終わりの言葉は何にするか、特に考えてもいなかった。


自分達の関係がここで潰えるのは確かで、でも実際に想像したこともないからなあ、と覚醒しない意識の中考える。終局を思い浮かべなかったのは、つまり単なる現実逃避だろうということが今なら分かる。進むこともなく戻ることも出来ずに、ただ時が止まったようなままでいられることなんて出来る訳も無いのに。相変わらず単純な考えだ。


ふらふらとした足取りで道を歩き、自分の部屋へ辿りつくなりベッドの上へと倒れ込んだ。


帰る途中に散々泣いてしまったせいか、涙が枯れてしまったようだ。擦ってばかりいた皮膚が赤みをおび、ひりひりと痛む。でも、そのうちだ。時間が経てばいつしかその苦痛も和らぐ。例えそれが、恋に破れた痛みであったとしても。


人は失った痛みを、何かで埋めることでしか和らげることが出来ないという。


それが他の誰かの存在であったり、時間であったりするという訳だ。生まれた空間に何を埋めるかは人の自由。そうやって俺の空間は羽鳥の存在が塞ぎ、本来ナオくんが居るべき場所に俺が入りこんだ。そこまでは少なからず正当だった。


でも、その傷が塞がったら?


これ以上の時間も、求めた別の誰かも不要になるものだ。良く良く考えてみれば分かる。羽鳥には、隣にいるのがナオくんか俺かの二択だけが存在する訳じゃない。羽鳥だったら女の子だってよりどりみどり選べるはずだ。そこに無理やり割り込んだのは俺で、羽鳥がそれに気づきさえすればいつだって終わる関係だった。


枕をぎゅう、と抱きしめながら思う。もし自分の今いるこの世界が漫画の中での出来事なら。自分達の行く末を操る神様がいるだとするのなら。きっと、俺に向かってこう助言しているのだ。


その恋を、捨てなさいと。


コンコン、と部屋のノックする音が聞こえた。訪れるのが随分早かったな、と思いつつ返事はしない。とりあえず辛うじて体は起こし、ベッドのすぐ脇の壁にもたれかかる。吉野?いるのか?という声が耳に届いたので、いるよ、という軽い言葉だけ返した。


「聞いたぞ。具合が悪くなったんだって?」
「うん、昨日夜ふかししてたのが悪かったのかな〜。風邪気味っぽい」


よくも呼吸するようにすらすらと嘘をつけるものだ。自分自身に驚いた。思っていることしか話せない昔と比べればそれは急激な変化のようにも思える。けれど変わってしまった今は過去には戻れない。するりと上着を脱ぐ羽鳥を、愛おしむように仰ぎ見た。


「どうして言わなかった?途中で倒れたりしたらどうする気だったんだ」
「別に熱が出てたわけじゃないんだもん。一人で帰れると思ったから一人で帰ったってだけで」
「でも、万が一」
「言う必要が無かったから言わなかった。それだけじゃ理由にならないの?」


目を逸らさずに真っ直ぐに羽鳥を見ながら吐き出せば、その体が硬直する。本当は言わなかったんじゃなく、言えなかったんだよ。心では本音を言って、顔だけは笑って見せる。最後くらい俺にだって格好をつけさせてよと、と音にはせずに嘆いて。


「トリ。丁度良いから話しておきたいことがある」


一息ついて、そして言った。


「もう、終わりにしよう」


ああ、とうとう言ってしまったと思った。まさかこの関係に終止符を打つのが自分の方だとは予想もしていなかったから、体が少しだけ震えている。それを悟られないように押さえ込んで、でも、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。だって、もしトリの方から別れを告げられるようものならきっと耐えられない。未来に死刑になるだとするなら、今自分の手で殺めてしまった方が良い。そうすれば、これ以上傷つかずに済む。


ごめん。


「………それは、どういう意味だ」


ごめんね、トリ。


「どういうって、その言葉通りだよ」


本当はあの時、トリの手を掴んでファミレスにでも行けば良かったんだよね。残り少ない財布の中身を心配しながら、今日は何でも食べていいからと俺が言えば良かった。大丈夫、トリに見合う人なんてこの世界に沢山いるんだよって、もっとマシな慰め方は無いのかと自分の語彙力を呪って、でもどうにか元気を取り戻してほしくて、彼がどんなに素晴らしいのかを延々と語って。


いつもは仏頂面なトリも、あまりの俺の言葉に思わず俯いて照れてしまうのだ。


そんな姿を茶化しながら、ああ、良かった、トリが元気になってくれてと自分まで嬉しくなって。本来は、そうあるべきだった。そしたらきっといつまでも、大切な大切な親友でいたはずだ。ずっと一緒に笑っていられるはずだった。


でもね、自分が身代わりになると言い出したときに、その夢は終わってしまったのだ。


誰よりも近い場所でトリの体温を感じたことが嬉しかった。一瞬でも俺を求めてくれて幸せだった。でも、掌につかめた幸福はたったそれだけで、本当に大事にしなければならないものを俺は失くしてしまったから。幼馴染で親友という大切なものを、俺からも、トリからも。


「もういいかなって。トリも大分元気になったみたいだし。俺も結構満足出来たから、もういいかなって。次の恋のことも考えたら、いつまでもこうしているわけにもいかないしね」


本当に、驚くほど嘘がすらすらと口をついて出てくる。自分の気持ちに気づいた時からずっと嘘をつき続けていたから、声だって震えやしない。あとは、笑ってやるだけ。潔く美しく、もう良いよと告げてトリを解放してあげるだけ。


「本当はもっと早く言おうとしてたんだけど、ずるずる続けちゃった。その件については謝る。本当にごめん」


最後の台詞をちゃんと言い切った。


良かったと息をついて安堵していると、いつの間に接近しているトリの影に気がついた。見上げれば、至近距離まで接近している彼の姿があって。その表情が怒っていると認識すると同時に、腕を取られて力任せに壁に押し付けられる。


「ちょっ、トリ!何して…痛っ」
「もう俺に飽きたのか?」


上から降りてきた言葉に、ひくりと喉を引きつらせた。


「…飽きたとか、そういう意味じゃなくて」
「それ以外に何か理由でもあるのか?」
「それは、」


鬼気迫るトリの表情に、思わず体が硬直する。あからさまに怒りのオーラを露にする彼を目の前にして、ぐらぐらと目眩がした。ここに来て演技力が時間切れを起こしたのか、弁解が全くもって思いつかない。恐る恐る顔を上げれば、酷く冷たい視線がそこにあった。蔑むような、憐れむようなその目で自分を射抜かれるのが、居た堪れなくて。


なんだよ、と小さく息を吐き出した


「トリだって、もう十分満足しただろ?これ以上は俺じゃない誰かに頼めばいいだけの話だよ」
「…そういう問題じゃない」
「何が?ああ、相手が男だからってか?大丈夫だよ、トリなら男の一人二人程度簡単に手に入るから。なんなら俺が紹介してやろうか?気になる奴がいるんだったら協力してやるから、教えてくれよ。まあ、相手が男でも良いって奴じゃないと駄目だけどな」
「………吉野、いい加減にしろよ」
「何がだよ!俺、何か間違ったこと言った?俺はもう嫌なの!トリの傍にいるのも、抱かれるのも!もうたくさんだ!良いじゃんか!トリと寝たいって奴はいっぱいいるだろ?俺みたいな面倒臭い男を相手にする必要もないし、その方がトリだって幸せだろ?その方が良いんだよ。お前は、誰でも選ぶことが出来るんだから!たとえ、それが、」


俺じゃなくても。


そう言ってしまったら、塞き止めていた涙が溢れるように零れてしまった。ああ、やってしまった。しでかしてしまったことの大きさに、心臓が打ち震える。こんなの、自分の想いを打ち明けたと同じようなものじゃないか。最後くらいは綺麗に別れたかったのに、何処までも駄目な自分。


掴まれた腕から羽鳥の手がゆっくりと離れていく。これで、本当に終わりだ。


ふわりと、自分の体が包まれたのは一瞬だった。何が起こったのかを理解出来ずに瞬きを繰り返す。羽鳥に抱きしめられているのだと漸く気づいたけれど、それを突き放す気力も最早無かった。うん。これが最後の抱擁になるのならば、それも悪くない。今、羽鳥が抱きしめているのは俺で、誰かの代わりだとも思えなかったから。


「ずっと、お前のことが好きだった」


耳元で囁かれた言葉に驚き、思わずは?ととぼけた声が唇から零れた。


「な、何言って…」
「俺は、お前のことが物心ついたときから好きだったんだよ」
「そんなの、嘘だ」
「嘘なんかじゃない」
「だって、トリは。ナオくんのことが好きなんだろ?」
「は?それこそ意味が分からない。お前の方こそ、あいつが好きだったんだろ?」


二人の台詞がどうにもこうにも噛み合わない。


畜生、と俺の体をがっしりと掴んだまま羽鳥が苦しげに言った。


「知ってたよ。お前がずっとあいつを見ていたこと。物珍しさに毎日毎日眺めていたかと思えば、ある日突然お前の表情が変わったんだよ。あんなに幸せそうに見やがって、そんなのあいつが好きだと言っているようなものじゃないか!」


突如激高する羽鳥に涙も引っ込んでしまい、唖然とするしかない。頭の中をぐるぐると疑問符が回転する。え?何?俺が、ナオくんのことが好き?


「だからあいつの何が良いのかずっと観察してたんだ。俺に何が足りないのか、ずっとそのことばかり考えてたよ。それで分かった。“何か”なんてもんじゃない、何もかもが足りなくて。だから敵わないと、一旦は諦めたつもりだった」
「ちょっと…トリ?少し落ち着けって…」
「でも、あいつが告白されているのを公園で見たとき、チャンスだと思った。人の心に付け入る場合、失恋した時が一番良いからな。慰めて貰えるのなら、お前は誰でも良かったんだろうけれど。お前が俺を選んでくれた時、死ぬほど嬉しかった」


ようやく少し話が見えてきた。確かに俺は、ナオくんを監察している時期があった。その事実は認める。けれどそれは、漫画のヒロイン役のイメージにぴったりだったからという理由に他ならない。それを羽鳥は、俺がナオくんを好きになったと勘違いしたのだ。そうすると羽鳥の言っていることの全ての辻褄が合うような気がする。


だから羽鳥は、あの時公園で俺が失恋したとばかり思い込んだのだ。その傷を慰めてもらうために、羽鳥を誘ったのだと。思い込みも甚だしい勘違い。けれど問題なのは、


俺も同じ間違いをしていなかったかということ。


辛すぎる関係を俺はここで終わらせようとしている。けれど羽鳥の行為は全くその逆だ。彼は自分から離れたくはないと懸命に訴えている。何故、どうして?こんな未来も無い関係をどうして続けようとするの?ああ、そんなの簡単だ。答えは、俺の心にちゃんとあるじゃないか。続けたいのは、終わらせたくないから。この恋を、本当は失いたくないから。


全てを解明する第一の前提条件。最奥の彼の言葉。今ならそれを信じられる気がするよ。


トリは、俺のことが好きなのだ。


「………馬鹿じゃないの?」


静かにそう口にしたきり、けらけらと笑ってしまった。ぽかんと口を開くトリに向かって、笑いながら言ってやる。

「俺、別にナオくんのことそういう意味で好きじゃないんだけど」
「…………は?」
「俺は、逆にトリがナオくんのことを好きだと思ってた」
「何だ、その妄想は」
「つまり、トリも同じことを考えてたってことだろう?」


頭の回転が早い羽鳥なら、これくらいのヒントで十分だろう。少し考える素振りを見せた奴は、はた、と新しい事実に気づいたらしく呆然とこちら見つめてくる。それがまた可笑しくて吹き出してしまった。ああ、もう、本当に馬鹿だ。二人共、大馬鹿者だ。


一緒になって勘違いをするなんて、仲が良いにも程がある。


「勘弁してくれ。吉野と同じレベルだっていうのか俺は」
「失礼だな。天才の俺と同じだなんて、喜ぶべきところだろ!」
「どこが天才だ、どこが」


一気に脱力したらしく、鬱陶しそうな顔で羽鳥が言う。それにまた笑ってやれば、彼も一緒に少しだけ表情を緩めた。


「だとすると吉野。あれは何だったんだ」
「あれって?」
「お前、最初に“辛いから”とか何とか言ったよな?失恋したから辛かったんじゃないのか?」
「失恋したと思い込んでいたトリの代弁?みたいな」
「だから、なんで俺があいつを好きなんだよ」
「仕方ないだろ。トリがナオくんを穴が空くほど見つめてたから。そうだと思ったって」


勘違いしたのは自分も同罪で、だから羽鳥だけを責めるつもりなどは更々ない。けれど一つだけはっきりしておきたいのは、そもそも彼が変に嫉妬心をむき出しにしたのが全ての原因なのだ。その部分をつつけば、もう止めろと苦い顔でトリは呟いた。


そっと顔が近づき、緩やかに唇が降りてくる。その感触を確かめた時、ああ、こんなにも幸せな気持ちで口づけたのはこれが初めてだと思った。先程沢山泣いたというのに、また涙が溢れる。コイツのせいでどんだけ泣き虫になったと思うんだ。絶対責任を取ってもらうぞとばかりに、今度は俺の方から羽鳥に抱きついた。


「さっきのトリ、すげー必死だったよな」
「当たり前だろ。お前を失いたく無かったんだから。本気で迫らなければ逃げられそうだったし」
「逃げそうだったのはトリの方だろ。最初に誘ったとき渋ったのはそっちじゃん!」
「俺だってそれなりに悩んだんだよ。手を出したら、もう二度と友達の関係には戻れないと分かっていたからな」
「でも、最終的には手を出したよな?」


「これだけははっきり言っておく。お前は俺が、好きでもない男を抱けると思うのか?」


ううん、思わない。言葉は声にならずに、その代わりに熱いものが頬を伝った。


「もう一度繰り返すぞ」


うん。


「俺は、お前のことが好きなんだよ!誰よりも、何よりも」


うん、うん。


ずっとその言葉が欲しかった。





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -