chapter.4-32


 ルシフェルに会った翌日から、旅の準備やらで慌ただしく過ぎていき、気づけば二日ほど経っていた。
 そして今日、ヴィルとシェスカ、それからサキとジェイクィズ、何故かついてきたベルシエルことセレーネは、アメリの第七区、ジブリールの使用している港へと来ていた。
 この港は、アメリをぐるっと囲う分厚い城壁の内側にあり、周囲は高い建物が大きな船を隠すように建っている。所謂港と聞いて想像するような、解放的なものではなかった。が、それは数刻前の話だ。今は白い城壁にある門が大きく開かれ、海と、空と、水平線が見える。

「うわ――――――!! 海だ――――――!!」

「……何コーフンしてんの?」

 まだ碇すら上げていない船縁から身を乗り出しながら、興奮気味に奇声を上げるヴィルを、シェスカはやや冷ややかな瞳で見つめていた。しかしそんな冷ややかな瞳など気にならないほど、ヴィルの目は輝いている。
 ジブリールの用意した船は、港に停まっている他の船に比べるとやや小ぶりではあるが、それでも川を渡る小舟ぐらいしか乗ったことがないヴィルにとってはかなり大きなものに見えた。乗組員の人曰く、もともとは旅船として作られたもので、そこにジブリールが独自に手を加えたものだそうだ。

「いやだって船だぜ!? 浮いてる!!」

「そ、そうね」

「オレこんなでっかい船初めてなんだよなぁ!!」

「やーい、田舎者〜」

 ジェイクィズが野次を飛ばしてくる。それに「うっせー!」と返して、ヴィルは再び門の向こう、海の方へと目を向けた。
 空の青と海の青。それから、白い雲と白い大きな帆のコントラストが眩しい。水面は陽の光を反射してきらきらと輝き、吹いてくる潮風はとても心地よい。絶好の旅立ち日和とは、こういうもののことを言うのだろう。
 ふとシェスカのほうを見ると、少し気まずそうにベルシエルへ話しかけていた。

「えっと、名前、ベルシエルっていうのよね? まだちゃんと自己紹介してなかったと思うから……私はシェスカ。よろしく」

「ベルシエル・セレーネ。呼ぶ時はセレーネ。よろしくね……シェスカ」

「なんでセレーネ?」

 不思議そうにシェスカが尋ねると、ベルシエルはそっけなく、

「大切なの。名前。だから、勝手に呼んでほしくない」

 と返した。名前を呼ばれるのが嫌な理由はそれらしい。理屈はよくわからないが本人がそれを望むならそうしたほうがよさそうだ。

(あれっ? なんかオレの時と態度が違う……?)

 先日ヴィルがベルシエルと口を滑らせた時は物凄い形相で睨んできたのに、シェスカには特に何もなく、いつも通りの淡々とした表情のままだ。……こういう態度の格差はちょっとショックだったりする。ジェイクィズに肩をぽん、と手を置かれたのも含めて。

「わかったわ。よろしく、セレーネ」

「うん」

「それで、セレーネ。この間のことだけど……」

「全員揃ってるな」

 シェスカが何かを尋ねようとした時、手続きやら何やらで遅れていたサキ・スタイナーが乗り込んできた。それを見たベルシエルは無表情から一転、笑顔で彼を出迎える。タイミングが悪い、とシェスカが小さく舌打ち。どうもシェスカはサキがあまり好きではないらしい。

「そろそろ出航だ。準備はいいか?」

「おうよ、両手に花でいい感じだぜ! ねー! ベルちゃんにシェスカちゃんっ!」

 ジェイクィズはその両手で、シェスカとベルシエルの肩をぐいっと引き寄せて抱き着く。一方、呆れを通り越してもはや無の境地のシェスカと、露骨に嫌な顔をするベルシエル。

「さー! はやくレッツゴー出発! オレ達の愛の巣へ……ぅわッ!?」

「触るなって言った」

 いつの間にかナイフを構えたベルシエルは、明確な殺意をもってジェイクィズに向かって狙いを定めている。彼女の表情は完全に冷えきっており、まさに絶対零度。元が可愛らしいぶん、迫力は欠けるが恐ろしさは全く損なっていない。

「え〜、それは聞いてない……なッ!?」

 悠長にしているジェイクィズにナイフを投げるベルシエル。それは見事に肉体スレスレを掠め、服へと刺さり、そのまま壁へと彼を叩きつけた。見事に的の状態になっている。
 それを見ているヴィルはというと、あー、こんな光景前に本で読んだなぁなんてことを脳の片隅で思い出しつつ、果たしてベルシエルを止めるべきか否かを考えていた。

「ちょっ!! コレちょっと刺さってるベルちゃん!! 刺さってるから!! 隊長助けて!!」

「出航してもよさそうだな。船長に言ってくる」

「スルーッ!! いいのかオレ様死んじゃったら悲しいデショ!?」

「微塵も」

「ンだとコラァ!! 世界の重要文化財がなくなっちゃうのヨ!? 心配しろやァ!!」

「お前はどこの世界の話をしているんだ」

 ……放っておいても大丈夫なやつだな。そう結論つけて巻き込まれないように少し下がっておく。

「アイツほんと学習しないわね……」

 やれやれ、といった風に避難してきたシェスカが話しかけてきた。ジェイクィズたちのこのやり取りにすっかり慣れたようだ。聞くところによると、ヴィルが眠っている間にジェイクィズは、シェスカとベルシエルのセクハラの制裁で何回か死にかけては、シェスカが治療魔術をかけていたらしい。その光景が目に浮かぶようだ。それはもうはっきりと。

「あれがジェイクなりのコミュニケーションってやつだろ、多分」

「巻き込まれるほうは迷惑なことこの上ないわ」

 そう深くため息を吐く彼女は、どこか疲れているように見える。一応ロゼやレタに無理矢理休息を取らされていたので、寝ていないということはないだろうが、この数日はなんやかんやで忙しかったし、まだ疲れが抜けていないのかもしれない。
 そういえばさっき、ベルシエルに何かを言おうとしていたっけ。それも何か関係してるのかも。なんとなくそう思い、尋ねてみた。

「シェスカ、さっきベル……じゃないセレーネに何か言おうとしてなかったか?」

「……別に、大したことじゃないのよ。ちょっと話がしたかっただけ」

 微妙な間があった。あんまり聞いてほしくない話みたいだ。シェスカの顔も少し暗い。少し居心地の悪さを感じたのか、彼女はぱっと声色を明るくして、

「それより、これから行くルドニークってどういうとこか知ってる?」

「そうだなぁ、鉄鉱石がよく出るトコってイメージかな。あそこの鉱石は質がいいんだ。手触りに密度が特に。一度だけ師匠が持ってきたヤツ触らせてもらったんだけど、ホントにすげーの! なんて言ったらいいんだろうなぁ……アレと比べたらその辺で採れる鉱石なんて石ころ同然っていうか……! あれでいろいろ作ってみたいよなぁ……! あ、でもでも、真の錬金術師たる者、これくらいの鉱石くらい錬成できなくてどうする〜って師匠に言われ……」

 そこまで言って急にしゃべりすぎたことに気付く。これはちょっとやってしまったかな。そう思い、まぁ、高くて手が出せないんだけどなーあはは、と苦笑してみる。
 シェスカの様子を見ると、さっきよりか表情が柔らかくなっていた。とりあえずの大丈夫だったようだ。

「そういえば錬金術師だったわね」

「そういえばってひどいなぁ」

 確かに錬金術師らしいところなんて、彼女の前で見せたことなんてない気がする。バタバタしてて研究どころじゃなかったし。……今頃、へカテやローランドはどうしているだろうか。パルウァエへ、アルキュミアへ帰りたいとは思う。あそこは自分にとっての帰るべき場所だ。けれど今は、シェスカたちに付いていく。そう決めたのだ。

「ちゃんとパルウァエまで連れていくわ。安心して」

 そんなヴィルの心情を知ってか知らずか、シェスカは彼の背中をとん、と叩いた。

「言っとくけど、狙われてんのはそっちなんだからな! オレがついてればもう安心! なんて言えないけどさ……」

 そう言って少し俯く。もう少し……いやもっとヴィルの腕っぷしが強かったらそう言えたのだろうが。少しトレーニングでもしてみようかな、なんてことを思いながら、お世辞にも筋肉のついているとは言い難い二の腕をつまんでみる。服の上からでもわかる、ぷにっとした肉と皮の感触だ。とりあえず、しばらく素振りか腕立て伏せあたりを実践することが確定した。

「……とにかく! 楽しい船旅になるといいよなっ!」

「もう、何しに行くかわかってるの?」

 くすくすと笑うシェスカに、ヴィルがもちろん! と返したと同時に汽笛が鳴り響く。どうやらやっと出発らしい。
 船はぐらりと一度大きく揺れると、ゆっくりと港から離れていく。

「おおおお!!」

 ヴィルは再び船縁から大きく身を乗り出した。

「あんまり乗り出すと落ちるわよ」

「平気平気!」

 肺いっぱいに潮の香りを吸い込んで、ヴィルはシェスカとどんどん離れていくアメリを、見えなくなるまでずっと眺め続けていた。

「シェスカちゃん……治療……お願い……うっ死ぬ」

「お前は殺しても死なんだろうが。片付けの邪魔だ寝てろ」

 その後ろでジェイクィズを引きずって船室に投げ込もうとしているサキと、そのサキにぴったりくっついて、ジェイクィズを威嚇してるベルシエルがいたのだった。


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