昔思ったものだ。もしこの横澤隆史という人物が高野さんの前にもう一度現れようものなら、有無を言わさず一発殴ってやろうと。けれど実際その人を目の前にすれば驚きで声すら出せなくなり、肝心なところで役にたたない自分の体を恨めしげに呪った。勿論周囲の皆には高野さんと横澤さんのことを知るよしもなく、だから本当の意味で彼らの動揺に気づいたのは俺だけだった。何?お前ら知り合いだったの?と呑気に呟く営業部長の声が煩わしい。


名前の似た同一人物?ならば何故その当の本人が高野さんと同じように目を見開いているのだ。何故高野さんの瞳が、懐かしくて愛しそうなそれになるのだ。


形式的な挨拶に取られた時間は数分で、けれど俺にとっては恐ろしく長く感じた。今更だ。十年も経って何を今更高野さんの前に現れたのだ。お前のせいで、どれだけ。どれだけこの人が苦しい想いをしたのか。辛かったことか。彼を救いあげることがどれだけ大変だったか。お前は何も知らないくせに、よくものうのうと顔を出せたものだな!


後になって怒りの感情が湧き上がるようにこみ上げてきて、無意識に手がぷるぷると震える。それを抑えて高野さんの方を見れば、一見書類に目を通しているようだが、長年の付き合いだからこそ分かる。あの人は紙に目を落としているのではなく、何かを思慮している時にああいった表情になる。その原因が分かるからこそ、腸が煮えくり返った。


そして未来に知るのだ。この時決意した自分の行動が何もかも全て無意味であったことを。


その日の夜はアポイントも無しに、コンビニで大量購入した缶ビールを抱えて高野さんの部屋にやって来た。一瞬嫌そうな表情を浮かべたけれど、追い返す気は無かったかのそのまますたすたとリビングに歩き去ってしまう。灰皿に入ったタバコはこんもりと小さな丘を作り上げていて、その量は高野さんの思考の時間に比例している。故に自分の予想が当たっていたこともこれで証明された。どうせあの人のことでも考えていたんでしょう?


缶ビールのプルタブに指を掛け音を立てて開封する。かける言葉もなくお互いに沈黙のまま時が過ぎる。いつもだったらとんとんと会話が進んでいくのに、何を話しかけていいのかも今は分からない。


「あの、高野さん…」
「…何?」


まどっろっこしいことは止めてさっさと本題に入ろうと決め、思い切って高野さんに語りかけた。ソファーの上で緩くくつろぐ彼の瞳を真っ直ぐにじっと見つめて、此処にたどり着く前に出来上がったその台詞を真っ直ぐに突き刺す。


「横澤さんには近づかないほうがいいと思います」


紛れもない本音。透明なその台詞に高野さんも一瞬だけたじろいだ。瞳が揺らめいたのはたった僅かな瞬間で、自分が瞬きを繰り返せばそれはいつもの姿に戻る。冷酷で冷徹で、それでも告げる言葉は彼の本心で。


「お前には関係ないだろ」


唇を強く噛み締めただけでそれ以上何も言えなかった。


疲れていたせいかそれとも酔った為か。高野さんはソファーの上に横になり、そのまますやすやと穏やかな寝息を立てる。寝室からブランケットを攫って、その体に掛けてやった。床にぺたりと座って、高野さんの顔を覗き込んだ。幸せそうな寝顔。それにふ、と笑えば直後、視界がぐにゃりと歪んだ。あれ?と指先で目元を擦る。ああ、なんだ。涙が頬を伝っただけか。自覚したら、次々に雫が目尻に浮かんでは流れ落ちる。ぎゅう、と力強く掌に拳を作る。


嫌だ。この人をあんな人にとられたくない。高野さんは、俺のものだ。


堪えることがないせいか、滲んだ雫はぽろぽろと自らの掌に吸い込まれていく。ずっとずっと好きだった。けれど高野さんは俺が親友であることを望んだから、その理想通りに自分は演じていただけだ。もし、何かのきっかけに俺を好きになってくれたなら、その時はその殻を破ることすら厭わないつもりだった。それがどんなに遠い未来でも、この人の一番近くに入れたらそれが叶うものだと信じていた。だけど、今は。高野さんが横澤さんに浮かべた表情が忘れられない。驚きと悲しみと愛しさが入り混じったような、あの瞳。


俺には、そんな表情を見せたこともないくせに。


だから高野さんと横澤さんが絶対に近づくことの無いように、会社の中では細心の注意を払っていた。仕事ぶりを見るに横澤さんは見た目通り堅いくらいに真面目な人で、それ相応の腕もあった。だから会社の中でお互いに業務をこなしているあたりには、心配する必要は無かった。問題はその仕事が途切れる時、彼らが二人きりにならぬように目を光らせ。危ないと思った瞬間にその間に割り込む。子供だましみたいにも思えるが、実はこういった率直な行動の方が効果がある。下手に小細工をするよりは有効で、だから時に高野さんの視線に怖いものがあっても、素知らぬ振りを続けた。ただの偶然。言ってしまえば、そこから先を追求されることがないと知っていたから。


横澤さんには俺と高野さんの間を邪魔する権利などない。十年彼を放っておいたお前になんて近づくことすら許さない。横澤さんは高野さんを良いように利用しているだけで、だから高野さんがいくら横澤さんを求めても、最後には得ることが出来ない苦悩にお互い傷つくだけだ。


もう止めて欲しい。彼を苦しめるのは。俺がどんな想いで彼を救ったかも知らないくせに。何も知らないくせに。振り回さないでほしい。どうか、どうか。俺から高野さんを奪わないで欲しい。高野さんが住むマンションは自宅から徒歩五分の距離にあった。真夜中に担当者からネームのFAXが届き、それを確認してもらう為にその部屋に向かう。途中連絡は入れておいたから、何も問題なく過ごせると思った思考は玄関の扉を開いたところで自惚れであったと自覚する。


部屋から飛び出る横澤さんの姿。目の下は赤くうっすらと涙が。途切れる息に今まで何をしていたのか簡単に分かってしまって、全身の血が一気に引いた。


ぐるぐると頭の中が回転する。嫌味の一つも口に出せず、ただ呆然とその光景を眺めることしか出来ない。は、と乾いた息が口から漏れた。


………どうして?


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