信じるものは救われる

誰が言ったかは知らないが、この時期になるとよく耳にするお決まりのフレーズ。良い子の皆、サンタクロースの存在を信じていれば、クリスマスの日にはサンタさんがやってきて、もみの木の下にプレゼントをこっそり置いていくんだよ。そんな絵本を昔確かに読んだ気がする。幼い頃の自分は、それなりに子供らしく過信していた時期もあっただろうが、今更思い出せやしない。物心ついたときには、そんな得体の知れない存在を信じられるか、なんて考えていたはずだ。

サンタクロースは、何の見返りを求めずにただただ贈り物を渡すだけだという。勿論良い子にしてれば、という条件はつくものの、その良識というのはサンタ自身の判断ではなく人間のそれだ。人間の良し悪しでサンタがプレゼントを贈るか否かを決定する。それじゃあサンタの意思なんて存在しないに等しく、ただの傀儡。親がサンタクロースにプレゼントを渡して、サンタクロースが子供にそれを渡す。はっきり言って真ん中の部分が全くもって不要だ。ばっさりハサミで切ってやりたいくらいに。だから大人はそんな面倒なことをせずに、相手に直接プレゼントを贈るわけだけれど。

サンタクロースが配るものは、おそらく無償の愛。誰にでも差別なく満ち溢れる愛情を渡しますよ、と半ば宗教めいたもの。ここでいうサンタクロースは、つまりは「神」なのだ。或いは神様の化身。神様を信じれば救われるよ。其れは其れは教徒が好みそうな思考回路だ。

皆を等しく扱うということは、抜きん出た「誰か」が存在しないという証拠。

全知全能の神からしてみれば、不完全な人間の何処に興味がわくというのか。神々からしてみれば、人間なんて勝手に自身を奉って、勝手に崇拝して、勝手に期待しているだけの「モノ」なのだ。何でも成し遂げる神様が、何にも出来ない人間を必要とするわけがない。

別に神様の存在を否定しているわけじゃない。ここで神様の存在不存在を語ったとしても答えなどないのだし。幽霊と等しく、神様なんていてもいなくてもどっちでもいい。いかにも無宗教な日本人らしい発想だろう?幽霊なんて自分に危害さえ加えてくれなければ、いくらでも居てくれて良い。神様も同じ。存在してもいいけれど、放っておいて欲しいのだ。人は縋る何かがあれば、求めてしまうものだから。


神様の存在を信じていないわけじゃない。神様を信じれば、救われるよ。その言葉をただ単に俺は信じていないだけ。


だって、信じても信じても。何一つ救われやしなかったから。


―believer―


時計の針を追いかけるように見れば、午後五時を指していた。太陽は既に地平線の奥に隠されて、空を覆い隠すのは漆黒の帳。天気予報はクリスマスに珍しく、曇り時々晴れ。今年はどうやらホワイトクリスマスは無理そうだ。雪が降らずに子供達は残念がるだろうが、大人にとってはその方が楽で良い。

去年は高野さんのドライブに付き合ったんだから、今年は俺に付き合ってください。何年にも及ぶ初恋を実らせてから数ヶ月。携帯に送られてきたメールからは、とりあえず、ここの駅まで来て待っててくださいという社交辞令なもの。恋人に送るそれじゃない。あいつとメールのやり取りをしていると、何処までが仕事で何処までがプライベートなのか分からなくなる時がある。一応はそれなりの文句を言いつつも、結局許してしまうのはきっと惚れた弱み。

車を出そうかどうか迷って、最後には徒歩で行くことに決めた。指定された駅は割と近くだし、目的地が分からないまま車を出せば、混雑に巻き込まれる可能性もある。せっかくの二人の時間を、無為に過ごすことだけは避けたい。

ゆるゆると部屋の天井に向けて登っていた煙を眺めて、赤い灯火を灰皿に押し付けて消した。そろそろ出かけた方がいいだろう。色々準備があるので、後から来てください。そう告げて先に部屋を出た小野寺を追うように、コートを羽織って部屋を後にした。

…準備って何だ?プロポーズでもしてくれんのか?

想像して、すぐに否定した。小野寺のことだから、絶対そんなことはありえないだろう、と。割と自虐的な結論に落ち着いたにもかかわらず、笑みを止められないのは、小野寺が自分に対して何か準備をしてくれているという事実に。勿論それは、俺を喜ばせる為であって。内容がなんであれ、自分のことを真剣に考えてくれるということが、考えてくれる人物が小野寺であることが、今の俺にとっては素直に嬉しい。

…いってらっしゃい。

いないはずの彼の声が聞こえる。振り返る部屋に満ちるは沈黙と静寂。けれど口角を上げて、誰にも聞こえないような小さな声で、俺も同じく空気を震わせた。…いってきます。

+++

外は寒い。天気は悪くないとは言え、流石に冬の夜はそれなりに冷え込む。吐き出した息は白色のそれへと変化してあっという間に闇に溶けていく。ぴゅう、と音を立てて住宅街を流れる北風が、耳に噛み付いて痛かった。見慣れた坂道を、ゆっくりと踏みしめながら下る。クリスマスイブの夜だというのに、やけに静かだ。ぽつぽつと家の光りは見えるものの、声は聞こえない。きーん、と耳鳴りがした。

最近はずっと小野寺と出社を共にし、何が何でも無理矢理一緒に帰ったりしていたので、こうやって一人で道を歩くという行為そのものが大分久しい。小野寺と再会するまではそれが当たり前だったというのに、胸の奥がいやにざわついた。

理由は、分かっている。十年も前の過去の記憶は、今も色々なところに散らばって。ふとした瞬間にそれを蘇らせる。二人で帰ることが当たり前だったあの日の夕暮れ。突然その片割れを失って、一人途方に暮れた日々の断片。

…随分と嫌な記憶だ。

思い出して、吐き気がした。あれからもう何年も経過しているというのに、その時の恐怖や孤独というものは唐突に自分を襲う。普段は逃げる小野寺を抱き締めて解消しているが、今はその小野寺がいない。彼が、隣にいない。

自分という人間はこんなにも精神が弱い人間だったのだろうか、と薄く哂った。強引に小野寺の心も身体も奪っておいて、やっとこさ彼を手中に収めたというのに。手にした嬉しさではなく、失う恐怖に怯えているということは一体どういうことなんだろう。彼を好きになって、日々弱くなっていく自分を自覚するたびに、思う。もし俺が小野寺をまた失うことがあれば、生きていけないだろうな、と。

考えて、黙々と足を進めた。早く小野寺に会いたい。その一心で。

+++

駅前は行き交う人々で溢れていた。広がる景色は、光の洪水。時折人影が一瞬それらを遮り、ちかちかと点滅しているように揺らめく。歩く人の表情には、何処かしら高揚感が見て取れた。浮き足で進む道のり。それは幻想的な風景に酔っているのか、それとも溺れているのか。


その流れの中に、一部分だけ人の動きが止まった部分がある。まるで時計の針の中心のように、固まる人々の群れ。おそらくは待ち合わせをしている人間たちの囲い。せわしない動きの中で、多くの人間が時を止めたように佇むその場所は、冷たい銅像なんかよりもよほど良い目印に思えた。

その中へと静かに潜りこみ、おもむろに携帯電話を取り出した。小野寺からの連絡はあれ以降ない。ならばこちらからかけなおうそうか、と考えて止めた。場所の指定はあったのに時間のそれがないということは、彼がマンションからここまでの時間を逆算して計算しているということだろう。ならば、連絡などしなくても、小野寺はいずれすぐにやってくる。俺がこういうふうに考えることすらも、多分彼は想定している。

無意識に笑みが零れている自分に気づいた。嬉しいのは、自分が小野寺が考えが手に取るように分かるということではなく、小野寺が自分の考えそうなことを理解してくれているということ。感覚の共有というか、以心伝心というか。そんな些細なことに、つい頬が緩む。

夜空を仰げば、聳え立つイルミネーション付のもみの木。何色にも電飾に飾られたそれらは、人の目から見れば、純粋な美しさを有しているのだろう。ただ、自分がそう感じられないのは、美しすぎるものはかえって目の毒の様に思えるから。作られた光。作られた幸せ。嘘まみれの世界。その中に溶け込む、自分という作られた一人の人間。まがい物の、ひと。

…ああ、まただ。またろくでもない考えが頭の中を占有しはじめる。何年も前の、小野寺に初めて出会うよりも以前から、自身の心を呪縛し続ける愚かな思考。誰も必要としない自分と、誰からも必要とされない自分。嘘みたいな世界と人形のような、俺。

コートのポケットの中につっこんだ携帯電話を再度無理矢理に取り出した。今すぐにここに現れてくれなんて言わない。駆け寄って抱き締めてくれなんて、願わない。ただ、少しでもいいからその声が聞きたい。自分という人間が、確かにここに在ることを、それだけを確かめたい。

…高野さん

ダイヤルボタンを押す前に、小野寺の声が聞こえた。囁くようなか細いその声は、にぎわう街中の騒音に吸い取られて、一瞬にして消えてしまった。幻聴か、と思い直して、もう一度指先を動かした時だった。背後から、またもや自分の名前を呼ぶ声が聞こえたのは。

どうやら自分が狂いそうになる少し前に、タイミングよく小野寺が現れてくれたらしい。胸の中で安堵しながら、けれども表情は努めて冷静な顔に作りあげる。動揺を見せてはいけない。変なところで勘の良い小野寺は、自分のほんの少しの違和感を簡単に見抜いてしまうだろうから。

「高野さん!良かった。先に待っててくれたんですね!」


心底嬉しそうな声をあげる小野寺の方向を振り向いて、一瞬にして固まった。顔も身体も彼そのもの。着ている服だって、先ほど家でみたものに違いないし、俺の名前を呼ぶ声もいつものそれと全く変わらない。けれど、一部分が決定的に違った。否、異なる一部分が彼にくっついていたとでもいうのか。

自分よりも一回り小さな小野寺の掌に重なる、これまた小さな小さな手。

赤い服に赤い靴。赤い帽子に、寒さで赤くなった頬。肩まで伸びた黒髪に、緑色の大きな瞳。俺の視線に気付くなり、子供らしくない微笑みを浮かべながら、そいつは言った。メリークリスマス、と。

小野寺が連れてきたのは、サンタクロースの格好をした少女。

良かった!居てくれて良かった!助かった!緊張が緩んだように何度も何度も同じ台詞を繰り返す小野寺と、にこにこと笑いながら寄り添うサンタの少女。そして、何が起こったのか。さっぱり状況が飲み込めず、ただただ唖然とその二人を見守る俺。間には、陽気なクリスマスソングが流れている。何ともちぐはぐな光景。

…本気で意味が分からない。一体どんな状況だよ、これは。




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