「ここが本屋?図書館じゃなくて?」
「図書館なら、訪れる人を”お客様”ではなく”利用者”と言うでしょう?だから、ここは本屋です。私の言うことが信じられない?」
「他に信じる相手がいないなら、信じるしかないよな」
「ふふ。まあ立ち話も何だから、少し座ってお話ししましょう?詳しい説明もさせていただきたいし」


告げるなり、彼女はパチリと指を鳴らす。途端彼女の足元にぽっかりと黒い穴が広がり、二人分のクリーム色のソファーが現れる。小さなテーブルの上には二人分の紅茶が入ったカップ。湯気が立ち上がるところを見るに、おそらく淹れたてだ。どのような手法でそれらが用意されたのかは今更気にしないことにする。本が空を飛ぶ奇妙な世界だ。ああだこうだ色々考えても、つまるところ彼女にとってはそれが常識であるし、ぐだぐだと質問をしたところでまだ言っているの?しつこいわね、と怒られてしまうのがオチだろう。


「では、簡単にご説明をさせていただきますね。こちらでは、まず貴方に本を一冊ご購入していただきます」
「拒否権はねーの?」
「ええ。貴方が本を購入なさることは、既に”決まっている”ことですから」
「新手の押し売りみてーだな」
「物事には全てタイミング、というものがあるのを、貴方はご存知?」


例えば、と言いながら、彼女は視線を頭上へと移す。すると、二つの本が彼女の膝に舞い降りて。


サンタさんがクリスマスのプレゼントに、この絵本をプレゼントしたとします。でも、もしその子供が赤ん坊だったら?言葉を発することも字も認識できない相手に絵本を贈ったのではまるで無意味。宝の持ち腐れに他ならない。つまり子供と絵本は出会う必要がなかったということ。或いは心を病んだ人間に、太宰治の「人間失格」を読めという輩がいるかしら?落ち込んでいる人間に、お前は出来損ないだなんて追いつめるなんて冷酷鬼畜だと思われても仕方ないわよね。精神が壊れた人間にそんな本を贈ったのなら、無意味どころかマイナス。だから出会わせる必要が無かったということ。


もし、あと五年経てば。幼い赤子は字を読めるようになり、絵本を楽しんで読めたのかもしれない。元気を取り戻した人間が、何かを懐かしむように故人の遺作を手に取り我を振り返るのかもしれない。本と人間の出会いというのは、全てタイミングがあるのは、これで分かっていただけた?


「言いたいことは分かるけど、俺が本を買うことに繋がらないんだけど」
「タイミングというのは人の意思を無視することも時にはあるのよ。人間は人間を選んで出会うわけではないでしょう?街に向かえば誰かとすれ違う。それは“決まっている”こと。貴方の意思は関係ない。でも、出会ったことには必ず意味があるものよ。意味が無い、なんて言う人間は、そこから何も意味を見出せない自分を恥じるべきだわ」
「つまり俺がここに来たのは意味があって、それが本との“出会い”によって分かる、と」
「やっぱり貴方って頭の回転が早くて凄く助かる。質問だらけで自分では何も考えない人間とは大違いだわ」


満足げに笑顔を振りまきながら、少女はソファの中に体を沈める。


「私の“本屋”を訪れた人間は、即ち私の“本”に出会う為にやってくる。もし貴方が赤ん坊だったり心の病んだ人間だったら絶対此処には来れないわ」
「それで?俺はどの本を買えばいいんだ?読もうとしたら空を飛んで逃げる本なんてごめんなんだけど」
「それならご心配ないわ。あの子達、外では大人しいから」
「………」


大人しいとか大人しくないとか、そういう問題か?と頭に疑問符をループさせながら紅茶をずずりと啜る。全く気づかなかったが、どうやら少し緊張していらしい。安息の息が僅かに唇をすり抜けて流れた。ふと、ソファにかけてている腕元に、一冊の本が寄り添ってくる。ん?と考え込んでいると、ああ、その子なのね、と彼女が笑った。


「その本を貴方にお譲りします。購入していただくことは“絶対”です」
「…はあ。で?料金はいくら?」
「払うものはお金じゃないわ。その本に関わる全ての記憶をいただきます」
「全ての記憶?」
「本を読んだ内容とか、状況とか、兎に角全部ね。まるっと覚えていないっていう状態になるの」
「それじゃあ、本を貰う意味がなくなるんじゃないか?」
「“意味”はね、覚えているとか覚えていないとかじゃないの。自力で見出すものなのよ」


立ち上がった彼女が、ぐいぐいと本を押し付けてくる。それを胸で抑えると、お買い上げありがとうございます、と微笑みながら囁く。貴方に素敵な記憶が生まれますように、と付け加えながら。


「それでは、おまけに“未来”と“奇跡”を差し上げましょう。“未来”は兎も角、“奇跡”というものの認識が、貴方と私では若干異なるのですけどね」



パチリ。



気づけば、何処かの公園らしいベンチに座りこんでいた。頭にくらりくらりと眩暈が走る。青空に浮かぶ真っ白な雲と、鮮やかな新緑の緑が視界に入り、次第にぐんぐんと覚醒していく。掌で頭を抱える。ああ、何だか凄い意味不明な夢を見た気がする。少女漫画の読み過ぎが原因か?空を飛ぶ本だとか、突然現れるソファーだとか。魔法使いでもあるまいし、そんなのが現実に起こるわけがないよな、と冷静さが舞い戻ってくる。ああ、もう、本当に酷くどうでもいい夢だった。何だってあんな面白可笑しい現象を自分は現実だと思い込んでしまったのか。


大きな溜息をつく、と同時にバタリと大きな音がした。隣に座っていた人物が、誤って手にしていた本を落としてしまったらしい。どういう軌道を描いたのかは知らないが、俺の丁度足元へとその本は転がった。ほとんど無意識にその本を拾って、隣の相手にはい、と手渡してやる。


「ありがとうございます」


言いながら微笑んだその人物に思わず目を奪われた。薄く茶色のかかった髪に、深い緑色の瞳。開いた前髪と、きちりと着こなされた学生服。受けとった両手で本をぎゅう、と握り締めで、上目遣いで俺を見上げる表情。傷つくことも疑うこともまだ知らない、柔らかな微笑み。その全てに、心当たりがあった。


物事は全てタイミング。夢の中の少女の言葉が頭の中でぐるぐると回る。おそらく俺は自分にとって都合の良い幻想を見ているだけなのだと何度も言い聞かせてみるも、目前に存在する人物は確かに俺の隣で笑っている。そんな、まさか。馬鹿な。もしかしたら、彼女が最後に残した”奇跡”という言葉はこのことなのか?自分自身に問うてみても、今更確かめる術など残されてはいない。



目の前には、"十年前”の小野寺律。



多分、未だ夢の中。


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