高野さんの顔を確認したとき、思わず口をついて出たのは、げ、という単語。

「げ、とは何だ。げ、とは。お前社会人のくせに上司に挨拶くらい出来ねーの?」
「…こ、こんにちは。」

不愉快を露にしながらした彼の発言に、一応は反省し謝罪を口にする。そうはしたものの、会社の上司といってもここは職場ではなく近所の本屋で。しかも本日は土曜で、仕事のある日ではなく完全な休日だ。うん、だから思いっきりプライベートな時間であるわけだから、だからなんでこんな時に会うんだよあああもう!と嘆かずにいられない。折角のいい気分が台無しだ。

何もこんな時にこんな風にばったり出くわすことはないのに、と自分の不運を呪わずにはいられない。いや、丸川出版に採用され、エメラルド編集部に配属されて。彼が上司になった時からこの不運が続いているのかもしれないが。

「お買い物ですか?」
「いや。暇だったから、出向いてみただけ。お前は?」
「あ、買い物です。一応」

暇なら来るなよ、と一々内心で思ってはいるのだけれど。暇さえあればそういえば自分も本屋に来ていたなあと思い出して、打ち消して。
うわあ、また変な共通点を見つけちゃったよ、と一人で苦虫を噛み潰す。同じマンションでしかも隣に住んでいるなら、買い物をするとリートリーも同じなわけで。しかも、考え方も似ているとくれば、そりゃあ、こうやって偶然会うことも不思議じゃなくて。偶然っていうか、当然、なのかと思い当たる?当然っていうか、運命?…何それ怖い。超怖い。

「で、何か買うの?」
「え、えと。丸川の少女漫画は全部読み終えたので、他社の少女漫画を読んで勉強しようかと。」
「あっそ。」

人に聞いておいてわざわざ答えてやっているに、何その素っ気無い返事。いや別に良い反応を期待しているわけではないけど。何様だよこいつ。ああ、編集長さまだったと思い出して、ふつふつと湧き上がる怒りをなんとか静める。そんな俺にお構いなしに、高野さんは目の前にある本棚を一瞥して、それから数冊の本を引き抜いて、俺にほら、と渡してきた。

「え、何ですか?これ」
「どうせ、どれがいいか検討もつかねーんだろ?とりあえず、これ読んどけ」

なんでもかんでもお前のことなんて全部お見通しだ、とばかりに俺を流しみる顔が気に食わない。そしてそれがその通りなのがむかつく。でも受取った少女漫画は返せない。突っ返して、これからここの本屋さんにオススメを聞いてきます!なんて言えないし、意地でもこいつの前で言えるわけがない。そうやっていつの間にか投げ捨てていたプライドを、慌てて拾いあげる。その行為が妙に情けない。

「お礼、コーヒーでいいから」
「は?」

お買い上げありがとうございました!という店員の声を背後に聞きながら、店を出た途端に、それまで口を閉ざしていた高野さんが開口一番に言った。いや、それ意味わかんないし、だってこれ、勝手に高野さんが!と反論したところで、うるせえと一括。後は腕を掴まれて強制連行。うん、分かってた。分かってたよ俺。結局最後はこうなるんだよね!と自分自身を必死に慰める。ああ、俺の貴重な休日が、時間が。

高野さんに連れて行かれた喫茶店は、人通りの少ない道外れにあった。店内は木製のアンティークに囲まれて、客の数もそれほど多くもなく丁度良い感じだ。僅かに流れる曲調も店の雰囲気にぴったりで、静かに生まれた旋律が空気にゆったりと溶ける。ここで読書をしたら気持ちよさそうだ、と考えながらコーヒーを啜る。

高野さんと言えば、目の前で人が購入した漫画を勝手に漁って既に読書中だ。自分は新書にそれほどこだわりがあるわけでもないが、人に何の断りもないってどうなんだ。何かにつけて社会人のくせに、と言う割りには一番大人気ないことをしているのは高野さんだと思わないでもないわけで。

「お前、自分で買ったのに読まねーの?」
「…読みますよ!読めばいんでしょ!」
「何勝手に逆ギレしてんだよ。」

俺は読書は家でゆっくりするタイプなんですよ!と返しながら、読み終わったらしい少女漫画の1巻を高野さんから奪い取る。文句を言いつつここで読んでしまうのは、おそらくこの喫茶店の雰囲気を俺は気に入ってしまったらしいから。自分から共通点を作ってしまうのはかなり嫌だ。嫌だけれど、好きなのだからしょうがない。

とりあえずは手元にある本に手中。その頁を捲るたびに分かることは、この漫画が酷く面白いということ。ただ単に面白い、というだけでは勿論なく、編集者としても勉強になる漫画だというのが俺でもよく分かる。素晴らしい漫画を読むということは自分にとっては大変喜ばしいではあるが、一方で少々悔しいもので。それを自分一人で探せなかったという事実が、なんだか妙にやるせない。

だから圧倒的な力を見せ付けられている、というわけではないが、どうにも乗り越えられない壁というものを感じてしまう。結局、俺は高野さんの背中を追いかけて追いかけて、このまま捕まえられないような感覚を覚えて。普段から編集長の座から引きずりおろすとかなんとか大口を叩いている割には、心の何処かで彼に追いつかないと諦めてしまっているような気がして。勿論、負けん気の強い自分のことだから、そうは簡単に口にしたことを諦めはしない、しないとは思うけれど、じゃあ高野さんが自分の下になるのを想像できるか、といえば肯定出来ないのも確かで。

がむしゃらに頑張っても、頑張っても、追いかけても追いかけても、結局いつもいつも高野さんを捕まえることなんて出来やしない。ただ追って、伸ばしたその腕を嘲笑うように彼は擦り抜けて行くだけ。そんなことを考えているうちに、どうでもいい昔のことまで思い出して少し笑えてくる。なんだ、あの頃と同じだ。頑張って頑張って追いかけて、けれど自分の気持ちばかりが先行して、何もかもを失ったときの、10年も前の記憶。今も、何も変わってやしない。

…やばい、何だかどんどんへこんできた。さっきまでのやる気は何処へ消えたというのか。いかん、落ち込んでいる場合か。折角の貴重な時間をこんな気持ちで過ごすなんて、愚の骨頂だ。自分にやるべきことがあるのなら、やるしかないのだ。昔も、今も。そしてこれからも。気合を入れなおすように手にしていた本を下に落とせば、タイミングを狙ったように高野さんと視線が合った。

「何?」

別に質問をしたくて視線を交わせたわけでもないが、ここで何でもありません、なんて答えたら逆に問い詰められてしまうのがオチだ。けれどまさか編集者としての自信を失いかけていました、なんて答えられるはずもなく、え、あの、その、と一瞬口ごもる。そして、一言。

「高野さんは何で少女漫画をやろうと思ったんですか?」

我ながらいい質問だと思った。思いつきの発言ではあるけれど、以前から疑問に思っていたことなので、下手に嘘をつくよりは全然良い。高野さんの少女漫画にかける想いはそれは情熱的なものであるとは充分理解しているが、何故少女漫画なのか。彼くらいのレベルなら、たとえ少女漫画でなくっても他にはひけを取らない、というかおそらくは軽く編集長をこなせる程度には、任務をやってのけるのだろう。自分みたいな、配属先が少女漫画部門でした、なんて理由ではなく、高野さんは働ける環境を選べる立場にある。それなのに、何故、少女漫画なのか、それは純粋は興味でもあり、妥当な質問だったとは思う。…思うんだけど。

「…好きだから。」 

うわあ、折角話題をこっちから提供したのに一言で返したよこの人。俺も他人をのことをとやかく言えないけれど、せめて会話のキャッチボールをしようと、と考えつつ盗み見た高野さんの表情は酷く穏やかで。…なんだろ、あの表情。えーとどっかで見たことあるぞ、あの嬉しそうな、それいて優しそうな。こう何かが可愛くて仕方ないというか、好きで好きで堪らないというような顔だ。…ああ、思い出した。

―高野さんが、俺を好きだと告げる時の表情にそっくりじゃないか。


いや!まて!ちょっと待て!何顔赤くなってんだ、俺。自分の顔が見えなくても、カーッと血流が上昇する感覚は分かる。だから!今のは、少女漫画!高野さんの少女漫画における熱意を聞いたわけで、ああ、だからそんな表情は止めて欲しい。本当に困るから。いや、だって、高野さんは


―別に俺のことを、好きだといったわけじゃないのに





+++




小野寺の顔が真っ赤だった。



一応本で隠しているつもりらしいが、頭かくして尻隠さず?いや顔隠して耳隠さずとでも言うべきなのか。隠し切れずに視える耳は紅に染まっている。もちろんその原因は先ほどの自分の発言によるものではあるが、あれは勿論わざとであってその目論見にまんまと引っかかる小野寺を本の隙間からじいっと見つめた。ああ、可愛い。

どうせお前のことだから、俺が好きっていったのは”少女漫画”であって、”俺”じゃない!とか思ってんだろ?お前馬鹿だからな。何度も言ってるのに、俺が好きって言うのはお前だけって。そろそろ覚えても良い頃だと思うんだけど?

手元にある少女漫画は何度も繰り返し読みすぎて、ストーリーだのキャラクターだのは全部覚えてしまっている。それこそ自分ひとりでオフィシャルブックでも書けるんじゃない?と豪語できるくらい、少女漫画を絶対に手離せなかった理由。―それはだって、ずっとずっと探していたお前がここいたから。

―だって、そっくりだろう?何事にも一生懸命で、ひたむきで、真面目で。好きな人をただただ好きで、愛する人を全部愛して。相手の一挙一動に喜んで笑って、顔を真っ赤にして俯いて。そっくりなんだよ、お前に。だから、”少女漫画”なんだよ。ずっとずっと追いかけていたお前の姿を、この世界で見つけたから。

お前の姿を見つけた、だから、追いかけて。―追いかけては捕まえた。
本当は、暇だから来たなんていう理由は真っ赤な嘘で、ただ単にマンションから出てくるお前の後をつけただけ。
好きだから追いかけた、それ以外なんの理由がある。別にお前だって昔似たようなことをしていたんだから、何も文句はないだろう。
それ位本気なんだよ。お前のことが本気で好きなんだ。

―ずっと好きだった。10年も前からお前の影を追っては、二度と手に入らない過去に酷く嘆いて。

―やっと見つけた。だから逃がさない。例えお前が嫌だといっても、例えこの手から逃げたとしても、地獄の底まで追いかけてやる。

偶然とか、必然とか、運命とかさえ乗り越えて、お前が俺の腕の中にいるのが当たり前になる日がいつかくる。それまでひたすら、その姿を探しては見つけて、見つけては追いかけて、必ずお前を捕まえてみせる。ああ、絶対だ。


―だから言っただろ?覚悟しておけって。


忘れたなんて言わせはしない。


※※※
It was found,so chased
And it's caught this time,absolutely

見つけた、だから追いかけた。
そして捕まえてみせる、今度こそ。絶対に。




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