いつもなら五月蝿いくらいに小野寺から電話やメールが来るのに、あの一件以来ぴたりとそれが止まった。流石に言い過ぎたかと反省しつつも、ああしなければいつまでも堂々巡りになっていたはずで、だからこれで良かったと自身に言い聞かせていた。小野寺が自分に好意を寄せていたのは薄々感づいていたが、だからと言ってそれに応えられるはずもない。俺が好きなのは十年前から横澤ただ一人だ。失った悲しさ故に彼の体を借りたことがあるが、でもそれは一時のものだ。一緒に仕事を始める時に過去を精算し、つまり小野寺との関係は友達というだけでそれ以上でも以下でもない。


ほとぼりが冷めて小野寺が少し冷静になったら、また友人として付き合えばいい。直後はその程度にしか考えていなかった。


年末年始の休暇を明けて会社に来てみれば、見つける空白のままの小野寺の席。仕事始め早々遅刻かよ、と最初は軽んじていたけれど、連絡すらない状況を怪しんで慌てて受話器を取る。指先で打った、彼の電話番号。鳴り響くコール音後、1、2、3秒………繋がらない。何かトラブルでも起こったのか?と焦り始めた頃に、手元に届いたのは小野寺からの郵便物。中には仕事の書類と退職届けが一つずつ。思考処理が追いつかず、封筒を持ったまま意識が遠のいたのはその時が初めてで。


理由は分かりすぎるくらい簡単なもので、俺の顔を見れなくなったというのが一番なのだろう。数日前に見た小野寺は俺と仕事上の会話しかしておらず、それ以外の時間は俺と目も合わせようとしなかったから。


流石に一社会人が顔を合わせずに会社を辞めることなど許さずに、とりあえずは独断で休暇扱いにしておく。それまでには小野寺の首根っこを掴んでも会社引きずり出さねば。しかしそんな思考とは裏腹に何時まで経っても電話は繋がらない。しびれを切らして家に直接突撃するも、部屋の中身は伽藍堂。近隣の住民を捕まえ尋ねてみれば、居住者は昨年末に既に引越したとのこと。勿論彼の行く先は知らされておらず、手掛かりはそこで途切れる。

小野寺を発見する手立てがそれ以上見つからず、どうしようもなく腹がたつ。例えどんなことがあろうと、小野寺は俺の親友だ。十年という長い時がそれを否定しない。だというのに、こうなってしまうと小野寺の居場所一つ俺は見つけることが出来ない。何と無様なことか。


お陰で只でさえ依存症のような煙草の量が、ここ最近倍増した。口元から短くなった芯を引き抜き、火の先端を灰皿に押しつける。じり、と焦げるような音がした。


「吸いすぎだろ。少しは加減しろよ」
「別に平気」
「せっかく栄養満点の食事を作ったのに意味がなくなるだろ。ほら、さっさと食え」
「後でな」


俺の部屋にいた横澤が、お手製の料理をテーブルの上に広げていく。彼と再び恋人となって数日。本来なら喜ぶべき時間なのに、頭の中は小野寺でいっぱいだった。ため息をつきながら横澤が目の前で箸を取る。それを見やりながら、もう一本の煙草に火をつけた。


どうしようもなくイライラする。小野寺の気持ちも分からなくはないのだ。もし自分が小野寺と同じ立場だったら、逃げ出さないという自信はない。分かっていても腹立たしいのは、自分が横澤を選ぶことで小野寺がこんなにもあっさりと離れていくとは思いもしなかったから。だって壊れた関係は修復出来ると思っていた。時間が経てば彼のした行為すら水に流して許してやろうと考えていたのに。


許してやろう?


小野寺は許してもらう必要がないから俺から離れていったのかもしれないのに。この上から目線は何だ?友人の間の謝罪というのはこれからもお互いの手を取る為に必要な儀式であって、それが無ければ友達だとすら名乗れなくなる。小野寺はきっとそれを知っていて、でも放棄した。自分より先に手放した。俺が横澤を選んだから


それがどういうことだか分かっていたつもりだった。でも、何なんだろうこの胸の鈍痛は、心細さは。しばらくすれば消えていくであろう厄介な心情は、なのに時間を増すほどに自分の中で増大していく。会いたい、小野寺に会いたい。でも、会ってどうする。


今更会って、何を言う?


これからも良いお友達でいてくださいね?


「政宗」
「ん?」
「別れよう」
「は?」


思わず煙草をぽとりと落としかける。突然の告白に訳も分からず横澤をぽかんと見つめた。きちんと箸を揃えた彼はまるで何かの覚悟をしたかのように、目を細めながら俺を眺める。


「昔、俺が離れていった理由は、お前が俺のことを好きじゃないと思ったからだ」
「でも、それは誤解だって分かっただろ?」
「ああ。けど俺、今お前といても辛いだけなんだ」
「何でだよ」
「お前が俺のことを好きじゃないから」
「…俺が好きなのはお前だよ」
「じゃあ、今誰のことを考えていた?」


声が出なかった。唖然として横澤に視線をやれば、彼は諭したように柔らかく微笑む。だからだよ。横澤は続けて言った。


「今も同じなんだよ。政宗の心がここにないまま、一緒にいたって仕方ない」
「………横澤」
「政宗、お前変わったよな。昔はもっと無表情で、無感情に見えたよ。でも今はちゃんと笑って、怒って、涙を流せる様になったんだよな。それって誰の影響だ?俺じゃないよな。小野寺がお前の傍にずっと一緒にいたからだろう?」


横澤が息を止めて笑う。その泣きそうな表情に胸が詰まった。


「小野寺はお前のことが好きだ。好きな人の心が自分の方に向かないまま、一緒にいることがどんなに辛いか、俺は知ってる。十年、十年もだ。お前、そんなに優しい人間が傍にいて何も思わなかったのか?何も心に残らなかったのか?違うって本当は分かっていたんだろう?………自分が小野寺を好きだって、知っていたんだろ?」


彼の言葉が、すとんと胸に落ちる。それが正解だという証でもあった。


ああ、そうか。そうだったんだ。


俺、小野寺のことが好きだったんだ。


昔の横澤に対する激情みたいな愛ではなく、いつも隣で笑っていてくれた小野寺に緩やかに静かに惹かれていったのだ。次第に、自然に。俺の隣にいる小野寺はいつも笑ってくれていたから、それが酷く嬉しくて。いつの間にかその日常がこれからも続くものだと信じていた。だから彼が存在しない現実が、こんなにも苛立たしいのか。苦しいのか。それをどうして今の今まで気づかなかったんだろう。


だってそしたら小野寺にとっても同じようなものだったのに。


小野寺はどんな気持ちで俺の隣に居てくれたのだろう。自分の好きな人に想いに応えてもらえないと知っていて、それでも共に有り続けたことがどれほど彼を苦しめたのだろう。いつもいつも弱音を吐かずに自分支えてくれて、だから彼が泣いたことなど見たこともなかった。十年間もの長い間一緒にいたのに。小野寺の涙すら自分は知らなかったのだ。悪いのは、俺だ。俺が彼を自分の前で泣けなくしたのだ。本当は自分の知らぬ所で彼は涙を流していて、それに気づこうともしなかった。


俺はとっくに小野寺のことを好きになっていたのに、それすら。


呆然としながらも横澤に向き直る。無理に笑う彼の表情が胸に痛い。ようやく分かったかと苦笑いしながら、最後の別れ言葉を彼は口にする。


「今度は間違えるなよ?大切なら、ちゃんと掴んでおけ。忘れないで好きって言ってやれ」
「横澤」
「何だ?」
「スマン」
「謝んじゃねーよ、アホが」


十年ぶりにお前に会って、長い間一緒に苦しんでいたことに気づいたからもういいんだ。すれ違ってしまったけれどあの時本当に自分のことを好きだったと分かったから。あの幸福は本物だと知ったから。だから今度こそ、ちゃんと笑顔で手を離そう。


「政宗。幸せになれよ」


これから一緒にいることは出来ないけれど、もう一度笑顔を見せてくれてありがとう。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -