彼の告白は刺のように胸の中でちくちくと痛んで、でもそれは唯一の親友が自分の他に大切な人がいたということにショックを受けたのが原因だと思い込んでいた。だからさほど気にせずに相変わらず俺は高野さんの隣にいた。俺と同じく本好きな彼とは話も合う。秘蔵の蔵書を見つけた時など一番に高野さんに連絡して、これから読みますと言えば只の自慢かよと皮肉られる。後で貸しますって、と告げる声も柔らかく彼の声は最初から優しかった。


高野さんは頭が良い上に料理も上手い。何度か彼の手料理をいただいたものだが、本当に何処かの料理人が作っているんじゃないかとよく疑ったものだ。実際自分の目の前でその腕を披露され、凄いですね高野さん!嫁にいけますね!とからかえば、じゃーお前が貰うか?と仕返しされる。お断りします、そこを何とか。言い合って最後には二人で笑うそんな日々が幸せだった。


彼のノートを欲しがる生徒は多く、けれどそれをあっさりと断っていた。単位を取る為ではなく学ぶ為に大学にやって来たんだろう、と至極最もなことを述べて断る。頼んだ生徒にとっては二重のダメージだ。たまに可哀想になって、少しくらい良いんじゃないですか?と問うてみれば、名前も知らないような奴に貸せるかとの一言。だからあの時自分の名前を先に言ったんだな、と気づく。自分の名前を尋ねたのはつまりはそういう意味。


その特別が嬉しかった。隣に存在することが許されたただ一人の人間。それが何故だか酷く幸せなことのように思えたから。


その幸福は親友故に生まれたもので、だから彼が俺にとっては必要だった。彼にとっても自分の存在がそうあって欲しい。その願いは、きっと最後まで叶えられた。


それはじとじとと雨の降る休日のこと。高野さんの部屋にお邪魔する予定は元からで、先日渡された鍵を使って部屋に入り込んでいた。無駄に多い書籍一冊を拝借して、寝ながら読み込む。読書に集中していていつの間にか二時間程経過していた。足をジタバタと動かして、時計を見ながら考える。さっき電話したときはすぐに帰ると言っていたのに、流石に遅すぎやしないか?不安が芽生え、良くない思考で頭がいっぱいになる。


きっと、あの人のことだから新しい本を買いに行って時間も忘れて吟味しているんだとか、それかスーパーで買った今日の夕食の材料が重くて動けなくなっているんだとか。色々考えて、でもどれもこれもそれだったら先に俺に連絡をくれるだろうと思い当たって。もしかしたら事故にでもあっているんじゃないかと不安になる。


と丁度その時になって、ガチャガチャと玄関のドアが開かれる音がした。なんだ、取り越し苦労かよと息をつき、慌てて玄関に迎えに行く。その場所に佇む高野さんの姿に驚いた。唐突に降り出した雨に傘を持っていなかった為か、全身ずぶ濡れになっていたから。


慌ててタオルを持っていって、ガシガシとその頭を拭いてやる。随分盛大に濡れたものだ、せめて雨があがってから帰ってきても良かったのに。というか家に俺がいるって分かっているんだから、連絡を寄越せば傘を持って行ったのに。告げようとして口を開いて、でも彼の顔を見たら。何も言えなかった。


「どうかしたんですか?」
「……ちょっとな。さっき俺の両親に会ってきた」
「ああ、今日の用事ってそれだったんですね。それで?」
「離婚したって言ったよな?高校位からもうほとんど家族崩壊してたって」
「…ええ、それは」


「ついでにさ、俺親父と血が繋がってなかったんだって」


息を止めた。え?と思わず高野さんの顔を覗き込むと、そこには無理矢理に作った笑顔。それを見て思わず口を噛み締めた。ほたりと堕ちる水の雫は雨のそれ。彼のものでは無いから。けれど何故だろう。いてもたってもいられなくて、思わず濡れたままの高野さんの体をぎゅうと抱きしめた。


「何泣きそうな顔してんですか。泣きたければ泣いてくださいよ」


友達じゃないですか、と続けて言えばごめんと素直に彼は謝る。体を抱き返され、彼の大きな瞳から次々と雫が溢れいく様が見えた。その彼の姿に胸がきつく締め付けられた。ああ、ああ。


何でこんなに純粋な人が傷つけられなくてはならないのだろう。なんでこんなに優しい人が辛い目にあわなくてはならないのだろう。何故俺は苦しそうな彼を抱きしめることでしか救えないんだろう。彼にはずっと笑っていて欲しいのに。ただそれだけなのに。


それでも彼は懸命に立ち直ろうとした。一通り泣きえ終えて赤く目を腫らしているくせに、ほらさっさと夕飯作るぞと何でもなかったように軽口を叩く。けれど浮かべた笑顔は本物で心配ではあったけど、不安になりはしなかった。強い高野さんのことだから、きっとすぐに元に戻ってくれる。今は辛いだろうけど、それは時と俺が傍にいることで解決出来る。そう信じていた。


不幸とは願い虚しく重なるもの。昔付き合っていた彼の恋人に、その当時婚約者がいたと。絶望した高野さんの口から聞いた時もう俺にはどうすることも出来なかった。


穏やかだったものが一変して荒れた日々の始まり。大学で高野さんの姿を見かけなくなり、心配して部屋に向かえば玄関に散らばった女の人の靴。ただ彼は自分の寂しさを人の温もりで精一杯埋めようとしただけ。いたたまれなくて部屋から逃げ出して思った。どうして俺は男なんだろう。自分が女性だったら、彼を慰めてあげられるのに。いくらでも、いくらでも。


食べることすらおろそかになった高野さんの為にスーパーに行って惣菜を購入したり、苦手なのは承知で彼の為に手料理を作ったりもした。このままでは病気になってしまいますよ、と。高野さんの返事は、放って置いてくれという一言。そんなこと出来る訳ないじゃないですかと俺は笑いながら言った。出来てたらこんな場所にはいませんよと、心の中で呟いた。


酒に逃げることもあった人。何を言っても何をしてもこの人に届かぬ声。何故だかあんまりにも悔しくなって、同じく置かれてあった酒を勝手に煽った。アルコールには弱い性質。ある程度飲めばぐにゃりと視界が歪んでいく。いつ意識を失ったかなんて覚えてはいないけれど、気づけば俺はベッドの上で高野さんに抱かれていた。


慣れない場所に受け入れた痛みで思わず背中に爪を立てる。僅かに開いた視線から見える高野さんの表情。滴り落ちる汗がまるで彼の涙みたいに見えて。だから、俺の前では泣いていいんですよって言ったじゃないですかと掠れた声で囁く。噛み付くような口づけに息が付けなくなる。内部で動く欲望に、あ、とらしくもない甘い声をあげた。


信頼を壊すような行為。本来ならば親友に何するんだお前は、と怒っていい場面だったと思う。なのに憤怒の感情は一切なく、ただ嬉しいと思った。隙間ない距離で彼を慰めてあげられることが。この人の為だったら何でもしてやる。考えたら目頭が熱くなって、ぽろぽろと涙を零して泣いてしまった。


人は一人では生きていけないという言葉は嘘だと思っていた。けれど、今は。


この人を支えたい。ずっとずっと隣にいて幸せにしてあげたい。心からそう願えた。


一人で生きることが出来る私は、一人では何も出来ない貴方の為に。


震える手を伸ばして高野さんの頬を包む。泣けない彼の代わりに、俺が泣こう。せめてこの人の涙が止まるまでに。心に誓って、そして笑った。


そっか。俺、高野さんのことが好きだったんだ。友達としてじゃなくそれ以上で。だから昔に恋人がいたと聞いて衝撃を受けてしまったのか。ああ、でもこのタイミングじゃ言えないよね。せめて彼が昔の恋人のことを忘れてくれて、元気になって。俺の方を向いてくれたら、自分を好きになってくれたら。その時にまた。



「……たか、ふみ」


それは彼が心から愛する人の名。



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