「同じくらい律っちゃんも本当に優しい人だから、高野先輩にはいつかそれが分かると思います。そしたら、きっと高野先輩も律っちゃんのことを凄く好きになりますよ」
「へえ?全く想像出来ない、というかしたくもないけど」
「同じお兄さんという立場だから見えることもあると思います。逆に言えばそれを俺に理解することは出来ないから。でも俺は弟だからこそ嵯峨先輩の気持ちが良く分かります。…どうして、自分達のことを高野先輩に託したのか。俺は、ちゃんと知っています」

それはどういう意味かと問おうとした瞬間に、飲み物を抱えた弟が戻ってきてしまって、その話は御終いとなった。


言葉の真意は全く掴めないままだが、どうにもこうにも彼の台詞が胸の奥に引っかかった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -