Scene. 17 約束 -第一部・完-




たったひとりでいる この場所は、やけに落ち着かない空間に変わっていた。

クッションの山を独り占めして、その中に丸くなって埋もれて。霊圧の名残を纏うように、ゆっくりと身体を伸ばす。

気ままな飼い猫が、たったひとりでも悠々と留守番ができるのは、そのうち必ず御主人様が帰ってくることを知っているからだ。


…………帰ってきて欲しいんだろうか、あたしは。


ごろん、と、寝返りをうつと、微かにスタークの匂いがした気がした。もう、ずっと側にいたから……これは既に あたしの匂いになっている気すらする。

こんな感覚は、忘れていた。というより、考えることを避けていたのかもしれない。日々、その人がいた痕跡が薄れていく感覚を。


……まだ ほんの数時間しか経ってないんだけどさ。
 

それでも、膨大な業務に忙殺されていた あの時は、今よりもずっとラクな気持ちでいられた筈だ。



   *   *   *   *   



「……じゃあ、任せても構わないかい?明里くん」

「ええ、大丈夫です。……ほら、早く行かないと総隊長に怒られますよ?隊主会も大事な仕事でしょう?」


遠慮がちな吉良副隊長に、いつもよりワントーン明るい声で応じて、副隊長を隊主室から押し出して扉を閉めると、外のざわめきは、まるで別世界の音のように遠くに聞こえた。

窓の外から微かに聞こえる笑い声は、おそらく今週の警備担当の八番隊の隊士のものだろう。


……同じ護廷隊にいるのに、随分な違いだ…………。


隊主室に残された市丸隊長の私物や、隊長の印のある書類を整理するのが、ここ数日の仕事になっていた。

そう遠くない将来、新しい隊長を恙なく迎えられるように────

書類はともかく、隊長の私物なんて、そうたいしたものは残されていない。せいぜい湯呑みや、現世で買ってきたらしい細々した くだらない玩具──こんなものに吉良先輩の手を煩わせることはない。……院生時代から、ずっとあの銀髪の死神に憧れてきた真っ直ぐな人に、今さら、こんなものに触れさせてどうするんだ。


……幸いにも、吉良先輩は、あたしの気持ちを知らない。

隊長が残した取るに足りない僅かな置き土産を前に、すとん、と かの人が座っていた椅子に腰を下ろす。

ぼやける視界。今だけだ。今だけ……そうしたら、もう忘れる。


────いつか、隊長が考え直して尸魂界に帰ってきてくれる……それを願うことは、多分 罪ではなかった筈だ。けれど……。



   *   *   *   *   
 


「ごちそうさまー!美味しかったー、流石、深雪のおススメだねぇ」

お菓子をたいらげて、カップに残ったミルクティーを一気に飲み干すリリネット。ティーセットを片付け始めた あたしを上機嫌で見上げる。

「こーゆーの、深雪と一緒に買いに行けたらいいのにな」

「そうだね……」

苦笑いで応じる あたしを見て、スタークはリリネットの頭を無造作に掴む。

「ちょ……なにすんの、スターク!いたいいたいいたい」

「返事に困るようなことを言うんじゃねぇよ」

そう言うと、リリネットの頭をぎりぎり捻り上げるように掴んでいた手をぱっと離す。

「……深雪と一緒にお出掛けしたい、って何もヘンなこと言ってるワケじゃないじゃん」

ぶつくさとこめかみを擦りつつの科白。それを無視してスタークはこちらに目を向ける。


「ティーセット、それ藍染サマからの借り物なんだ。……その……返しに行ってくれたら、有難いんだが……」


……破面のナンバーワンだってのに。

捕虜相手なんだから、命令すりゃいいじゃんね?

くすりと笑う あたしを不思議そうに見つめるスターク。

「いいよ、行ってくる」



藍染惣右介の宮へ向かい、指示されたように適当な従属官に声をかけてティーセットを託す。

表情に乏しい幸薄い印象の女破面は、まるで雑用をこなすためだけのためにつくられたかのようだ。死神は敵の筈なのに、あたしを見つめ返す その目には、特に何らかの感情があるようにも思えない。

「……あれが、藍染サマとやらの趣味なんですかね」


用事を済ませて、とっとと立ち去ろうとした あたしの背後に立つ者の霊圧には、特に殺意は感じられないものの……どちらにしても嫌がらせには違いないだろう。

「僕が、どうかしたかい?」

穏やかな声音。面白がってすらいるようだ。わざと聞こえよがしに溜め息をついてから、振り返る。

「いえ……トップが直々に何の用ですか?わざわざ、あたしを御指名でティーセットを返しにこさせて」

そう……この人に直接言われたのでなければ、スタークが あたしをひとりでここに来させはしなかっただろう。


「いや……直接、君にスタークを借りていく許可をもらおうと思ってね」

「許可?あたしに?……十刃は、貴方の兵でしょう。なんで、あたしの許可がいるんですか」

一瞬、霊圧や力の差も忘れるほどカチンときて、少々強すぎるほどの口調で言い返す。
 

「……ああ、気に障ったなら謝ろう。どんな時でも感情的に泣き喚いたりしない君のことをこれでも僕は評価しているつもりなんだよ」

「……それはどうも」

まるで、ここにはいない元副官への嫌味のようだ。……いや、むしろ市丸隊長の離反に泣き喚きもしなかった あたしへの嫌味なのだろうか。

「阿散井くんたちがここへ来ていることは聞いているだろう?……僕らが現世に侵攻した後は、残り僅かな時間で旧交を温めるなり、好きにすればいい」

言いたいことだけ言うと、さっさと背中を向け歩み去っていく藍染惣右介。


……まったく。上司も部下も、あたしで遊ぶ暇があるほど余裕だと言いたいんだろうか……。



   *   *   *   *   
 


「ただいまー……」

やっとスタークの宮まで辿り着くと、なんだか どっと疲れが出てきた気がする。

……これは、あの霊圧に中てられたのとは、また意味合いが違うとは思うけど。


「ああ……悪かったな、わざわざ。……ほら、こっちこい」

クッションに埋もれていたスタークが半身を起こして、あたしを手招きする。リリネットは、その足元で眠りこけていた。

「なんだか疲れた顔してるぞ。充電しとけ」

そう言って、当たり前のように腕を広げて待っているスターク。


……“充電”ね。もう、そんなこと何の躊躇もなく口にするようになった、ってどうなんだ、ソレ。しかも、そのポーズって……ヘンに照れる方が馬鹿みたいだよね、こうなると。

近付いて、スタークと向かい合うように その膝に腰を下ろす。……そんな姿勢に照れすら感じないのは、お互い薄々残り時間の少なさを予感しているせいか。



「……ホントはさ、わくわくしてたんだよ、あたし」

「は?」

「あたしの死神としての生は、傍観者のまま終わると思ってたの。特に何ごとも起こらないまま寿命を終える、って。リリネットに、この虚圏に連れてこられて、破面のトップだってヤツに引き合わされて」

まるで苦行のようだ、とまで思っていた凪のような人生。そこに訪れた変化────

「……あたしの人生には、およそ望めなかったドラマティックな死に様だもの。ある意味、本望だよ」

「…………お前、変わり者にも程があるだろ」

「けどさ」

スタークのツッコミは無視して、更に続ける。

「その破面で一番強い筈の男は、覇気はないわ、捕虜相手に妙に下手だわで」

「……そういう性分なんだよ、俺は」

「だけどさ」

「…………お前、さっきから俺の科白は全スルーかよ」

「ドラマティックな死に様なんて、往々にして悲劇的なものだよね。自分が、そんなものに耐えられるほど強いかどうか、
考えてもみなかった」


青い目を見上げて、その髪に手を伸ばす。

「敵陣で、たったひとり超然と死んでいくことを喜んでた筈なのに……スタークってば、プリメーラのクセに ゆるゆるにもほどがあるじゃん」

「……悪かったな」

「だから……気付いちゃったんだ。何も起こらない穏やかな日常の中で生きることが、どんなに幸せなことなのか……ホントは、初めて出逢った時に気付いてたんだよ、あたし。虚圏に来た瞬間から死は確定してた筈なのに、スタークの持つ空気に触れて、“もしかしたら死なずに済むかもしれない…”なんて希望を持ってしまった自分に……」

沈黙。口を閉じると、辺りが必要以上に静まり返っていることに気付く。


「でさ」

そしてまた、何やら神妙な表情で あたしの話を聞いていたスタークに気付いて、くすりと笑う。

「そんなことに気付かせてくれたスタークに、一泡吹かせてやりたい、なんて思ってたんだよね」

その科白を聞いたスタークは、部屋の隅に放り出されたままの あたしの斬魄刀に視線を走らせる。


「……ああ、そういうことじゃないよ」

くすくすと笑いながら、スタークの首に腕を回す。

「多分、これで充分じゃないかな……」

スタークの膝に跨るように膝立ちになると、チュッと音を立てて一瞬だけ唇を合わせた。


「ほらね?……ザマミロ」

すかさずスタークの膝から飛び降りて背を向ける。

ちらりと後ろを伺うと、片手で顔を覆って呆然としているスターク。指の隙間から僅かに、赤く染まった肌が見えた。……とりあえずは、それで充分だ。



「あのさ、スターク……」

自分の頬の火照りが治まるのを待って振り返ると、スタークは一転して真剣な表情で立ち上がるところだった。いつもは、そこらに放り出したままの自分の斬魄刀を腰に差して。

「スターク……?」

気付くと、いつのまにかリリネットも起き出していた。……やはり、ちゃんと斬魄刀を手にしている。

「……どうやら行かなきゃならんらしい」

黙って あたしを見下ろしているスターク。何を言えばいいのかわからず俯く あたしの肩に触れる手。

「……酷い話だよね。この期に及んでも、あたし、“大好きなひと”に、『死なないで』すら言えないんだよ」

短い沈黙の後、ようやく搾り出した科白。……自覚したのは、それを口にするのと同時だった。

「……心配すんな。市丸が、そう簡単にやられたりする訳ねぇだろ?きっと要領良く生き延びるさ」

「違う!」

「深雪……?」

「違う……よ、あた、しは……」

声にならない言葉。想いを込めて、まっすぐにスタークを見つめる。……何ごとかに気付いたように見開かれる青い目────


と、まもなく苦笑いと共に吐き出される溜め息。

続く動作は、まるでいつもどおり。大きな手が、ぐしゃりと あたしの髪を乱す。
 
「深雪!」

駆け寄ってきたリリネットの腕が、あたしの首に回る。そのまま一瞬、ぎゅうっと抱き締めてから手を離した。


そんなやりとりの途中で、こちらに背を向けて歩き出すスターク。リリネットが小走りに、その後を追う。が……。

「……ぎゃ!ちょっと、いきなり立ち止まるなよ、スターク!」
突然、立ち止まるスタークの腰に激突するリリネット。



「破面のプリメーラから、捕虜に命令だ」

スタークはリリネットの文句も聞こえないかのように、真っ直ぐ前を向いたまま振り返りもせずに言った。

「…………待ってろ」



……ああ、なんだこれ。


“命令”だって言われてるのに。……なんで、あたし笑ってるの?

「……はい」

あたしの返事を聞いて振り返ったスタークは、ふっと微かな笑みを零す。

「行ってくるね!」

そう言って手を振るリリネット。

────そして間もなく、二人の気配は虚圏から消えた。




誰かが生き延びることを望むことは、誰かの死に繋がってしまう。だから…………。


“命令”だ。『全てが終わるまで待っていること』。


その先に、あたしの死が待っているなら、それはそれで今度こそ覚悟はできている。


「あたし、幸せだよ、スターク……」

小さな呟きは誰にも聞かれないまま消えた。遠くに感じる禍々しい霊圧すら気にも留めず、あたしはクッションの上に丸くなって目を閉じた────




  【第一部・完】

(2010.07.27. up!)



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