シェスカ・イーリアスのカルテ


「スタイナー隊長、これ、頼まれていたものです」

 第一分隊執務室にやってきたレタ・オルバネハは、目的の人物にそう茶封筒を手渡した。その人物はデスクに座ったまま、無表情ながら、少しだけ表情を柔らかくしてそれを受け取った。

「済まないな、オルバネハ」

「いえ、私も少し気になりましたので」

 サキ・スタイナーはペンを置いて、封筒を開ける。

『シェスカ・イーリアス』
 先日からジブリールで身柄を預かっている少女の名前が一番上に書かれている。その下には簡単な人間の身体の絵が描かれており、首と腹のあたりに細かい字で書き込みがしてあった。つまるところ、カルテである。

「オルバネハ、お前は彼女についてどう思う?」

「そうですね。いい子だと思います。気負いすぎる節がありますが、ごく普通の女の子ですね」

「身体的には?」

「……そちらに書いてある通りです」

 オルバネハは沈痛な面持ちでこめかみを抑えた。カルテに書かれていることを信じたくないのか、信じられないのか、そのどちらもなのかはわからない。ただ、ひどく重い語り口で続けた。

「生命維持活動に必要な器官は正常に機能しています。ですが、それ以外の器官はそのほとんどが停止している状態ですね。わかりやすいのは生殖機能です。完全に機能を停止しています」

「首は何がある?」

「それは別紙にまとめてあります。私からは……その……」

 オルバネハの言う通り、カルテにはもう一枚の資料が挟まれていた。ざっと目を通す。にわかには信じ難い、その内容。

「……これが『器』の証、というわけか」

「そこまでは、私にはわかりません」

「本人にこの事は?」

「黙って調べたのに言えるわけないじゃないですか」

 最初は、長くなる旅の前に念のため、身体に不調がないか検査しましょう、といったものだったのだと、オルバネハは言った。シェスカ・イーリアスは渋っていたものの、途中何かあったほうが面倒なことになると、その検査に同意した。そこまでは別に何もなかったのだ。
 検査をすると、ごろごろと。彼女の身体には不審な点が出てきた。その中で最も顕著だったのが、先程の身体機能と、首の『異物』、というわけだ。そこで検査をしたオルバネハと第二分隊隊長、サラサネイア・ロゼは、シェスカ・イーリアスに黙って、さらに精密な検査を受けさせた。
 カルテを見ると、まだまだ汚い字で羅列してある。ここまで崩れていると流石に読むことは出来ないが、シェスカ・イーリアスがかなり特異な存在であるということは十二分に理解出来た。

「ただ、彼女は記憶はありませんが、世間一般の常識はあります。ですので、自分の身体がおかしいことくらいは、とっくに勘づいていると思いますよ」

 ということはつまり、自分が『器』だということは、もう認めているのだろう。
 それでも否定したくて、抗いたくて、突き進んでいる。
 彼女は、鞘をなくした剣のようだ。どこにも戻れない。戻る場所がない。だからこそ、目の前の道をひたすら切り拓くしかない。それがどんなに苦しいか。

「精神的にはしばらく休むことを勧めたいほど、彼女は張り詰めた状態です。眠ろうとしないのは、おそらくずっと追われていたことが原因でしょう。それにヴィルくんを巻き込んでしまった責任感もさらに感じて、今まで潰れてしまわなかったのが不思議なくらいです」

「いつ、その糸が切れるかわからない、ということか」

「……はい」

「わかった。気に掛けておこう。ヴィル・シーナーにはそのことは言ったのか?」

 その問に、オルバネハはゆるゆると首を振った。

「ヴィルくんに言えば逆効果な気がして。きっと互いに互いを気遣いすぎて、どちらもダメになっちゃうと思うんです」

「――お人好しも、ここまでくると病気みたいなものか」

「そうですね……」

 オルバネハは少し俯いて、ぎゅっと腕を抱いた。ただでさえ小柄な彼女がさらに小さく見えるようだった。

「……怖いんです、私。ヴィルくんが」

「怖い?」

「自分のことを心配しないんです、あの子。最初に彼と話した時、彼が真っ先に尋ねたのは、シェスカさんの安否です。そして次には故郷の街の人、アシュリーたち――その会話の中で、彼自身のことを確認することは何もなかった。これから自分がどうなるか、なんて一言も私たちに聞かなかったんです。強い子だって最初は思いました。でも、」

 彼女はそこでゆっくりと息を吸った。小刻みに手が震えている。

「彼が目が覚めて、その後。自分のケガのことに殆ど取り乱さなかった。……治って跡形もないとはいえ、お腹に大きな穴が空いたんですよ? 我々のような訓練などされていない、普通の男の子なのに、何もなかったみたいな顔で…………。それを見て思ったんです。彼は――――」

 何か続けようとしたオルバネハの言葉は、扉を叩きつけるように開けた音で遮られた。やって来たのは白衣を青い制服の上から羽織った第二分隊員だ。

「レタ! 急患だ! 人手が足りない!」

「えっ、あっ……と……」

 ノックすらしないということは余程急ぎの患者だ。これ以上の長話は許されない。

「……無理を言ったな。ありがとう。またなにかわかったら教えてくれ」

「はい! 失礼致しますっスタイナー隊長!」

 第二分隊員とオルバネハが慌ただしく出ていった後、執務室は静寂に包まれた。耳を澄ませば、鍛練所から鍛練に励む者達の声や、あるいは任務から帰ってきた者達の安堵したような雑談の声が聞こえてくるだろう。
 そんな静寂の中、サキはレタ・オルバネハの話を思い返していた。

「行き過ぎた自己犠牲、か」

 随分面倒な人間が同行することになったものだ。
 そう思い、もう一度カルテを眺める。どれだけ眺めても、そこに書いてある内容は変わらない。
 そして、サキ・スタイナーのするべきこともまた、変わらないのだ。
 サキはカルテを蝋燭の炎で燃やすと、静かに執務室を後にした。


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