惚れたものはしょうがない


※「三日どころか数時間」の二人。



 義勇は芸能界という世界に俳優として名を連ねさせてもらっている。
 自分でも向いていない自覚のあるこの職業に就いたきっかけといえば、家族が知らぬ間に履歴書を送っていた、というこの業界にはよくある話だった。
 義勇のことを大変誇らしく思っているらしい姉は軽い気持ちで送ったのだそうだ。半分は自慢するような感覚で。まさか一次審査を突破するなどと露程も思っておらず、書類の入った封筒が届いたときに一番驚いていたのは姉自身であった。彼女は半泣きになりながら何度も義勇に謝り、事務所にお断りの返事を入れようとしたのを止めたのは義勇の方。姉の気持ちは嬉しかったし、どうせ落とされるだろうからと義勇は二次オーディションに行く旨を告げた。
 姉が義勇を好きなように、義勇も姉のことが好きだったというわけである。
 他に芸能界デビューを目指していた者たちからしてみればたまったものじゃないような経緯からオーディションに臨んだ義勇だったのだが、なんと結果は合格。面接だって大して喋っていないというのにどうしたことか。義勇は合格通知を前にし、いくつもの皺を眉間に刻んでいた。
「ねえ義勇、やっぱり私が事務所に……」
「大丈夫だから」
 そんな義勇を気遣わしげに見つめていた姉が口を開いた。だが断るなら自分で言えるからと首を振る。そもそも途中でやめなかったのは義勇の意思だったし、きっかけは姉とはいえそこまで迷惑は掛けられない。
 ──こうして義勇は芸能界に足を踏み入れることとなったのであった。

 最初は右も左も分からない素人もいいところだった義勇も出会った先生がとても良い人だったおかげで徐々に力をつけていった。そこには楽しさややりがいを見つけたうえで積み重ねた並々ならぬ努力もあるのだが、優秀な人材が溢れる周囲を見ていた義勇にはまだまだ自分は及ばないと思わせるにはじゅうぶんであった。
 舞台の端役を中心に少しずつ役を勝ち取っていた義勇にとあるドラマの仕事が舞い込んだ。役柄は主人公の友人という立ち位置で、中盤に少し見せ場があるくらいの脇役だった。
 それでもテレビ放送ということは人の目に触れる機会の多いということで。マネージャーからは頑張れよと肩を叩かれ、義勇の気持ちにも一段と気合が入った。

 評判も上々に終わったそのドラマ放送後のある日、義勇の元に一通のファンレターが届いた。匿名であった為に先に事務所のスタッフが先に中身を確認したらしいそれは既に封が解かれている。随分と熱心なファンができたみたいだよ、とマネージャーが笑っていて、義勇は曖昧に頷きながら受け取ったものだった。
 ファンレターの内容はマネージャーの言うとおりとても熱の籠もった文章が綴られていた。あのドラマを観てファンになったこと、それから舞台をチェックし始めたこと、義勇の演じる姿に元気をもらっていること。「これからも応援しています」で締められていたファンレターは義勇に確かな高揚感を与えた。ひどく心を揺さぶる文章を書くものだなと感心すると同時に、こちらもまた元気をもらってしまったと思った。匿名だったのが惜しい。せめて名前くらいは知りたかったのだけれど。
 しかしそれからも定期的に送られてくるようになり、義勇はこの人物にも報いる為にますます仕事に精を出した。





 さて、義勇本人はSNSをやっていない。スタッフの運用する情報発信用のアカウントはあるものの、全て管理を任せている為に義勇は一切関与していないのだ。
 何故かと言えばSNSどころかそもそもインターネットに疎いからというのが理由であった。普段の義勇を知る事務所の人間からすると、この子に任せるのは少し不安を覚える、というのが満場一致の意見だったのだ。
 だからエゴサーチというものを知るのも遅かった。自身の名前を検索することでファンの意見が見れるらしい。とはいえ忌憚のない意見だから本当に色々ある。だがそれら全て引っ包めてファンの本音。
「義勇は人の意見に左右されるタイプじゃないから見ても大丈夫かもね」
 マネージャーはそう言って、興味があるなら検索してみるのもアリだと義勇の携帯端末を指差した。
 スタジオへの移動時間、その言葉を思い出した義勇は連絡時以外で使うことの少ないスマートフォンを取り出す。教えられてインストールしたアプリを立ち上げ早速自身の名前を入力していく。なんだか小恥ずかしい思いだったが、そんな気持ちはすぐに霧散していった。気軽に感想を書きやすいからだろう、画面上には貰ったファンレター以上の沢山の好意的な感想が並んでおり、つい圧倒されてしまった。もちろん厳しい言葉だって見受けられたけれど、義勇には受けた感動の方が大きかった。
 そんな中一つ気になるアカウントを見つけた。プロフィールには義勇のファンであることが書かれていて、それは確かに呟きを覗いてみれば一目瞭然であった。
 不思議とそのアカウントの人物が書いていた文章に惹かれる。
 ──なんとなく、あのファンレターを送ってくれる人物と同じなのではないかという予感が走った。
 義勇は改めてアカウント名を確認した。その人物は『炭』と名乗っているらしい。『すみ』なのか『たん』なのか。読み方はどちらだろうと考えつつ人となりを探っていく。呟きは義勇への応援や関連書籍などの購入報告だけでなく、ぽつりぽつりと合間に日常のこともあった。どうやら学生のようで友人と一緒に課題を終わらせようと頑張っていたり、何処かへ遊びに出掛けたという今時の子のようなそれらは義勇の目にとても眩く映った。
 思わず口元がゆるみ、慌てて引き締める。まもなくスタジオに到着するのだ。義勇はアプリを閉じようとして逡巡し、しかし今しがた見ていたアカウントのIDをしっかりと記憶してから今度こそスマートフォンの電源を落としたのであった。

「SNSのアカウントを作りたい?」
 翌日、久しぶりのオフだった義勇は幼馴染みの家を訪れていた。
「めずらしー。義勇はそういうの絶対興味ない人だと思ってた」
 姉貴分でもある彼女、真菰はぱちくりと瞳を瞬かせて「どういう風の吹き回し?」とひたすらに疑問を抱いている。
「お前事務所からSNS禁止令出てるんじゃなかったのか」
 不安そうに義勇を見つめるのはもう一人の幼馴染みでこの家の主である錆兎。義勇含めた三人は近所に住んでいたことから仲良くなり、今でもこうして交流があるくらいには長い付き合いだった。それは芸能界に入っても変わらない態度で接してくれる彼らだからこそ、なのかもしれない。
「別に禁止されてるわけじゃない。心配されてるだけで」
「似たようなものだろ。お前天然だから警戒されてんだな」
「義勇ならさらっと爆弾落としてファンをざわつかせるのが容易に想像できちゃうね」
「おい」
 好き勝手宣う幼馴染みたちに義勇は眉間に皺を寄せた。軽い気持ちで相談しただけでこの言われようはなんなのか。
「そもそも、仕事用のアカウントではない」
「……というと?」
「匿名のアカウントがつくりたい。だがやり方がよく分からない」
 義勇の言葉に今度こそ二人は首をひねる。なんでまた急に、と言いたげな顔であった。
 少し迷って、けれど義勇は正直に告げた。
「……少し、気になる奴がいる。アカウントをつくらなければフォローとやらができないんだろう?」
「えっ!? スキャンダルはまずいよ!?」
「そんなんじゃない」
 真菰の慌てた表情にすぐさま否定する。話すつもりはないけれど、これはただあのファンレターを書いた人物か気になって、もし本人ならどうにかお礼が告げられないか考えているだけなのだ。
 こちらとしてもあのファンレターに随分と元気づけらたことを伝えられたら。その一心だった。
 ──そう思う時点でかなり特別な存在になっているというのは、あいにく義勇の心を知る者がおらず誰も指摘できなかった。
「……まあ、匿名ならいいんじゃないか? 真菰、教えてやったらどうだ」
「うう〜ん……。分かったよ。スマホ貸して」
「うん」
 大人しくぽすんと預けてくる姿に、受け取った側の真菰がこういうところなんだよなあ、なんて思っているのも知らず。義勇は教えられるがままふんふんと手順を学んでいく。ものの数分足らずでできたアカウントに義勇はムフフと満足げに笑った。役者としての記憶力を遺憾なく発揮して覚えたIDを入力して早速『炭』をフォローする。
「せっかくなら私もフォローしていい?」
「いいよ」
「じゃあ俺も」
「錆兎もやってたのか?」
「真菰に誘われて、だがな」
 友人二人とも繋がると途端にホーム画面が賑やかになった。
 アイコンは初期仕様から変えろとか、何も呟いていないのは怪しまれてしまうとか。注意点をしっかり叩き込まれた義勇はそれらに気をつけつつ、SNSライフをスタートさせた。

 始めて数日経った頃。アイコンを好物の鮭大根の写真にし、プライベートを察せられない範囲で当たり障りのない呟きも発信していた義勇に、ついにその通知が届いた。
 撮影の休憩中に何気なくスマートフォンをチェックした義勇は『炭』さんがあなたをフォローしましたという文面にびくりと髪を逆立たせた。何かの間違いではないかと狼狽えたが、同時に喜びもあった。
 とにかく挨拶をと、文面を考えるだけで休憩時間をすべて使い切ってしまったが後悔はなかった。
 その後の撮影は自分でも驚く程スムーズに終わり、スタッフに労われながらも頭の中は返事が来ていないかどうかでいっぱいだった。不審がられないギリギリの速さで立ち去り再びアプリを開き通知欄に現れた義勇宛ての文章に打ち震える。ここ数日見ていたけれど、本当に『冨岡義勇』のことが好きで義勇が出演する作品ごとに感想をしたため、事あるごとに焦がれている様子はむず痒くも嬉しい。画面越しでも伝わる真っ直ぐさが義勇の心を揺さぶるのだろうか。
 間違いなくここ最近で一番義勇の脳内を占めている子からの返信に浮かれていた。ただの挨拶、されど挨拶。義勇はそこで初めていいね機能を使ったのだった。
 一度使うと便利さを実感して義勇はついつい『炭』の呟きに対してハートマークをタップしてしまう。そうすると少しずつ向こうから話しかけてくれるようになった。ならばとこちらも反応を返すと、瞬く間に二人は親交を深めていった。『炭』は呟き通り人懐っこい子で、義勇の無愛想にしか見えない返信に対しても気の良いやりとりをしてくれるのだ。

 かなり距離が縮まったのではないかと自覚が芽生え始めた頃だった。深夜にクタクタの身体で自宅に帰り着き、烏の行水で入浴を済ませてベッドに倒れ込む。しかしこれだけは、と閉じそうな瞼を無理やりこじ開けアプリを起動した。視線は今日も変わらず『冨岡義勇』の好きなところを語り、けれど学生らしく平凡な日常を送る様子が垣間見える平和の象徴を捉え、義勇に笑みをもたらしてくれた。みるみるうちに疲れが癒やされていく感覚、穏やかに夢の中へ旅立とうとしていた義勇の目に飛び込んできたのは突然ぽつりと落とされていたひとこと。それを見た瞬間義勇は疲れも忘れて飛び起きていた。
「なっ、会っ……!?」
 会ってみたい、と言われただけで普段クールだと言わしめる超人気俳優も形無しである。今までにない程胸を高鳴らせながら、義勇は『炭』相手にメッセージを送っていた。
 どんな子なのだろうか。義勇を見たときの反応は。想像を膨らませるだけで心が弾んでしまう。
 もはや仕事の疲れなどすっかり忘れて、義勇はゆっくりと眠りについたのだった。

 快い返答を貰った。会う日はこちらの予定に合わせてくれるそうだ。他の者に邪魔されないよう場所も指定させてもらう。その日が近づくにつれ、目に見えて機嫌が良くなる義勇にマネージャーやスタッフたちはどうしたのかと首を傾げていた。
 しかし楽しみと同時に少しの不安も湧き上がり、義勇は当然のように幼馴染みたちに相談の電話をかけていた。
「……というわけで、どうしたらいいと思う」
『……ちょっと待ってくれ』
『義勇、その子のことすっごく好きなんだね』
「え?」
『え?』
『え?』
 複数人で通話できるアプリを使って錆兎と真菰の二人に問うと、錆兎からは深いため息をつかれ、真菰からはふわふわとしながらも意図していなかったことを言われて驚く。素っ頓狂な声を出すと二人からも同じような声が返ってきて、義勇は思わず通話状態を表示する画面を見つめた。
『スキャンダルは駄目だってこの間真菰が忠告していたのに……』
『いやいや。この調子だしどのみち意味なかったと思うよ』
「……なるほど。気がつかなかった……」
『ほら』
『ああ……』
 確かに二人の心配も分かるし有り難いことだった。こんな職業だとどうしても恋人だのなんだのは命取りに成り得る。だがそんなものを気にして手を引ける程義勇の気持ちは浅くなかった。
 まだ顔も合わせたことがないのに不思議だったが、義勇の心は完全にあの子へと向いていた。
「どうしよう、錆兎、真菰。自覚したらさらに緊張してきた」
『男ならしっかりしろ』
『頑張れ〜』
 特にアドバイスがもらえるという訳でもなく、ぼんやりとした励ましの言葉のみしかくれなかった。
 それから通話は切れてしまい、これまで恋愛にはまったく興味を持たずに過ごしてきた人生を振り返った義勇は困り果てた。参考になりそうなものといえば出演した作品からの経験くらいだ。
 義勇はこれまで出演した恋愛作品の台本を引っ張り出してきて読み耽ったのだった。





 約束の日は思いの外撮影時間が伸び、大事な日だというのに遅れる羽目になってしまった。遅刻してしまう旨を連絡すると、気にしなくていいですよ、と優しい言葉が返ってくる。だがそれでも急く気持ちを抑えられずに予約している店に駆け込んだ。
 ──そこで初めて見たその子は、赫灼の髪色と瞳を持ち、特徴的な痣とピアスが目立つ青年であった。
 一瞬見惚れそうになったものの、我に返り初めましての挨拶をする。ハンドルネームの読み方を聞きそびれていたのでとりあえず『すみ』さんと呼ぶと、なんと彼は鼻から血を垂らしてくらりと倒れてしまった。
「っおい!?」
 狼狽した義勇が近寄るも既に意識がないらしく、上着を脱いでそれを枕にそっと寝かせる。体調が悪かったのかと心配する思いからそろりと額に手をあてた。
 その後ティッシュで血を拭ってやったり、じっと観察しているうちに青年は目を覚ました。
 寝惚けているらしくぽけっとした表情で周囲に視線を走らせているのが可愛いと思ってしまった。数秒状況が理解できていなさそうな青年は次第に思考が戻ってくると、見事と言っていい土下座を決めた。曰く失礼すぎて見せる顔がないのだそうだ。別に気になどしなくていいのに。むしろそれ程までに義勇のことが好きなんだと思うと誇らしさすらある。
 それよりも彼の顔が見たい、名前が知りたいと強く思った。SNS上で見せてくれていた気安さで接してほしいのだと。
 だから顔を上げても手のひらで覆ってしまう姿は可愛いけれどすこし恨めしかった。
 せめて名前だけでもと尋ねると、オフ会ならハンドルネームだけでじゅうぶんじゃないですか、と逆に質問を返されてしまった。だが義勇はただのオフ会としてここに来たのではないのだ。そちらだけが一方的に知っているのは不公平だと迫ると、竈門炭治郎だと教えてくれる。炭治郎、と聞いてハンドルネームの由来を知る。読み方は『すみ』ではなく『たん』だったのだ。
 なるほどと納得しながらついに知ることができた青年の名前を噛みしめて何度も呼ぶと、炭治郎は半泣きでやめてくださいと首を振った。心外だった。
 だがきっとこれから何度も呼ぶし呼ばれることになるのだ。慣れてもらわないと困る。義勇は未だ顔を隠し続けているその手を外させ、きゅっと包み込む。握ったその手は己のものに比べてちいさかった。
「炭治郎、俺が今日ここに来たのは他でもない。炭治郎に想いを伝える為だ」
「ずっと炭治郎の言葉に励まされて、元気を貰っていた。好きだ。俺と付き合ってほしい」
「愛おしい。愛している。結婚してほしい。恋人に、」
 とにかくこの想いを伝えたい一心で、思いつくままに言葉を紡いだ。我ながらいつもの口数の少なさをどこへ置いてきたのかと思う程だった。
 義勇の真剣さが伝わったのか、炭治郎の様子がわずかに変化した、気がした。戸惑いの色一色に染まっていた瞳の中に、ほんのりと別の色が滲んだように見える。
 しかしどうにもあと一歩が届かない。炭治郎は「ちがいます」と言って聞かない。ならばと義勇は決意する。
 ──三日、休みを貰ってくる。そしてその三日で炭治郎を落としてみせる。
 そう宣言すると、炭治郎は「ヒエッ……」と悲鳴をあげていた。
 その後はせっかくだからと義勇おすすめの料理をご馳走したのだけれど、炭治郎はずっとうわの空なのであった。





 宣言通り死ぬ気で三日間のオフをもぎ取った義勇は満を持して竈門炭治郎の自宅前を訪れていた。というのも前回、何処かへ出掛けるかと問えば「あなたが街を歩き回れば大騒ぎですよ」と窘められ、じゃあうちに来るかと聞けば「何言ってるんですか超人気俳優のご自宅にお邪魔するなんて畏れ多いことできるわけないでしょう」と真顔で言われ、最終的に炭治郎の家の住所を聞き出せたというわけなのである。
 確かに家ならば人目を気にせず炭治郎を口説くことができるな、とあとから納得した。
 ピンポン、とチャイムを鳴らすとどたんばたんとどうしたのか心配になるくらいの音を響かせてからドアが開いた。そろりと顔を覗かせた青年は相変わらず義勇の目に愛らしく映っている。
「はわわわわ本物だ……」
「? 一ヶ月前に会っただろう」
「いや……あれは夢だったんじゃないかって……」
「おかしな奴だ。……邪魔しても?」
「あのほんと狭いところですみませんっていうかむしろ今の時点でかなり申し訳ないというか、」
「……俺を何だと思ってるんだ」
「日本国宝」
「真顔で即答しないでくれ」
 終始身を硬くして目を合わせない炭治郎に焦れったくなり、おとがいを掬いとった。赫灼の瞳が義勇を映したことで不満は薄れ、ついでに無防備な額に唇を落とした。炭治郎はしっかり十秒硬直し、そのあと支離滅裂な言葉を発していた。
「忘れたか? 俺はお前を口説き落とす為に此処に来たんだぞ」
「ひ、あ、う、いや、でも、」
 許可は貰ったので部屋に上がらせていただく。ここが炭治郎の家だと思うと普通のアパートでも魅力的に見える。他に空き部屋はないのだろうか。こっそり引っ越しも視野に入れておく。
 リビングに足を踏み入れると、一見普通の部屋。が、よくよく見ればテレビ下の棚には義勇の出演作らしきDVDが所狭しと並んでいる。左隣の本棚も同様、雑誌やパンフレットがギチギチに詰められていた。
「ああああの、あんまり、見ないでいただけると……!」
「何故」
「いやだってご本人の前でこんな……はずかしい……」
 普通逆ではないだろうか。まあ今の義勇は羞恥よりも、炭治郎がこんなに義勇のことを追っかけてくれていたことをこの目で見れた嬉しさの方が勝っているからかもしれないけれど。
「と、とりあえずお茶淹れますね! それともコーヒーがいいですか? あ、安物なんですけどね!?」
「じゃあ、お茶で。あと俺は別に高級志向じゃない」
 ガタガタと震えながらキッチンに向かう炭治郎に付け加える。特にこだわりなどない義勇は基本インスタント派だ。そんなに壁を作らないでほしいのに、と思いつつ告げたのだが、肝心の炭治郎は「冨岡義勇が……あの冨岡義勇さんがおれのへやにいる……」と半ば放心状態でこちらの声がきちんと届いているか怪しい。これだと前回の二の舞いになってしまわないか不安になる。義勇のことを好いてくれているのは喜ばしいことだが、義勇とは好きの意味が噛み合っていないうえに倒れさせるなど不本意以外の何ものでもない。
 義勇はどうにか炭治郎の緊張を解せないものかと思案した。
「……炭治郎、」
「ひゃいっ!?」
 お茶を淹れて持ってきてくれた炭治郎を呼ぶと、大袈裟に肩を跳ねさせる。どんな炭治郎も可愛らしいと思うけれど、そろそろ笑顔も見せてほしかった。
「俺の出演作のなかでどれが一番好きなんだ?」
 話題を振ってみると炭治郎は途端に目を輝かせてくる。
「えっ!? えと……それなら、」
 生き生きとしてテレビ下の棚を漁りだす炭治郎。これ、と差し出してきたのはとあるドラマの録画がダビングされたDVDだった。
「俺、このドラマから冨岡さんのことを知ったんです。このときの冨岡さんが演じてた役のセリフに、当時色々あって挫けそうだった俺はとっても勇気づけられて……気がつけば、こんなに好きになってしまっていて……!」
「……、」
 過去を思い出しながら語る炭治郎の表情に義勇の心臓は大きく鼓動を鳴らした。義勇が炭治郎を口説き落としに来ていた筈なのに、改めて惚れ直してしまったのだ。
 炭治郎にとって心の支えになる存在であったのなら義勇がここまで頑張ってきた甲斐があるというもの。知らずのうちに口元を綻ばせて炭治郎を愛おしげに見つめていた。
「あっ! 今の好きっていうのはファンとして、ってことなんですけどね!?」
「そうか、残念だ」
「うぐぐぐぐ……!!」
 目に見えて肩を落とす義勇に、炭治郎は下唇を噛んで唸っていた。強情なやつだと内心目を細めつつどうしたものかと考える。
 義勇は己の恋心には鈍かったが、向けられる好意には多少なりとも敏感であった。この業界には様々な思惑が渦巻いている。その中には義勇に言い寄る者も大勢いて、初めは何が何だか分からなかった。だがあからさまに胸を押し付けられたり危うくホテルに連れ込まれそうになったりとちっとも嬉しくない経験を経て、『そういう目』をしている者たちを見分けられるようになっていった。
 ところが、今までは危機回避能力としてしか活かされなかった勘がここに来て良い方向に役に立ってくれた。炭治郎の目は明らかに義勇を意識しており、義勇の言葉を信じていいのか迷っていたのである。あともう少し押せばいけると踏んでほくそ笑む。押しの弱さには少々心配になるが、これからうんと愛して義勇以外に視線を向けさせなければいいだけの話だ。
「……どうしても俺を恋人にしてくれる気はないのか?」
「えっ!? でも……俺男ですよ? ただの一般人ですし……冨岡さんならいくらでも綺麗な方が相手になってくれるんじゃ……」
「お前がいいんだ」
「そんな、こと……、」
 頬はすっかり紅潮して、それでも炭治郎は義勇を躱す理由を探している。
「……とんでもないスキャンダルですよ」
「本気になったんだから仕方ないだろ」
「なんで俺のことを、」
「炭治郎の言葉に数えきれない程元気づけられた。いつも楽しそうなお前の見ている世界が知りたくなった。……それに、先程の話覚えがある」
「え? 俺貴方に初めて話、…………まさか、ファンからのお手紙の内容全部覚えてらっしゃるんですか?」
 驚愕する炭治郎にまさかと否定する。炭治郎のくれるファンレターがいっとう特別だったのだ。SNSを見てもしやと思っていたことが、確信に変わった瞬間だった。
「初めてくれたあの頃から、ずっと特別だったよ」
 義勇がそっと手を握ると、炭治郎は覚悟するようにこくりと喉仏を上下させた。
「……迷惑、かけちゃうかもしれません、けど……俺のこと、恋人にしてくれます、か?」
 握り返された手から震えが伝わってくる。ようやく聞けた、焦がれた答えに義勇は堪らず手首を引いて自分よりも小柄な身体を引き寄せた。間近で見る赫はきらきらと輝いていて、そこに映るのが義勇だけというのが強い優越感を生んだ。
「勿論だ」
 そう言って触れた唇はやわらかくて、永遠に貪ってやりたい程にあまかったのだった。





「手が早い! 超人気俳優怖い!」
「仕事以外ならお前が初めてなんだが」
「なん、……!? うそ!?」



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