弟とは月に一度程度顔を合わせている。大体は講義のない休日で、いつにするかという具体的なものはほぼ彼に任せていた。指定された喫茶店で淹れたてのブラックコーヒーを啜りながら大人しくその人物がやってくるのを待つ。半分のラインまで飲み干したところで、ようやくその待ち人がやって来た。店内を見回す彼に、軽く手をあげることで居場所を知らせる。


「兄さん、久し振り」
「まあ、それなりに。お前の方は?」
「大学生活には大分慣れたかな。でも、少し疲れたかも」


言いながら対面の席に座ったのは、今年大学に入学したばかりの自分の弟だった。少々、“弟”と呼びすぎたかも知れない。けれど、そう表現するしかないのだから仕方あるまい。同じ苗字と名前を持つ故に苦労したことなのだが、お互いをどうやって呼び合うのか当時は専らの問題だった。両親は俺をマサくん、弟をムネくんと呼んでいたのだが、弟は鳥のムネ肉が連想されるからと相当に嫌だったらしい。兄弟だけで散々議論した結果、俺は彼を弟と呼ぶことにし、彼は彼で俺を兄さんと口にすることで丸く収まった。あのね、兄さん。なんだい、弟よ。というシュールな光景は、自分達の中では見慣れたものだった。赤の他人の視線など、弟が傷つくよりもよっぽど我慢出来る。


けれどつい最近は、漸く苗字に置いて同姓同名という異常な状況を脱した。元両親の再婚が決まって以降、俺は弟を「嵯峨」と呼ぶように努力した。弟はそのまま兄さんという呼称に変化はなかったものの、やっと普通の名前で呼ばれることを心から喜んでいるらしかった。けれど実は未だ内心や無意識のうちで「弟」と呼ぶ癖が抜けきってはいない。一応気をつけてはいるのだが、ぽろりと口をついて出てしまうのだ。そんな俺に長年慣れてきたものを今更変えることは難しいし、だから無理はしなくていいと弟は言う。そうやって呼ばれる方が兄さんと繋がっていられる気がするから、俺としては嬉しいんだけどね、と照れ笑いを浮かべて。全く、本当によく出来た弟だ。


俺と弟の外見は、幼い頃は瓜二つに近かった。成長するにつれ幾らかの差は現れたものの、弟の成長はまるで自分のそれを追いかけているようだった。弟からしてみれば二年後の自分の姿が目の前にいるのだから、絶望もしないが希望も抱かないという感想らしい。


一応は同じ血をひく兄弟な訳で、好きな雰囲気だとか好みのタイプもすこぶる似通っている。けれど性格までは全く同じということでは無く、自分よりも弟の方が多少大人しく、それでいて悲観的な部分もあった。何かを挑戦するとしたなら、自分は得られる利益を考えるが、弟は失うリスクの方に気が行くというもの。けれどそれも傍から見ればさほど大差はないのだろう。


「そうそう、兄さんに報告したいことがあって」
「なんだ?何かあったのか?」
「うん。まあね。あ、すみません。アメリカンコーヒーを一つお願いします」


席のすぐ近くで歩いていたウェイトレスを捕まえて、弟が飲み物を注文する。兄さんは?と尋ねられて、おかわりを頼むと答えた。以上で宜しいでしょうか?という台詞に頷いて、冷めかけていたコーヒーを一気に飲み干す。ううん、少しお腹減ったから軽食でも一緒に注文すれば良かったのかな、と小さく呟く弟に、食べたいならいくらでも頼んでくれて構わないと告げてやる。まさか兄さんが奢る気じゃないよね?と逆に聞かれて、思わず返答に詰まってしまった。


「弟思いなのは分かってるけど、あんまりやりすぎないでね。俺の方が恐縮するから」
「ああ。悪かった」


自分が極度のブラコンであることは百も承知だ。それでも彼が自分の弟である限り、無条件に愛さずにはいられない。あの親にして本当にこの子ありだ。元家族の中で一番まともだったのは今考えてもやっぱり弟だと思うし、両親や俺からの過剰な愛情を受け止めながら、けれど優しく諭してくれるのだが。それが益々溺愛する理由なのだと当の本人は気づいていないらしい。むしろ、その方がお互いにとっては幸せなのかもしれないが。


「で?報告したいことって何だよ」
「ああ、そうだったね」


やや話が脱線したようなので、それを指摘すると思い出したように彼は微笑んだ。けれどそう口にしたきり、ゆっくりと瞼を下に伏せてしまう。再び見えた瞳は僅かに揺らいでいて、どうも言うか言うまいかで悩んでいるようだった。勿論それを急かすことなく俺は彼から発せられる台詞を待ってやる。伝えるか伝えないかは弟の自由だし、ごめんやっぱり言えないと断られたとしても、怒らないという自信はある。弟が下した判断に、俺がどうこう言える資格はない。


しかしこうやって目の前で悩む弟の姿というのは、随分と久し振りに見た気がする。実は俺よりも頭の回転が早い彼は、決断を下すのもスピーディーだ。確かクリスマスのプレゼントでサンタさんに何を貰うかで迷ったのが最後。考えるのが大変だから、クリスマスが終わった次の日に、来年のプレゼントは何にしてもらうのかを決めてしまったと言い切った彼には、当時かなり驚いたものだ。


昔の弟と今の弟に共通点を見つけて密かに楽しんでいると、少々困ったような表情を浮かべて彼は、固く閉ざしていた唇を開いた。


「実は俺、今好きな人がいて。その人と少し前から付き合うことになった」


弟の報告は、それが真実ならばいたくお目出度いことだった。しかし、それを告白した後も彼は渋い表情を浮かべたままだ。付き合うことに何か問題でもあるのだろうか?それで?と促すように聞いてみれば、弟はあからさまに疲れたような溜息をついた。


「でも、その仲を面倒な人から邪魔されてて」
「へえ。男?それとも女?」
「男の人」
「お前の相手のことが好きだった、とか、元恋人っていう理由か?」
「ううん。まあ、そういう訳でもないんだけどさ」
「只の他人が口を出してきてるってことか?」


丁度良く頼んでいた飲み物が運ばれてきた。空になったカップをウェイトレスに返して、新しくなったコーヒーに口を付ける。


「相手にとっては従兄弟に当たるから、他人でもないんだけど」
「まず、邪魔をする理由が分からないな」
「俺と相手の関係を反対しているからだと思う」
「身分違いの恋の相手だとでも言うのか?今時つまらないジョークだな」
「身分が異なるかどうかは知らないけど、相手の性別が普通と違うことは確かだからね。だから反対するのは頷けるんだけど」
「は?性別が違う?どういう意味だよ」
「俺が今付き合っている人、同じ男だから」


最初に肝心なことを伝えるのを忘れてたね、と言って軽く謝罪する弟に、あんまりにも驚愕しすぎて、思わず飲み込もうと口に含めていたコーヒーを盛大に噴き出してしまった。





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