久しぶりの休日らしい休日だった。

休みの日は仕事の疲れで昼まで眠って、後の時間は家事に追われて一日を終えてしまう。それがいつものこと。

けれど今日は違った。昨日早めに就寝したのが良かったのか、今日は目覚ましなんてものが必要ないくらい、爽やかにかつ自然に目覚めた。そして疲れも取れている。眩しい陽光に急かされるように、てきぱきと家事をこなした。最後の掃除を終えたとき、時計を見れば午後一時。なんたる奇跡。

少女漫画の編集の仕事を始めてから、家事などを除いた自由な時間がいかに貴重であるかは、痛いほど理解している。だからこそ、大切に大切に丁寧に。それでいて自分の為になるように有意義に。使おうと思った。使う、はずだった。

―ええ、そうですよ。そうですとも。案の定というか、皆様のご想像通りというか。少女漫画もびっくりな偶然が、意外にも現実には結構ひそんでいるもので。特に俺の周辺では。


−なんだって、こんなことに。



嗚呼、これだから。
だから俺は自分の運命を呪わずにはいられないのだ。


It was found,so chased


そうやって街に出たのは、買い物という理由でもあり気晴らしという理由でもある。いつもは会社の往復として行き返りする道も余裕がある時間に歩くと、その光景さえ違ったように見える。

太陽の光りが温かい。澄んだ風が気持ちいい。商店街の隙間にたまに見える緑もふわりと流れる風にさわさわとそよいでいる。


その道をただ歩くという行為は、いつもと同じようでいつもと違う。締め切りに追われて胃が痛むこともなければ、仕事の疲れでほとんど下を向いて歩を進める、なんてことがないからだ。真っ直ぐに前を見据えながら、颯爽と風を切って歩くことのなんて気持ちのいいこと。

そして、歩いて歩いて歩いた故に結局辿り着いた先は、いつもの大型書店。目的があって、というわけではなくなんとなく歩いた結果がこれだったという、面白みもないつまらない現実に落ち着き。

なんだかな。

折角今日くらいは仕事を忘れてのんびりしたかったような気がしたけれど。職業柄なのか、そもそも本が大好きだというのが災いしたのか。

…ここに来ちゃうと、嫌でも仕事のことを思い出すんだよな…

とはいいつつ、来ちゃったものは仕方あるまい。たとえ仕事を思い出したとしても、それはそれだけ仕事を真剣に考えているわけで絶対に悪い、ということでもないだろうし。

気を取り直して、さて、何を購入しようと店内でしばし考え込む。今月の新書らしい新書はもう既に購入しているし、今日以降特に他に目ぼしい新書は無かったと記憶している。

だとすれば、今日は新書でなはく購入すべきは少女漫画なのだろう。丸川が出版している少女漫画はほぼ読み終えているとはいえ、それはあくまで社内だけのものであって、それが全てではない。この世界には少女漫画なんてものはごまんと存在するわけで。

悲しいかな、そういう類のものに興味すら沸かず、勿論手に取ることも無かった、過去の自分が酷く恨めしい。

それは、編集という仕事をしていくうえで最小限の知識を得る機会を自分から手離していたことに他ならないわけで。

変えることの出来ない昔のことを言っても仕方はない、とは思う。そんなことは分かりきっているけれど、でも、仕方がないからと言って、今の自分が何もしないで良いというわけじゃない。


埋めていくしか、ないのだ。


当たり前のように素晴らしい編集の能力を持つ人との差を。一歩一歩。そんな小さな努力しか出来ない自分が歯痒いけれど。それでも何もしないよりはきっと良い。自分は出来ない、と自分で決め付けて、本当に何も出来ない人間になってしまうよりは。

それに、少女漫画も意外に面白いものであったりするし。

読んだ当初はそのご都合主義っぷりに頭が痛くなったりもしたけれど
最近はそんな症状もなくなった。主人公が当たり前のように
ハッピーエンドを迎える、という展開には未だ辟易している部分もある。

けれど。ああ、けれど。それを、そんな漫画を、読者に、皆に届けるために。懸命に、ひたすらに、睡眠時間を削って、自身の肉体も精神も擦り減らして。面白いかな、面白いといいな、楽しんでくれるといいな、と一途に願いながらずっとずっとただただ描き続ける、あの人達に触れて。


作り上げた作品が、面白くないわけないじゃないか、と。
気づいてしまったから。


「って、また仕事のこと考えてるよ、俺。」


熱意というか熱血というか。なんだかんだ言っても考えてしまうのだから仕方ない。
もういいや。どうせ自分は仕事に生きるって決めたわけだし、むしろ、そうやって全てを捧げて尽くそうという行為こそが全身全霊をかけて、愛を込めて描く漫画家達と対等に付き合える条件にも思えてくる。誰だって、自分の為に一生懸命な人の為に一生懸命応えたいと思う。そういうものだ。


―宝物になるような本を作りたいとずっとずっと思っていた。

それは、文芸というフィールドではもはや叶わない夢なのかもしれない。けれど、おそらく俺にとってそれは不幸なことじゃない。一からこつこつと作り上げたあの素晴らしい作品達を、宝物にしてあげたい。読者にとっても、勿論作者にとっても。


ああ、なんだかやる気が出てきた。仕事の忙しさの中で、何のために仕事をしているのかどうして今自分はここにいてこんな仕事をしているのか、忘れそうになってしまうから。こうやって時々は思い出して、情熱を思い出す。そうやって、俺は今までやってきたのだ。それはずっと変わらずに、そしてこれからもきっと変わらない。


―さて、じゃあ今日は何の少女漫画を購入しよう?


本屋平積みになっている漫画本は、所謂人気作品とか映像化がされているものが殆どだ。そういうものは勉強の為、随時購入しているので目新しいものは見つからない。だから、本棚にぎちぎちに押し込められている漫画本から、本日のお買い上げを見つけださなければならないのだが。これが、中々至難の業だったりする。


本にも当り外れがあるように、漫画にも当り外れがあるらしい。人間には好みというものがあるので一概には言えないが、漫画の中にも全くもって参考にならない漫画も存在する。一応、仕事で過去五年分のネーム直しの理由のレポートを提出した自分から言わせてみれば、
いいや、ここでこの表現はおかしいだろう、とかコマの取り方がおかしいとか、気になる点が多々ある。それでも最後まで読み続けて、木佐さんに俺はこの点がおかしいと思うんですがどうですか?と尋ねてみればそれつまんないから読んでない、と一蹴されてしまう。


こういう感性が、多分俺に足りないものなんだろう。感覚的に面白いか面白くないかはおそらく俺にもわかる。けれど、それが読むべきに値するか否かについて、判断する能力が欠けているのだ。多量の漫画本に抱え込んで埋もれて、息が出来なくなっては自滅する。木佐さんみたいに、本当に面白いものだけを選りすぐり選んでそこからノウハウを学んでいくのがきっと正解。俺のやり方は、出るか出ないか分からない試験問題集を手当たりしだいで勉強するようなもので、だから確実に点が取れる問題集を使う彼等には勝てない。だからいつまでたっても追い越せない。

どれがいいか分からないから、作家名のあ行から選んだ。前回はそれで失敗した。かといって、この膨大の少女漫画から面白いものを選ぶって、それだけで難関だよなあ。
ああ、もうこの際、書店員さんに聞いてみようかな。木佐さんに聞いた話では、この店の少女漫画コーナー店員は、かなりの少女漫画通らしい。どの少女漫画が面白いでしょう?と少女漫画編集にあるまじき質問だが、ここでこうして時間を無駄にして突っ立っているよりは良いだろう。

打開策を発見し、意気揚々と本棚から身体を半回転させたところで、人にぶつかった。すみま…、せんと語尾を言う前に、ぶつかった本人を確認して思わず身体が固まった。


目前には、いてーな、お前何処見てんだよ、と声を粗ぶる編集長殿。


今まで自分の不運を嘆いたことは数知れず。まあ、半分は諦めてはいるわけだけど。わけだけど!言わずにはいきません。ええ。これはちょっと、俺に対しての仕打ちが酷すぎるんじゃないですか?


聞いてますか?そこにいるはずのお約束の展開さん。





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