「猫が人間に?」


素っ頓狂な声を上げて、同じ大学で同じコースを選択している小嶋里緒は、驚いたような表情を浮かべた。途端、彼女はぱあっと笑い、手を組みながら俺を見上げる。


「とうとう皇もオカルトに興味を…!わーん、頑張ったかいがあったよ!今度一緒にミステリースポットに行こうねっ」
「はいはいストップストップ。誰も興味があるなんて言ってないだろ?」
「えっ。だって今」
「古典絵画への純粋な鑑賞ゆえ」
「えー!えー!えー!何それ何それ何それ!つまんなーい」
「つまんなくて結構だから、早く教えてくれる?」


ちえっと小さく舌を鳴らしながら、それでも彼女は対面の席に座りながら説明を始める。


「日本に存在する逸話の中で、猫の妖怪に該当するのは二つね。化け猫と猫又。これは知ってる?」
「聞いた事はあるけど、区別はついてないな」
「両者の区分って割と不明瞭なのよねえ。どちらも、人に化ける存在には違いないから」
「どちらも?」
「そ。猫又はその名のとおり尻尾が二つに分かれているんだけれど、人に化けるくらいだったら尻尾なんて簡単にカモフラージュ出来そうじゃない?」
「確かに。でも、それじゃあ何が違うって話だよな」
「一つだけあるのよね〜。一つだけ。猫が、一体どうやって妖怪になったかという点で」
「つまり、生まれた理由に?」
「そう。化け猫は人間にいじめられたり、飼い主の恨みが乗り移って妖怪になる。その一方、猫又は…っと」


会話を遮断するように彼女の携帯電話が持ち主の名前を叫ぶ。結果、話は強制的に中断してしまったものの、無論文句は言えない。だってそもそも帰ろうとしていた彼女を引きとめたのは俺だ。視線だけでゆっくり話せよと伝え、ごめんね、という様に彼女が掌を口元に寄せて謝罪のポーズを作る。しばらくの間待っていると、電話を終えた彼女は少し困ったような顔を作った。


「どうかした?」
「あー、うん。ちょっとね。…今日さ、私これから合コン予定なのね」
「また行くのか?物好きな奴だな」
「なんたって肉食系女子だし」
「内臓系女子の間違いだろ?」
「一週間昼食奢りね」
「すみません、言いすぎました」
「素直で宜しい。…でさー、今日の幹事役が体調崩したらしくて、代わりに私が仕切ってくれないかって。でも」
「俺は良いよ。別に今日の機会がなければ会えないわけでもないし。また今度でも」
「………皇もくればいいのに」
「俺が行くと盛り上がり役だっていっても、場の雰囲気壊すだろ。また内輪で飲めればそれでいいから」
「本当にごめんね。また今度詳しく話すわ」


そう告げて堰を立ち上がり、荷物を抱えた里緒は真っ直ぐに出口に向かった。彼女が教室から見えるか見えないか位になった時に突然、顔だけぴょこりと覗かせて。


「言うの忘れてた」
「何?」
「猫又の方はね、人を食べるのよ。何年も生き続けた猫は、飼い主を食べることによって妖怪になるの」


聞くんじゃなかった。


携帯電話で時刻を確認すれば、午後四時を少し過ぎていた。今日はこれから本屋のバイトがあり、今から向かえば余裕で間に合う。この端時間で何か他のことをする気もないので、大人しくバイト先へ行くとしよう。忙しいということは現実逃避出来るというわけでもあるから。


教材が入った鞄を肩に下げ、靴を履き外に出る。空が薄っすらと紅くなっていて、未だ暑いくせにこういうところは秋なんだなとしみじみ思う。感慨深く上を見上げ、そして下に落下する。と同時に正門近くに大きな人の垣根が見えた。大学の女生徒達が、とある部分に熱っぽい視線を一心に送っていて。自分の周囲ではよく目にする光景だが、こんなふうに逆に意識されないのも珍しい。芸能人でもやってきたのかな?とつられるように該当するだろう人間を確認して、思わず卒倒しそうになった。


女生徒の一人が意を決したようにその人物の所へと駆け寄る。


好奇心のままに声をかけられたことにさほど驚くことなく、その男は優しげに微笑みながら同じように語りかけて。


それを遮るようにずかずかと注目の二人の前まで歩いた。女の方はいつもと等しくぽかんと俺を見上げながら照れ、もう一人の男は俺の顔を見るなり楽しげにくつくつと笑っている。


「……何でお前がここにいんの?」
「雪名を迎えに来た」
「…俺、頼んでないけど」
「来たら駄目だった?」
「………あ、あの!」


二人言い合いになる寸前で、傍にいた彼女が唐突に声を荒げた。


「お二人って、お知り合いだったんですか?」


学園の王子様の雪名のこと、知りたいって子いっぱいいるよ〜という昔里緒が俺に忠告してくれた言葉を思い出す。しまった、と思いつつもそれは全て後の祭りだ。誰かが目立っている際に自分が現れようものなら、更に目立つというだけなのに。けれどどうにか上手く誤魔化せないかとぐるぐると頭を回転させる。


「どんな関係だと思う?」
「お友達さんですか?」
「ぶー」
「えっと、じゃあ何だろう」
「ちょっと、何勝手に二人で話し…」


「もう時間切れだから答えを言うね。俺はここにいる雪名のペットです」


言うなり俺の腕をまるで恋人がするようにぎゅう、と猫男は抱きしめる。おい。ちょっと待て。待ってくれ。今しがたの彼の言葉を心の中で反芻する。ああ、そうだ。結局押しに押されて飼育することを約束してしまったことに間違いはない。ないけれど、しかしよく考えてみよう。猫としての言葉と、人間になった彼が告げたペットの意味を。


「ね?雪…じゃなくて、ご主人様」


最後の台詞を聞き終えた途端、女共の間から黄色い歓声があがる。あれだ。里緒がオカルト関係の話題を見つけた時のようなきらきらした目。違う!そういう意味じゃなくて!と事の経緯を説明しようとするも、まずそもそも猫が人間に変わった、なんて話誰も信じてくれないに決まっている。ちらりと隣を見れば、奴はしたり顔でニヤニヤとほくそ笑んでいた。


こいつ、絶対わざとだな。


言い訳もままならないまま、結局はこの男の腕を掴んで逃げるようにその場から離れた。バイト先への道を二人で歩きながら、ぜーぜーと切れる呼吸を宥めようと息をつく。諸悪の根源を作った張本人は、何食わぬ顔でけろりとしている。お前何そんなに疲れてるの?と意地悪く告げる奴をじろりを睨むも、笑いながら素知らぬふりだ。


「お前、どうやって部屋から出てきたの?部屋の鍵もかけてたはずだけど」
「今の俺は人間だけど、猫にもなれるんだぜ?だから、トイレの窓の隙間からも脱出可能。雪名、そのこと忘れてない」
「………服は?」
「体を変化出来るんだから、ぴったりの服ごと作れるけど」
「俺の名前」
「雪名が寝ている間、手紙の宛先を見て確認した。想像力が少しばかり欠如してんじゃねえか?少年」
「その言い方止めてください。そもそも俺の方が年上でしょう?」


と言い返せば、彼は僅かに肩をすくめて。


「俺、三十歳なんだけど」
「は?どこをどう見ても高校性くらいにしか見えないけど」
「どんな人間に変化するかは俺の勝手。若いだろうと、老いていようと。芸術家を目指しているんだろ?見た目より、心の目を持てよ少年」


そう言いえば里緒も言っていたことじゃないか。何年も行きた猫が化物になると。彼が猫又とやらだというのなら、申告した年齢が間違いというわけでもないのか。俺への偉そうな態度を見るに、年下のそれだとも思えないし。


「何処まで付いてくる気?」
「バイト先までお送りしますよ、ご主人様」
「その言い方も止めてください」
「注文多いな、雪名は」
「お前よりは少ないよ」
「お前って呼び方止めてくれない?俺には木佐翔太っていう名前があるんだから」


木佐、翔太ね。


「木佐さんは、今まで何処に住んでいたんです?」


年上であることが判明したので、とりあえずはさん付けでその名を呼ぶ。


「うーん、雪名の家より人間の足だと近くて、猫の足だと遠い、かな」
「………ということは、飼い主がいたってことですね?」
「お、少しは会話出来るようになったな」
「…今はどうしているんですか?もしかして木佐さんのことを探しているんじゃ」
「その心配はないよ」
「そんなことは」
「だって、もう死んじゃったから」


こともなげに言い切ってのけるものだから、言葉を失くしてぽかんと見つめてしまった。何を言おうか迷っていると、それを見透かしたように木佐さんは俺に笑いかけて。


「だから、少しの間お前に世話になろうかと。他の飼い主が見つかるまではな」
「少しの間ってどれくらいですか?」
「猫の時間なんて人間のそれよりずっと早いから。大丈夫」


店の前まで辿り着くと、木佐さんは俺の背中を強く押して、いってらっしゃいと呟いてひらひらと手を振る。終わり頃にまた迎えに来るから、と言い残し、彼はまた猫の姿に戻る。目の前でその光景を目撃し、誰かに見られたらどうすると危惧するも、周囲の人間はそんな怪奇現象に目もくれずに歩いている。見て見ぬふりをしているわけでもないらしい、ということは、単に見えていないだけか。………そんなことも出来るんだな。


納得して道に背を向けて、素知らぬふりをして。それでも思い返す。昔の飼い主のことを語って、初めて表情を彼が曇らせたあの瞬間を。


―何年も生き続けた猫は、飼い主を食べることによって妖怪になるの―


まさか、ね。





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