高野政宗という人物と出会ったのは大学二年生になったばかりの頃だった。人の出会いの意味というものは全て未来からの後付けで、だからファーストコンタクトの際にその繋がりが自分の人生を揺るがすものになるだなんてやっぱり俺は気づきもしなかった。今思えば出会いの接点となるべき箇所は幾多にも転がっていて、でにだからこそ彼との出会いは運命だったのだと今は思える。


その当時の俺はと言えば、実を言えば軽く人間不信に陥っていた頃だった。誰かとの間で決定的な裏切りにあったり喧嘩をしたというわけではない。ただ今まで自分の親の掌に守られて同じような純粋無垢な子供ばかりと付き合ってきたものだから、大学に入ってその常識をぶち壊されたというのがおおよその原因だった。ずっとずっと人の良い点ばかり見てきた人間が、その裏側の部分に着目するのは酷く難しいことで。つまりそれが駄目だったのだ。


綺麗すぎる水の中を生きた魚は、少しでも不純物がある川の中では生きられない。平気で講義に遅れてくる生徒、課題に手をつけない生徒、講義を取ったというのに簡単に欠席してしまう生徒。世界には色々な人間がいるんだという親の教えもあり、その時はまだ今のようにそこまで人を拒絶してはいなかったはずだ。そういう人達と自分の間にはあからさまな境界があって、それを乗り越えることも迫られることも絶対にあるはずがないと思い込んでいたから。


きっかけは些細すぎる小さな出来事。同じ講義を受けていた生徒が、テスト前にノートを貸してほしいと申し出たのが理由。コピーしたらすぐに返す。約束を代償として渡したノートは、今もまだ持ち主に返らない。受け取った当の本人に聞けば、同じく友人からコピーしたいと頼まれたので貸したという台詞。ノートは友人の友人へ。友人の知人へ。そして俺の知らない人へとたらい回し。持ち主に返すというルールは伝言ゲームの中に消え去り、心に残ったものは怒りの感情だけ。ノートを借りた人間にではなく、そんな人間に貸してしまった自分の浅はかさに腹が立って仕方なかった。信じた自分の愚かさに涙が出た。


人は一人では生きていけないと言う。


人という字は支えあっている人間の姿を表現したもので、その言葉通り人は人なくしては生きてゆけないと誰かが言った。それが子供の頃だったらまだ分かる。親の庇護のなくしては食事一つ得られない赤子が、一人で生きていけるわけはないから。けれどそれは大人であれば訳が違う。疑問に思うのだ。どうして大の大人が誰かの支えなくしては生きることが出来ないのか。絆と称されるそれは本当に素晴らしいものなのか。美点なのか。


人が一人で生きていけないのは、単なる弱さではないのか。


人が強くなりさえすれば、一人でも生きてゆけるのではないか。


結果俺は身内以外の人間を誰も信用しないことに決めた。簡単な話だ。協力という言葉は自分では成し得ない物事に対して初めて有効になるものだから、自分の力が強ければ他者のそれなどは必要ないのだ。二人でしか運べない荷物を一人で運べるのなら、もう一人なんて不必要。何もかもを一人で全て解決出来るのだから、ならば一人で生きてゆくことも簡単なことだと思った。そう信じていた。………彼と出会うまでは。


その日は教室に辿り着くのが少し遅れて、座る定位置だった自分の席はもうすでに他の生徒によって埋められていた。となると空いている席は教授の目に留まりやすい前の席ばかりで、でもそれが嫌だというわけでは無かった。至近距離故に教授とのアイコンタクトが必要になるが、煩わしい面倒も一回限りなら我慢できる。


そんな経緯でしばらくぶりに前の席に座ってみれば、その二つ隣の席に偶然にも高野さんが座っていたわけだ。席についた時点で直ぐ気になっていたというわけではない。途中彼が居眠りをするまでは、姿形全て全く視界にさえ入っていなかったのだから。


ぐーすかと気持ちよさそうに眠るその人の横に、何処かで見たような一冊の本を目に留めた。それが一週間前に自分が読んだ書籍そのもので、あんなマニアックな本を借りる人間が自分の他にいたのかと驚いた。普段だったら講義の途中で眠る不届き者になど興味は示さないのだが、抱いてしまった好奇心は簡単に消え去りそうもなく。


人は一人でも生きてゆける。


それを示す為に一人になったというのに、視線の先で安らかに眠るこの人物の存在が気になって気になって仕方が無い。


唐突に、この人と話してみたいなと思った。それが全ての始まりだった。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -