同室恋物語01


※全寮制男子校の先輩×後輩
お約束ネタがちょいちょい出ます。



 今年この学園に入学した炭治郎は緊張した面持ちでとある部屋の扉の前に立っていた。
 全寮制の男子校であるこの学園に晴れて合格し、この春から通うことになったのだ。そして今日は寮で同室の先輩と初めて顔を合わせる日。三年間同じ部屋で過ごすことを考えると、気が合う人であればいいと願うほかない。
(俺は長男だ! よし!)
 心の中で意気込み、すみませんと声をあげる。思ったよりも大きい声が出てしまったが、その方が気づかれやすくていいだろうと前向きに考える。
「……誰だ」
 やがて少しの間を置き室内から現れたのはたいへん美しいかんばせを持った男だった。身長は炭治郎よりも高く見上げるかたちとなる。
「はじめまして! 竈門炭治郎と申します! 今日から同室となる者です、よろしくお願いします!」
「……ああ」
 初めが肝心だと元気よく挨拶をしたのだが、返ってきたのはたったそれだけ。ええと、と戸惑いがちに尋ねる。
「あの、二〇七号室で合ってます、よね?」
「そうだが」
「あ、良かった」
 あまりの反応の薄さに部屋を間違えたかと思ったがその線はないようだ。ただ単に無口な人なのかもしれない。炭治郎はこちらから質問をすることにした。
「よろしければ名前を教えてもらっても……?」
「……冨岡義勇。三年だ」
 実に簡潔な自己紹介である。ともあれ教えてくれたその名前を反芻して頭に叩き込む。
「冨岡先輩、ですね。粗相がないよう気をつけますが、何か不満があればいつでも言ってくださいね」
 部屋数の関係で致し方ないとはいえ、ルームシェアは余程気の合う者同士でなければなかなか上手くいかないと聞いている。故に炭治郎は隔たりのないよう笑顔で告げる。冨岡は小さく頷くと、無言で部屋に引っ込んでいってしまった。これはとりあえず出会い頭に追い出される事態にはならなくて済んだようである。面接を突破したかのような気分で、今日からの自室になる部屋へ炭治郎は一歩を踏み入れたのであった。





 入学から一週間。この学園に慣れるのに必死で、冨岡とは殆ど会話ができなかった。彼も彼で忙しくしているようで、炭治郎と入れ違いになる生活を送っていたのも原因だろう。
 明日は休日である日曜日の夜、炭治郎は自室のベッドに腰掛けてふう、とため息を吐いた。すると疲れがどっと押し寄せてきて瞼が重くなる。うつらうつらと船を漕ぎ、倒れ込むように横になった。
 ああまだ髪を乾かしていないのに。しかし起き上がる気力はもう残っておらず、炭治郎は抗えない睡魔にその身を委ねるしかなかった。

 あたたかい。最初に抱いたのはそんな感想だった。
 ふわふわする意識の中で、炭治郎はそのぬくもりに手を伸ばした。仲のいい大家族だったせいで既にきょうだいたちが恋しくてホームジック気味なのだ。何でもいいからとぬくもりを欲していた。
「積極的だな」
 続いて声がした。耳馴染みのない低音が鼓膜を揺らす。それも随分と近い距離で、だ。
「可愛いな、寝惚けているのか」
 長男の炭治郎に可愛いという言葉は似つかわしくない。そういうのは、妹の禰豆子や花子にかけるべきだ。あの子たちは、竈門家自慢の女の子なのだから。
「おい、誰なんだそれは」
「だから妹の……ぎゃっ!!?」
 可愛い可愛い妹たちを知らないだと。ならいくらでも語ってやるぞと口を開きかけた炭治郎は、そこでようやく現状に気がついた。ベッドで横になったところまで覚えている。だが、目を覚ました今置かれている状況はといえば。同室の先輩に押し倒された格好で炭治郎も彼の首に腕をまわしているという、もしこんなところを第三者に見つかれば言い逃れできないものだった。
 何故こうなっているのかさっぱり分からず、炭治郎はただ眼前に迫る美形を見つめるしかない。その当人はわずかに眉をひそめ、炭治郎からの視線をじっと受け止めている。
「あああああの、どうして先輩が俺に覆いかぶさっているんでしょう……?」
 このままでは埒が明かないので素直にそう尋ねる。寝ていた炭治郎が理由を知る由もないので、彼に聞くしかないのだ。
「寝顔が可愛かったから、もっと近くで見ようと」
「…………えええ…………?」
 分からない。返ってきた答えに炭治郎は戸惑いしか浮かばなかった。
「俺、男ですけど」
「知ってる」
 もしかして何か勘違いしているのでは、という一縷の望みは簡単に一蹴されてしまった。困惑のまま動けないでいる炭治郎に気づいていないのか、冨岡は額をこつりとくっつけてさらに至近距離に詰め寄る。
「寝顔も良かったが……起きているときの、そのころころ変わる表情がいいな」
「ぐぅっっ!!」
 もう思考は全く動いていない。けれど美形に口説かれることがどれだけの脅威なのかは今の短時間で嫌というほど知ってしまった。
 もう勘弁してくれと、炭治郎は震える声を叱咤して言葉を紡ぐ。
「わか、分かり……っました、から! とりあえず離れていただいても! よろしいでしょうか!?」
 自棄になったのが見て取れたからか、こちらの思いが伝わってくれたのか。冨岡は渋々といった風ながら身体を起こしてくれたので、炭治郎もようやく解放されて起き上がれた。
「ところでさっき言っていた女の名前は?」
「へ? 俺何か言ってましたっけ」
「言った」
「うーん……? あっ、もしかして禰豆子と花子ですか?」
 そういえば微睡みの中で妹のことを思い浮かべていた気がする。炭治郎は手を打って愛しい家族の名前を連ねた。
「それだ。お前にとって何なんだ?」
「妹ですよ!」
「……そうか」
 妹なのだと教えると冨岡はひどく安堵した表情を浮かべた。そして炭治郎のベッドから腰を上げると「春先とはいえ夜は冷える」と言葉を残し、頭をひと撫でしてから反対側に置かれている自身のベッドへと移動した。未だ目を白黒させている炭治郎に「もう寝ろ」と明かりを消してしまった。釈然としないまま再び眠りにつこうとした炭治郎だったけれど、今しがた起こった出来事の衝撃が大きくてあまり眠れなかったのは当然であった。

 どうしてここまで振り回されるのか。理由を考えた炭治郎は、彼からは感情の匂いがほとんどしないからだという結論に辿り着いた。特別鼻が良い炭治郎は人の感情を匂いで嗅ぎ取ることができる。それに頼ってきたせいで匂いの薄い冨岡はイレギュラーなのだ。だから決してドキドキしてなどいない。ないったら、ない。





「同室の先輩がおかしい?」
「うん……」
 昼休み、炭治郎は屋上で穏やかな時を過ごしながら、入学後にできた友人にそうこぼしていた。
「どうおかしいってのよ」
「ええと……その、俺を、可愛いとか、なんとか……」
「えっ、それって……」
 友人、我妻善逸は何かを言い淀むように視線を泳がせた。炭治郎はきょとりと首を傾げる。
「……炭治郎さあ、狙われてるんじゃないの?」
「狙われ……?」
「知らない? この学園全寮制なうえに男子校じゃん。閉鎖的だから恋愛対象が同性ってのも普通なワケ。その気がないなら気をつけた方がいいんじゃない」
「そ、そうなのか」
 初耳だった。まだまだ炭治郎には知らない世界があるのだと目を見開く。
「んぐ、じゃあアイツらもそうだったんだな」
「アイツら?」
 今まで食べることに夢中になっていたもう一人の友人である嘴平伊之助は頬張っていたおにぎりをすべて飲み込んだあとに口を開いた。
「カワイイだのなんだの意味分かんねぇことほざきやがったからぶっ倒してやったぜ!」
「エェーーッッ!!? お前相手殴っちゃったの!?」
「あァ!? あったり前だろーが! じゃあ紋逸ならどーすんだよ!」
「ぶん殴ってでも逃げますけどぉ!? あと善逸だよ!」
「言ってること同じじゃねぇか!!」
 ギャーギャーと騒ぎだした二人に苦笑を浮かべて、炭治郎はまあまあと宥める。その脳裏では善逸の言葉を思い返していた。
 同性同士でも普通。じゃあ、やはり冨岡もそういうことなのだろうか。伊之助は女子と見紛う顔をしているから分かるが、では炭治郎は。炭治郎の額には昔弟を庇ってできた火傷痕が痣のように広がっている。その出来事自体は誇りに思っているけれど、周りの目は別だった。初対面だと大抵の人が炭治郎の額に目線を向けていた。それが悪意であれ善意であれ、外見というものはどうしたって視線を引いてしまう。
 そんな炭治郎を、モデルや俳優顔負けの容姿を持つ冨岡がわざわざ選ぶのだろうかという疑問が残るのだ。
 ううん、と唸る炭治郎に、伊之助が「やべーなら俺に言えよ! 親分として子分を守る義務があるからな!」と言ってくれたので、その気持ちは有り難く頂戴したのだった。

 そんな話をした放課後。少し緊張しながら寮室へと帰宅してきた炭治郎は一人で考えたいこともあって、寮へ来てから初めて自身で夕飯を作ることにした。この一週間は帰宅した頃にはクタクタで、キッチンに立つ元気もなく寮の食堂にお世話になっていたのだ。
 調子の外れた鼻歌を口ずさみつつ買ってきた食材を取り出す。この学園は規模が大きく、購買はスーパー並みに品揃えがいい。食品から日用品まで必要なものは大体揃うのだから便利なことこのうえない。
 自炊は得意だった。竈門家の長男として、忙しい母の代わりに料理を担当していたからだ。味にだってそこそこ自信がある。中学時代、手作りの弁当のおかずを友人にわけたとき彼はいたく感動していたのだ。
 支度を進めているうち、ガチャリと扉が開く音が聞こえた。その瞬間炭治郎はわずかに肩を震わせる。部屋に来る人物など一人しかいないからだ。
 昼間の会話のせいで変に意識してしまう。心臓がやけにうるさく鳴っている気がして動きがぎこちなくなっていく。
「炭治郎?」
「ヒョッ!?」
 この部屋では呼ばれ慣れない自分の名前に変な声を出してしまった。振り向くと冨岡が目を丸くしてこちらを見ている。
「な、なんでしょうか?」
「いつもこの時間は食堂に行っていなかったか?」
「ああ、今日は自分で作ろうと思いまして!」
 なるほど、夕食の時間も入れ違いになっていたから不思議に思ったようだ。炭治郎は笑顔を浮かべてフライパンを指差した。今日の献立は豚の生姜焼きとトマトサラダだ。既に室内には生姜と醤油の香りが充満していて食欲をそそる。
「……美味そうだ」
「! 良かったら先輩もどうですか?」
 炭治郎の手元を覗き込んだ冨岡が思わずといったように落とした呟きを聞き逃さなかった。炭治郎は無意識のうちにすかさず夕食の席に誘っていて、すぐにハッと我に返る。
「すみません、失礼でしたよね……っ」
「いいのか」
「っえ……はい」
 忘れてください、と言う前に放たれたのは冨岡の嬉しそうな声だった。反射でこくんと頷く。
「俺は何を手伝えばいい?」
「い、いえ……もうできるのでテーブルに座って待っててもらえれば……」
「そうか……」
 そわそわと手伝いを名乗り出てくれたが、特にやってもらうこともないし先輩の手を煩わせるなど、と炭治郎が席につくことをすすめると、途端にしょんぼりとした雰囲気を漂わせるものだから。
「あっ、じゃあ! お皿! お皿を準備してもらってもいいですか!?」
「! 分かった」
 その姿がいつかの弟妹たちと重なって、つい声を張り上げてしまった。戸棚を指しながら言うと、冨岡は口角をつり上げてきぱきと働いた。炭治郎もそれに倣い用意してくれた皿に盛り付けていく。
「運んでいいのか?」
「はいっ! お願いします!」
 ここで拒否してしまえばまた冨岡を悲しませてしまうと思えば炭治郎はそう答えていた。

 並べられた夕食を前に二人で手を合わせれば和やかな食事が始まる。あらかじめ冨岡から「食べながら喋るのは苦手だから、もし話を振られても相槌しか打てない」と前置きされているので一方的に話し掛ける。
 つい数時間前までの気まずさは、この数十分の間に消え去っていた。
 家族の話やこの学園に入学する前としたあとのこと。途中自分の話ばかりで退屈じゃないかという不安は冨岡自身によって否定された。
 炭治郎のお喋りも後片付けの皿洗い時にまで及ぶと一旦止まった。ちなみに、これくらいしかできないからと自ら皿洗いを買って出てくれたので、今度は冨岡が担当し炭治郎が手伝いにまわっている。
 ひとしきり喋って満足した炭治郎は冨岡のことも聞いていいのか躊躇していた。こちらの話を聞きたがっていたからと炭治郎自身のことを語ってしまったが、本当は彼のことも知りたいと思った。はく、と開きかけた口が生じた迷いから閉じるということを既に何度か繰り返していた。
「炭治郎?」
「っなんですか?」
「いや……何か言いづらそうにしていないか?」
「うぐっ」
 露骨に動揺する炭治郎を見た冨岡はくすりと笑った。その顔があまりにも美しくて一瞬見惚れてしまう。美形は笑うとさらに格好良いのか。炭治郎はまたひとつ学んだ。
「どうした? 言ってくれていいんだぞ」
「えっと、じゃあ……」
 冨岡先輩のこと、知りたいんです、けど。
 ようやく言えた炭治郎の本音に、冨岡はぱちくりと目を瞬かせた。
「そう、か」
「やっぱり嫌でしたか?」
「そんなことない。むしろ嬉しい」
 内心ほっと安堵した炭治郎は早速とばかりにぽつりぽつりと聞きたいことを質問していった。
 思えば冨岡のことは三年生の先輩としか知らなかった。本人から許可を得た今、聞きたいことは溢れ出るように口からこぼれていく。
「お誕生日は?」
「二月八日」
「ご家族は?」
「両親と姉が一人」
「お好きな食べ物は?」
「鮭大根」
「部活!」
「剣道部に入部している」
 炭治郎が何を尋ねても義勇は本当に何でも答えてくれた。そうすると距離が近くなったみたいで嬉しくなる。だが次に冨岡から落とされた爆弾に固まることになった。
「あとは生徒会にも籍を置いている」
「生徒……会?」
「ああ」
「冨岡先輩が?」
「会計だがな」
 生徒会は有名だが炭治郎は入学してこのかた人の集まる場へ赴いたことがなかったため、彼が生徒会のメンバーなのだと知る機会を失っていたのだ。
 そんな情報に疎い炭治郎でも知っていることがある。
「俺、失礼なことばかり……!」
 血相を変えて狼狽えだす炭治郎。というのも、この学園にとって生徒会とは頂点ともいっていい存在であるからだ。逆らえばどうなるか分からない、もし気に障ることをしでかせば明日を迎えられるかも分からない。そんな噂の流れる存在なのだ。
「待て、何を勘違いしているか知らないが。生徒会も他の生徒と何ら変わらん。だから落ち着け」
「うそ、でも……!」
「……昔は、そういうくだらんこともやっていたらしい。だが今は、生徒会メンバーの誰もが望んでいないからな」
 やれやれと鬱陶しげにため息を吐く様からはどうやらほかの生徒たちからも同じような反応をもらって辟易しているのが窺い知れた。それを見てようやく、炭治郎も落ち着きを取り戻す。
「良かった……」
「ああ、だからお前も恐れるなんてことは、」
「そうじゃなくて、もし噂通りだったら冨岡先輩とご飯も食べられなくなってたかもしれないと思うと、今の生徒会が良い人たちで良かったなって」
「…………」
「あれ? 先輩?」
 いや、と言葉を濁す彼を訝しげに見つめたがそれ以上口を開くことはなかったので続きを聞くのは諦める。
 そうこうしているうちに時間が経っていることに気がつき先に冨岡を風呂へすすめた。もちろん抵抗されたが彼がいつも朝早いことは認識していたのでここは譲れない。そんな炭治郎の意志の固さを悟ったらしい冨岡も早々に折れて浴室へ向かった。
 リビングで一人になった炭治郎はソファに座りひと息つく。思わずこぼれたのはどうしようもない本心だった。
「……冨岡先輩なら、いいかもしれないなあ……」
 何が、なんて。口に出すことは憚られたものの、炭治郎の心はもう動き始めていた。





 学年が違うことと冨岡が生徒会としての活動で忙しいのが重なり校内で会う機会はないものの、寮に帰った際の二人の会話は格段に増えた。
「学園で話せないのは残念だ」
 そう切り出したのは冨岡の方で、炭治郎は同意しつつも困り顔で曖昧に微笑むしかない。それを叶えるには互いの昼休みを利用せざるを得ないだろう。炭治郎はともかく、彼の自由な時間まで使わせるわけにはいかない。
「あ、だったらせめて、お昼は俺が作りましょうか?」
「……! だが……それだと流石に炭治郎への負担が大きくなる」
「いえ! 俺の分を作るついでですから!」
 先輩が迷惑でなければですけど。炭治郎の提案に冨岡は想像以上に表情に喜びの色を乗せた。
「すまない、恩に着る。礼は必ず」
「そんな……」
「俺が返したいだけだ。気にするな」
 そんな訳で、炭治郎は冨岡の昼食を作る権利を得たのだった。

「ウソ、それホント!?」
「間違いないって! 会長が言ってたのを聞いたヤツがいるんだよ!」
 冨岡と二人分の弁当を用意するようになって数日経った頃、その噂は偶然炭治郎の耳に入ってきた。
「騒がしいな、どうしたんだろうか」
「あー〜〜……炭治郎には関係ないよ。もちろん俺にも一切合切ないけどね!」
 炭治郎のこぼした疑問を拾ったのは、何かと学園内の事情に詳しい善逸だった。首を捻る炭治郎に光を失った目で善逸は語ってくれた。
 曰く、生徒会のメンバーに恋人ができたらしいのだ。それのどこが騒ぎになるというのだろう。至極真っ当な炭治郎の質問に、「やってらんない」と呟きながら善逸は続ける。
「生徒会のメンバー全員がイケメンらしくてさあ、この学園じゃめちゃくちゃ人気なのよ。親衛隊まで存在してるって話だし」
「えっと……つまり、」
「ショック受けてる奴らが騒いでるんだよ」
 はあ、と気の抜けた声がもれた。それと同時に炭治郎の脳裏には同室の彼の姿が過ぎった。冨岡も生徒会だと言っていた。ということは彼もやはり人気があるのか。
(俺も格好良いと思ったもんなあ)
 ずん、と胸に重いものがのしかかる。それが何から来るものなのか消化できないままで、そのあとの善逸の話は耳をするりと通り抜けていくばかりだった。

 ふう、とため息を吐いて立ち上がる。炭治郎は教科書を鞄に詰めながら肩を落としていた。話を聞いてからというもの、今日はずっとうわの空だった。冨岡が美形だということを再確認しただけなのにどうしてこんなにも胸がざわつくのだろうか。
(……ん?)
 教科書を入れる手が止まった。鞄の中に覚えのない紙があることに気がついたのだ。
 取り出してみるとそれは白い無地の封筒で、裏返しても差出人の名前は記されていない。炭治郎の鞄に入っていたのだから自分宛てで間違いはないのだろうが、では相手は。
 少々引け目を感じつつも封筒を開ける。中には折り畳まれた一枚の手紙。かさりと音を立てて開くと、内容は『体育館裏に一人で来い』の一文のみ。炭治郎は眉をひそめてムカ、とこめかみに青筋を浮かべた。
(なんだこれは!! 呼び出すなら堂々と真正面から言えばいいだろう!!)
 それに、上から目線なのも気に入らない。これは一発頭突きをかまさなければ気がすまない、と、鞄をひったくるように掴んで教室から飛び出していった。

 ざり、と砂がコンクリートを擦る音が鳴る。記されていた通り、体育館裏に来た炭治郎は辺りを見回した。
「竈門炭治郎」
 聞こえた己のフルネームに、そちらを向く。そこには三人の男子生徒が立っていた。
 ネクタイの色は赤。この学園は有り難いことに学年ごとにネクタイの色が別れている。炭治郎ら一年生は緑なので先輩であるのは確実だ。
(冨岡先輩は青だったから、二年生か)
 冷静な頭で判断を下す。同時に、年上である彼らがよってたかって一人を相手にしようとするのが炭治郎の癪にさわった。
「竈門炭治郎は俺ですが、何の用でしょうか」
 問う声は冷たい。おそらく視線だって鋭いものになっているだろう。
「こんなヤツが……!」
「ねえ、冨岡様のルームシェア相手ってお前なの?」
「……? どうしてそんなこと、」
 聞くんだ、と続けるはずだった口は閉じられた。様付けという異様な呼び方から善逸の言っていたことを思い出したからだ。
 そしてそんな炭治郎の予想が当たっていたことはすぐに知ることになる。
「そんなの僕たちが冨岡様の親衛隊に決まってるからだ!」
「……先輩はこんな陰湿な真似、嫌いだと思いますけど」
「っ、うるさいな! それよりあの方に近付く邪魔な虫を追い払う方が優先なんだよ!」
「なっ……!」
 まさかの虫扱いに唖然とする。正論を言われたからと言ってその口の悪さはどうかと思う。
「いい加減にしてくれ! 何が言いたいんだ!」
 本当に実力行使にしてくれようか、と炭治郎の手ならぬ頭が出かけた頃。
「冨岡様から離れろって言ってんの!」
「はあ?」
「たまたま同室になったからって調子に乗るなよ」
「あの方はお優しいから気を使ってくれてるんだぞ」
「だいたい、冨岡様が男を好きになることはないって断言してるの、知らないの?」
「え……」
 違う、冨岡先輩の優しさは本物だ。そう反論しようとしていた炭治郎は、途端に閉口してしまった。
 何故急に彼の恋愛対象の話になったのかちっとも分からない。しかし彼が同性を好きにならないと聞かされ、ひどく動揺する自分がいたのだった。
「……」
「あれ? さっきまでの威勢はどうしたの?」
「まさか冨岡様のこと好きだったの? 身の程知らず」
「新入生で知らないだろうから教えてあげる。寮の部屋割りは申請すれば変更できるから。今度こそ僕たちの言いたいこと、分かるよね?」
 満足したのか、そこまで言うと冨岡の親衛隊らしき二年生らは炭治郎の前から立ち去っていった。残されたのは呆然と佇む炭治郎だけ。
「先輩……男は好きにならないんだ……」
 ぽつりと落とされた呟きは誰の耳にも入らず、風に攫われて消えていった。

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