chapter.5-1


「うっぷ……きもちわる……」

 口元を手で抑えながら、ヴィル・シーナーは込み上げてくる胃の内容物をなんとか逆流しないように奮闘していた。
 青い空。広い海。頬をなでる吹き抜ける潮風。数刻前まではそれを心地よいと思っていたが、今はもうそんな気分はゼロである。ゆらゆら揺れ輝く水面は、今や何か催眠でもかけようとしているのかと錯覚するほどに恨めしい。かと言って、船室に引っ込んでいると、揺れる感覚が五割増しくらいに感じて、逆によろしくなかった。まだ外に出て、風に当たるほうが幾分かマシだ。ひとまずいつ吐いても大丈夫なように、船酔いする前と同じように、身体を船の外へ乗り出させている。

「大丈夫?」

 そう言って背中をさすってくれるシェスカには悪いが、ちっとも大丈夫じゃない。頭はぐらぐらするし、胃がむかむかするし、胸のあたりに言いようのないもやもやがある。だが吐くのだけは避けたい。結局はせり上げてくる酸っぱいものを飲み込むしかないのだ。

「この程度で船酔いとか情けないねェ」

 船室から出てきたジェイクィズが、いつものようにタバコを吸いながら笑う。

「どこがこの程度なんだよ! なんっだよ、この船めっちゃくっちゃ揺れるじゃねぇか!!」

 そう。このジブリールが用意した船。見た目は普通だが、中身(特に動力部分)に魔改造が施されているらしく、見た目にそぐわないめちゃくちゃなスピードが出る。そこまではいい。目的地に早く着くのはむしろありがたい。ただその弊害として、ものすごく揺れる。上下左右に。まるで目でも回っているのではないかと錯覚するほどだった。おかげですっかりこのザマである。今は少しスピードを落としてもらっているため、多少はマシになったが。

「あんなにはしゃぐからじゃない?」

「や……それは関係ないと思う……ぅぇっ」

 確かに、船が出たばかりは自分でもやりすぎたかもしれないはしゃぎっぷりだったが、途中からはもうはしゃぐどころじゃなかった。
 逆に聞きたい。なんでお前らそんなに平気そうなんだよ。

「オレ様たちと田舎者では鍛え方が違うのヨ、鍛え方が」

 などと力こぶを作ってみせるジェイクィズ。さっきまでベルシエルに殺されかけて寝てたとは思えない発言だ。見たところケガもないので、ベルシエルも加減したのか、サキが治療したのか、あるいはそのどちらもだろう。おかげで元気が有り余っているらしい。この船酔いを半分……いや、全部押し付けてやりたい。

「船酔いで吐きそうな時は思い切ってゲロったほうが楽らしーぞ、ゴーグルくんよ」

「いやだ! メシがもったいない!!」

「そこなのかよ」

 朝に食べたパンが三個とソーセージにキャベツとキュウリのサラダ、それからスクランブルエッグにエンドウのスープが出てしまうのは嫌だ。せめて全部体内で消化しきってからがいい。ここまできたらもう意地だった。

「んー……、でも吐いちゃうのは賛成ね。出すもの出した方が楽になると思うわ」

「シェスカまで……! ……うっやば、吐きそ……」

「あーもう、水取ってくるわね! ジェイクィズ、ヴィル吐かせといてよ!」

「えー、ヤだよ野郎のゲロの世話なんて」

「こっちもやだよ!」

 シェスカはヴィルたちの言い分を無視して船室へと入っていく。残されたヴィルとジェイクィズはというと、顔を見合わせて、やれやれ、といったふうに肩を竦めたのだった。

「で、吐くの」

「やだ」

 面倒くさそうに聞いてくるジェイクィズに短く返して、また船縁にもたれかかる。騒いで気が少し紛れたのか、さっきよりは少し気分がマシになっていた。

「……ずっとこっち見てたみたいだけど、どうかしたのか?」

 そう、声を掛ける。彼女はずっと、離れた場所からヴィルたち――いや、シェスカを見ていた。最初は馬鹿騒ぎが気になって見に来たのかと思ったのだが、どうも違う。もっと警戒しているような、珍しい何かを見ているような、そんな視線だった。

「……べつに、なにも」

 不服そうな声色で、ベルシエル・セレーネは応えた。どうもベルシエルはシェスカを気にしているようだった。
 それはシェスカも同様で、何度か話しかけようとしていたところを見かけたのだが、シェスカが話しかけようと近付いても、ベルシエルはするりとどこかへいなくなってしまうのだ。仲良くしたい、というわけではない。もっと別の思惑がある。ヴィルはそう確信していた。


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