待ち合わせは弟の大学の正門前で、時間近くなると腕組みをしながら立っている自分に誰かが近づいてくる気配を感じた。視線を移せばそこにいたのは小走りに走ってくる弟の姿で、まだ待ち合わせ時間には早いのに、兄さん、待たせてごめん、と軽く謝罪する。随分早かったな。講義は大丈夫なのか?と尋ねれば、教授の無駄話が長引いただけ、と苦笑いして彼は肩をすくめた。


真っ直ぐに続いていくコンクリートの道が二つ連なっている。両端とそして丁度道のしきりとなっている部分には、青々とした樹木が立ち並んでいて。木の葉と葉の間からは溢れんばかりの陽の光が漏れ、地面に濃い影を作っていた。その中をてくてくと歩いていく彼の姿を見て、まずは無事に大学生活を送れているのだなと一安心する。


しばらく歩いて辿り付いた場所は、とある講堂の一教室だった。ざっと見て二百人程度は軽く収容出来る広さだ。本当は外でも良かったんだけど、こっちの方が人目につかないからと弟は言う。講義では使用していなかったのか、単に雑談をする為だけに集まっている学生がちらほら見える。何処もかしこも自分達の会話に夢中になっているらしいので、気取られることもないだろう。


一人ぽつんと座っている少年が、弟の視界の先にあった。あいつが弟と付き合っている奴かと思えば、こちらの気配に気づいたらしく、慌てたように立ち上がってぺこりと俺にお辞儀した。


「兄さん、この人が俺と付き合ってる織田律さん。で、律、こっちが俺の兄の高野政宗」
「あ、あのっ…初めまして!織田律と申します!よ、よろしくお願いします」
「ああ、宜しく」


嫁の親父に挨拶に来る彼氏かお前は、と思わず突っ込んでしまいそうになった。真っ赤になったままぷるぷると震えながら、表情は緊張のあまり固まったままで。でもそれが返って自分には好印象だった。弟の選んだ人は、真面目そうで良い子だった。半泣きになりそうになっている彼に、弟が大丈夫?と顔を覗き込む。途端ふにゃりと表情を緩め、だ、大丈夫です、と囁くような声で答える。それなら良かったと弟が呟きながら、くしゃりと柔らかそうな彼の髪を撫でた。兄貴の前で堂々とラブシーンかよと思ったが、邪魔する気にもなれなかった。相手からは、弟への想いがそれこそ全身から伝わってくる。それを弟はちゃんと受け止めながら、彼を愛していることが分かる。弟の相手がろくでもない人間だったらどうしようかと不安にならなかったといえば嘘になるが、やはり杞憂だったようだ。弟がこの子を好きになった気持ちが、少し分かるような気もした。


「とりあえず俺の立場は明確にしておこうか。俺はお前達の関係を無条件で応援する」
「は、はいっ!あの、ありがとうございます!」
「で?織田くんの従兄弟さんとやらが二人の邪魔をしているっていうのは間違いないのか?」
「…はい。お恥ずかしい話なんですが、その」


その従兄弟とは、織田の母方の親戚なのだと言う。どうやら彼は良いところのお坊ちゃまで、その祖父が多くの土地を所有している資産家らしい。地元の名士などの存在を考えるとイメージしやすいだろうが、大抵その有り余る土地には自分の親族を住まわせることが多い。マンションやら駐車場などに有効利用をする手もあるが、一定以上を超えれば管理が難しくなる。だからその土地を血族に使ってもらおうというのは、割かし良くあることだ。そして問題の従兄弟は、織田のすぐ隣に住まいがある。つまり従兄弟でもあり、幼馴染でもあり、そして兄弟でもあったのが彼の存在だった。織田よりも一つ年上の従兄弟は、だからまるで自分の弟のように彼を可愛いがっていたらしい。


「それが、見ず知らずの男と突然付き合いますって言ったら。まあ、反対するのも分かるか」
「兄さんの場合はきっと応援してくれると思ってたけど、世間一般じゃ確実に普通ではないからね」
「俺の方からも説得はしているんです。でも、聞く耳を持ってくれなくて」


はあ、と深い溜息をつく二人を見て、これは非常に厄介な相手なのだと分かった。従兄弟の持つ理論は、きっとおおよそは正論なのだろう。正論への反論というのは中々に難しい。赤信号では道を渡ってはいけないと主張する奴に、どうにか赤信号のままに歩いてもらうよう諭すことなのだから。


「実際見たわけじゃないから、何とも言えないが。そいつ、今何処にいるの?」
「探さなくても、あと五分もしたらここにやって来るから心配しなくて良いよ、兄さん」
「は?どういうことだ?」
「どうしてか彼には、俺の居場所が分かってしまうみたいなんです」


なんだそれは。携帯にGPS機能でもついているのか?と一人考えていると、手ぶらでも気づかれる、と弟が付け加えてくる。つまりその辺をふらふら歩いていても織田の居場所がその従兄弟には分かるらしい。幼い頃からずっと一緒にいたので、行動パターンを知られているんですよね、と彼はへらへらと笑いながら言うが、生まれた頃から一緒にいた俺ですら弟の居場所を逐一知っているわけではない。その事実を聞いて、背筋が薄ら寒くなる。


「律!!」


教室の出入り口付近から大声で人を呼ぶ声が聞こえて、驚きながら一斉にそちらを見た。そこには仁王立ちになって睨んでいる一人の青年がいて、どうやら先程の台詞はここにいる織田に向けられているのだと瞬間的に悟った。フーフーと意気込みながら自分達ににじり寄り、織田の手を掴むと、帰るよ、と酷く憤慨したように口にする。


弟が自分に目配せをし、首をふるふると振ったことによって、ああこいつが例の従兄弟なんだなと気づいた。良く良く見れば流石従兄弟というか、顔に何処か織田の面影がある。ただ、怒り狂って般若になっているせいか、別人としか思えない訳であるが。


「嵯峨くん。律に近寄らないでって、俺言ったよね?」
「そんな約束守れませんよ。俺達は付き合ってるんだから」
「へえ、それって誰の許可を得て?」
「人を好きになるのに誰かの許可がいるんですか?」
「感情的な恋愛論が俺に通用するとでも思ってんの?寝言は寝て言ってくれない?」
「ちょ、ちょっと!二人とも止め…」


終始穏やかだった雰囲気が、ここに来て一気に険悪モードだ。犬と猿。マングースとハブ。まるで生まれたときからの宿敵であるかのように、バチバチと二人は電流を走らせて睨み合っている。弟のこんな姿を見るのは初めてで、少々面食らってしまったものの、応援をする立場の人間がいつまでも唖然としているわけにはいかない。


「他にも人がいるんだから、静かにした方が良いと思うんだけど」
「五月蝿い。…てゆーか、あんた誰?」
「兄貴。ここでお前が喧嘩を売ってる相手の」
「…ふーん。嵯峨くんの、お兄さんねえ」


自分の立場を明かしても、奴は驚きもせずに露骨にジロジロと俺の姿を見る。まるで品定めでもしているよう様子だ。今まで怒りの表情を一転させ、奴は途端にっこりと笑みを浮かべて口を開く。


「この役立たず」


突然の暴言に固まっていると、織田の腕を掴み彼はあれよあれよと連れ去ってしまった。弟が不憫な顔をして、兄さん、大丈夫?と自分をいたわってくる。まるで台風に遭遇してしまったような一瞬の出来事だった。会話らしい会話をしていないというのに、この疲労感。弟が手をこまねいている理由が分かる。


過ぎ去った嵐に呆然としていたのは一時で、その後には奴への怒りがふつふつとこみ上げてきた。何でそんなに深い付き合いでもない人間に、役立たずとか言われなければならないのだ俺は。腹が立って仕方ないが、弟に八つ当たりも出来ないので、胸の中に押し込める。今夜はきっと怒りで眠れそうもないだろう。


偶然か否か。織田とその従兄弟とやらは実は同じ名前なのだという。姉妹が昔々に親愛の証として、自分達の子供にそれを残そうと。何処かで聞いたような話だ。でも、今はそんなことが問題ではない。まず俺がどうにか奴を説得しなければ、弟に明るい未来はない。優先させるべきことは、たった一つだ。


小野寺律。話で聞いた以上に、敵は手強い。





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