それが十年前の出来事。時を経た自分達は既に社会人になっていた。学生の頃はそうやって肌を重ねて彼を慰めることが何度かありはしたものの、それはあくまで友達が親友を慰めるものだった。少なくとも彼にとっては。


自分の心のうちを何度か彼に伝えようとしたこともある。それでもその度に彼の心の中に居座る存在に気づいて苦笑いをして諦める。まだ、駄目なのだ。本気で彼が恋しい人が忘れられなければ、そんな中に自分が入ったとしてもどうせその存在にかき消される。長期戦は覚悟のうえで、それでも少しくらいは自信があった。だって十年だ。十年もの長い間、俺は高野さんの隣にいて、喜びも苦しみも分かち合ってきた。他の誰にも負けないその事実は、だから彼が他の恋人を作ったとしても揺るぎなかった。高野さんのことを分かってあげられるのは俺しいない。救ってあげられるのも幸せに出来るのも。俺しか。


傲慢な考えであることを自覚しつつ、けれど誰にも否定出来ない事柄だったからそれが唯一の真実であると錯覚した。故に俺の考えはきっと何もかもが間違っていたのだろう。


お互い無事に大学を卒業し、本好きな二人が入社したのは大手出版社だった。自分は親が経営する会社に勤め、彼も自身が望んだ会社へ。その間の友好も勿論途切れず続いていた。高野さんが自分のやりたいことが出来ないと言ってほぼ逆ギレして会社を辞めたと聞いた時、縁故採用だの噂話悪口に飽き飽きしていた自分も彼の後を追うように退職を申し出た。そしてそのまま二人一緒に丸川出版に入社することになる。


配属された先は人手不足な少女漫画編集部。あまり馴染みのないジャンルに一瞬不安になったりもしたが、高野さんが俺に出来るんだからお前にも出来るだろ、と良く分からない言葉で励ましてくれたこともあり、何とか無事に今まで仕事をこなしてきた。文芸を担当していた時よりも遥かに忙しい部署。でも高野さんと一緒なら、それだけで苦痛など感じなくなるくらい幸せだった。辛いとは思ったことはあるが、辞めたいと決意したことは無かったから。

最初に仕事をする時になって、高野さんが俺に向かって改めるように言った。


「一緒に仕事をすることになるなら、ケジメをつけよう」
「ケジメ?」
「俺とお前は友達で、それ以上でも以下でもない。お前とは寝たことがあるが今後は無い」

つきりと痛む胸を抑え、笑ってはい、と答えた。こう言われることを心の何処かで予想していたし、取り組むべき面ではとことん真面目になる彼のことだからと納得した。別に良いのだ。今はそう口にするけれど、いつかきっと。今は悲しくて涙が溢れてしまっても。


待つことは慣れている。だって今までもそうだった。だからこれから先だってずっと待てる。


「高野さん、今日飲みにいきませんか?」
「やだ」
「即答ですか…。で、その理由は?」
「絡み酒に付き合うのは面倒だから」
「…ほどほどにしますから、付き合ってくださいよ」


営業用の笑顔も俺が語りかけるとすぐに素の彼の表情に崩れる。ほらね、彼にこんな顔をさせること出来るのは俺しかいない。残業にならないようにちゃんと仕事しろよ、と書類でぽかりと頭を叩かれても、知っている。それが了承の意味だって、唇が嬉しそうに歪んでいることだって。何もかも全部。


昔に比べたら長くてもそれは大きな進歩だった。自殺でもしかねない彼を何度も慰めて、彼の心が癒される瞬間に立ち会って。そうしてようやく手に入れた定位置。それを奪おうとする人間もなく、守る必要もない安寧。絶対の自信が生まれ、でもそれが壊されたのはあっという間の出来事だった。


営業部に新人が入社したという噂は聞いていた。けれどこちらの部署は入校前でそれどころではなかった。鳴り響く電話と終わらない原稿。連日徹夜で前後不覚な状態を知っていたのか、挨拶はその後にということになっていたらしい。校了明けになって初めて紹介されたその人。一生忘れることの出来ないそのシーン。


「今度入社しました営業部の横澤隆史です。これから宜しくお願いします」


新しい営業部員は自分と同じく、ぺこりと深くお辞儀をする。身長は俺よりも高くて、もしかしたら高野さんといい勝負なのかもしれない。強面だけれど、それが返って裏表なくむしろ信用しやすい人のように見える。着こなされたスーツやその体裁から、恐らく凄く仕事が出来る方なのだろうと想像した。


営業部長が高野さんの名前を呼ぶ。その光景を目にしながら、頭の中で何かが引っかかっていた。何だろう。この強烈な違和感。横澤隆史?何処かで聞いたような名前だった。知人にそんな名前の人がいたっけ?いいや違う。この人の名前は、もっともっとずっと前に。誰だっけ。誰の名前だっけ。喉まで出かかっているのに、思い出せない。


「…横澤?」
「…高野?」


お互いに挨拶をした二人が、さっと青くなる表情を見て理解した。その人の名は高野さんが初めて俺を抱いたときに呟いていたもので、彼が語る過去の中で何度も出てきた言葉で、彼が一番に愛した人で。あれ?あれ?あれ?


よこざわ…たかふみ?


それは高野さんを地獄へ突き落とした張本人の名前じゃないか。



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