人の噂も七十五日?


※「愛に一直線」の二人。
女装ネタ。



 その日とある一人の女子生徒が放った一言で、キメツ学園高等部に激震が走った。

「ねえ!!冨岡センセー婚約者いるらしいんだけど!?」
 ホームルーム前のちょうど生徒が教室に集まっているタイミングで持ち込まれたその話は、一瞬皆が内容を理解するまで静まり返った。
 そして理解した者からガタガタと音を立てて立ち上がって、話を持ってきた女子生徒へ詰め寄る。このとき集まった九割が女子だったのは言うまでもなく。
「はああああ!!?」
「どこ情報!?」
「今!なう!職員室!!」
「やっべぇ、全然想像つかねえ…!」
 なかにはあの笑ったところを見たことがないスパルタ教師に恋人がいたのかよという妬みや悔しさ混じりに興味を持った男子生徒もいたり、純粋にイケメン教師の恋人が気になるという生徒もちらほらと見受けられた。
 筍組の教室が急に騒がしくなったのが気になり、隣のクラスから顔を覗かせる生徒がいた。その生徒も訳を知るなり自身のクラスに吹聴しに帰るものだから、噂が広がるのに何分と掛からなかった。
 クラス中が“あの“冨岡先生に婚約者が、との話題で盛り上がるなか、炭治郎は一人だけ、ずっと冷や汗が止まらなかった。
 義勇に婚約者がいるのがバレてしまうまでは良い。だがもし相手がここの生徒である炭治郎だと分かってしまったら、義勇はこの学園を去らなければならなくなるかもしれない。炭治郎のせいで職を失わせるわけにはいかなかった。
 だが、炭治郎は嘘をつくのが爆裂的に下手であった。自身ではそんなつもりはないのだが、家族友人みんなが口を揃えて言うのだから間違いないのだろう。
 しかし直接炭治郎に尋ねられることさえなければボロは出さないはずだ。大丈夫大丈夫と心の中で己に言い聞かせて気持ちを落ち着ける。長男なんだからこんなことで取り乱してどうするのだ、と。
 そんな努力も虚しく炭治郎の前の席に座るクラスメイトが思い出したように振り向いて口を開いた。
「そういえば炭治郎って昔馴染みなんだろ?なんか知らねえ?」
「えっ!?と、……あの人より年下のひと、なん、だけど、」
「ヒュウ!!マジ!!?」
 嘘にならない範囲のことをなんとか紡ぐと、その情報だけで教室内は騒然となった。
 婚約者がいただけではなく年下。何歳、学生、この学校ではと核心に近いところまで言い当てる声を耳にし、炭治郎は顔を青くした。
 幸いにもその後チャイムが鳴って、担任の悲鳴嶼が入ってきたので事態は一旦収まった。普段は温厚で何事も静かに諭してくれる担任が、規律を乱す生徒を前にはおそろしく怖いことが周知されているからだ。炭治郎はそんな担任に心から感謝の言葉を内心で何度も呟いて、心を落ち着けるよう目を瞑った。
 噂のことはどうか早く消えてくれますようにと願いながら。





 しかし炭治郎の祈りは天に届かず、噂は広がるばかりであった。朝服装検査の為に校門に立つ義勇を見る目は好奇心に溢れ、それに対して彼の眉間に刻まれる皺はどんどん増えていく。生徒だけではなく、もしかしたら教師陣からも何かと尋ねられて本人の耳にも届いているのかもしれない。学生時代からの友人である教師仲間はまだしも、基本的に付き合いの苦手な彼は騒々しい周囲に辟易しているらしく、家でもついため息をこぼしてしまっている場面を何度か目にした。
 恋人として炭治郎に何かできることはないか。学園内で近づきすぎるのは良くないと学んだばかりだ。ならばせめて家でくつろいでもらうしかない。義勇が美味しいと言ってくれた好物を出してみたり、とにかく甘やかしてみたりと頑張った。弟妹にしてやるように抱きしめて背中を撫でさすった際に、義勇からは安堵の匂いがしたから効果はあったのだと思いたい。
 その頃噂には尾鰭がつきにつきまくって、年下の可愛くて家事もできて癒し系の明るい子が婚約者だということになっていた。これをクラスメイトから聞いたときには軽く目眩がした。なんというか、みんなの想像力の豊かさに。
 そんな完璧な存在になれるよう日々努力しているものの、まだ学生で頼りない部分ばかりで不甲斐ないと一番感じているのは炭治郎自身だ。空想の存在に負けているのが悔しくて、一人ひっそり落ち込んだりもしてしまった。

 そんなことがあったせいで、学園祭が近づいていたこともすっかり忘れていた。噂が広がった原因のひとつに、生徒たちが学園祭を間近に浮かれていたこともあったのだろう。
 最近はぼうっとしている時間が多かった為に炭治郎の知らぬ間に筍組の出し物も決定していた。何気なくクラスの実行委員が配ったプリントを見てみるとびっくりして目を剥いた。そこには『女装喫茶』と記されていたからだ。じっと目を凝らしても文字が変わるはずもなく、炭治郎はクラスメイトの男子たちに視線を巡らせた。当然みんなは知っていただろうに雰囲気はどんよりとしており、しかし反対に女子たちはきゃあきゃあととても楽しそうだった。こういうときの女性は非常に強い。
「女子が話してるの聞いたけどさ、多分メイド服だぞ」
「…本当か?女の子たちが着た方がお客さんも嬉しいだろうに、どうしてまた…」
「分かんねぇ…でも意欲が凄すぎて怖ぇよアイツら…」
 席の近いクラスメイトと怯えながらはしゃぐ女子たちを見つめる。炭治郎たちは肩を落としながら看板やメニュー作りを進める。それしか選択肢は残されていなかったのだ。

 一週間後、衣装が準備できたと生き生きとした表情を浮かべる衣装係の女子が服の山をかかげた。炭治郎たちにはそれが恐ろしい物体にしか見えない。しかし受け取らなければもっと恐ろしいことが起こると本能が告げていた。
 男子生徒らに渡されたメイド服と呼ばれるそれらは様々で、黒と白の二色でできたメジャーなものにミニスカートかロングスカートの違いか、または色違いや少しアレンジされた凝ったものまである。互いに顔を見合せながら誰がどれを着るのか、殺伐とした雰囲気が辺りを漂った。
「あ、これ市松模様なのか」
 一食触発だった空気を破ったのは、炭治郎の呑気なひとことであった。
 家ではよく市松模様の服やエプロンなどを使っており、馴染みの深いそれについ反応してしまったのであった。
 それを好機とばかりにクラスメイトたちは炭治郎にそれを押し付けてきた。よく見れば着物をメイド服風にアレンジしたらしく、女子が着れば間違いなく可愛いのだろうが、男子が着るにはあまりにもハードルが高かった。ただでさえメイド服など気軽に着れるものではないというのに、和風メイド。おまけにスカートの丈も短い。
 例に漏れず炭治郎も、口元を引き攣らせる程にはそれを受け取るのに躊躇いが大きかった。
「え、ちょっと待ってくれないか!?これは…!!」
「いや、最初に選んだんだ。お前が受け取るべきだと思う」
「いや、違、」
 畏怖すら覚える程の真剣な瞳にたじろぐ。しかも数人に囲まれ逃げ場がない。それでもどうにか断るべくあがこうとした炭治郎の心を止めたのは次のひとことであった。
「頼む!炭治郎しかいないんだ!お願いします!!」
「……」
 長男の性とは、実に厄介だと思う。本当に。

「うう……下半身がスースーする……」
 時折女子に手伝ってもらいながらようやく着替え終えた炭治郎はぐったりと壁に寄りかかった。クラスメイトの一人が慰めのようにぽんと肩を叩く。その男子は黒色のロングスカートになっているメイド服だった。
 服自体は緑と黒で彩られた市松模様になっており、その上にレースがあしらわれた白いエプロンが重ねられている。袖が少し長く、捲らなければ摘めてしまう程だった。なんだか成長途中なのがまじまじと感じられて情けない。靴はベージュのブーツを履いていて、仕上げに頭にはこれまた白いレース付きのカチューシャをつけられた。服装だけを見れば完璧な女子である。
「あの、これ少し大きいと思うんだけど…」
「いやいや!バッチリよ!萌え袖ありがとうって感じ!」
「もえそで?」
「ごめんなんでもないわ!」
 サイズのことを相談してみたが大丈夫だと太鼓判を押された。そうかなあ、なんて腕を振ってみるがどうにも動き回る際邪魔な気がしてしまう。しかし衣装係が了承を出してしまったのであれば炭治郎にはもう為す術がなかった。
 スカートを履いている慣れない感覚にもじもじと両膝を擦り合わせていたら、突然教室の扉が勢いよく開けられた。クラス中が何事かとそちらを向くと、廊下を指差しながら駆け込んできた生徒が焦った声をあげる。
「ヤッベ!見回り来たぞ!」
「まずいモン何も置いてねーよな!?」
「多分オッケー!」
 クラスメイトがざわつくなか、炭治郎は別の意味で落ち着かなかった。見回りをしているのは十中八九生徒指導担当の教師だ。それはつまり義勇がこちらに向かっているということで。
 義勇は今の炭治郎の姿を見てどう思うのだろう。似合う、と言われるのも男として複雑なのだが、喜んでほしいなんて矛盾した思いもある。大きめの袖を掴んで弾む心臓を静めようと深呼吸をしたそのときだった。
 ガラリと扉を開けて顔を覗かせたのは笛をくわえた義勇で、瞬間教室中に緊張感が走る。PTAに目をつけられる程のスパルタ教師が女装喫茶を前にどんな反応を示すのか。怖いもの半分、興味半分といった視線が集まった。
「ピッ!?」
 ばちん。そんな幻聴が聞こえるくらい、炭治郎は目が合った。脇目も振らずスタスタと真っ直ぐこちらに向かってくる義勇は鬼気迫っていて、誰も、炭治郎ですら声をあげられない。
「ピピーッ!!」
「えーっ!?そんな無理ですよ!」
「ピッ、ピーッ!」
「う、うーん…それなら…なんとか相談してみます…」
「ピッ」
 義勇は炭治郎の言葉に渋々引き下がると、踵を返して教室を出ていった。残った炭治郎に疑問の声が殺到するのは必然であったのかもしれない。
「いやいやいや、どこから突っ込んだらいいのこれ」
「とりあえず一つずついかない?竈門くん今何か会話してたの?」
「うん。丈が短すぎないか、って」
「えっ?俺には笛吹いてることしか分からなかったけど」
「大丈夫アンタだけじゃないから…」
 平然と答えた炭治郎に周囲はどよめく。義勇の言っていることが理解できたのは鼻が利くからだと思うのだが、みんなはあまり納得してくれなかった。
「というわけでもう少し丈を長くしてほしいんだけど…」
「あっ、うん、流石に冨岡先生に目つけられちゃ堪んないからね」
「本当?良かったぁ…」
 胸を撫で下ろす炭治郎は気がつかない。義勇が炭治郎一人にだけそう注意していったことを。我に返ったクラスメイトたちがそのことに疑問を持つようになることも。
 この出来事がきっかけで、義勇の婚約者は炭治郎なのではないかとまことしやかに囁かれたことを当人たちは知らない。
 ちなみに学園祭当日、不埒な輩に絡まれていた女子生徒を庇って、炭治郎へと矛先が向けられた際に駆けつけた義勇が竹刀で不良たちを秒殺したことで噂へさらに信憑性が増したのだって、炭治郎たちが知ったのは数年後のことであった。



  ◇  ◇  ◇



(………驚いた、)
 学園祭でどのクラスがどの出し物をするか一切情報を得ていなかった義勇にとって、先程の光景は衝撃だった。
 ──ぼんやりと見回りをしていて入った教室に可愛らしい格好をしている婚約者がいるなど、誰が予想できようか。
 心臓が止まるかと思った。あんな格好をしているから当然炭治郎は羞恥で頬を染めていて、義勇が近寄ったときにはうっすらと瞳が潤んでいた。その場で口付けをしなかった自分を褒め讃えたい。
 ここ最近周囲がやけに騒がしく、疲れを感じていた義勇にとって今目にした炭治郎の姿はほんの少しの間だったというのにしっかりと目に焼き付いていて、一気に疲れが吹っ飛んだ気分になった。しばらくの間無言で立ち尽くしていた義勇だったが、空き教室へと足を進める。中に入ると、自ら取り出すことの少ないそれをポケットから抜き出す。
 とん、とん、と文字を入力すると画面に並ぶのは炭治郎が着ていたものと似たような服だった。その中から好みの物をカートに入れる。必要な情報を入れ終わると、指はなんの迷いもなく確定の文字をタップした。購入完了である。
 きっと炭治郎は怒って、それから恥ずかしがるだろうが義勇が疲れを理由に強請れば最終的には着てくれるに違いないという確信がある。義勇はそれくらい炭治郎に愛されている自信があった。
 数日後へ思いを馳せると今から気分が上がった。ムフフと浮かべた笑みは余程機嫌が良いように周りの目に映ったらしく、それを目撃した付き合いの長い煉獄からはよもや、と驚愕されてしまったのだった。



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