そこには帰らない‐4


 真夜中に屋敷へ到着したイルクシュリは、迷うことなくコリンスの私室や使用人の執務室を捜索した。侍女や執事達からは敵対心剥き出しの視線を頂戴したが、元帥閣下からの指令である以上、完遂する以外に道はない。
 大事にしまわれていた日記や使用人の執務記録を持ち出し、日付と内容を照らし合わせる。
 恐らく、コリンスは最初の遭遇で黒獣の正体を見抜いていた。だからあんな無茶をしたのだろう。護衛の証言や、警備兵から受け取ったリネットの調書内容が、イルクシュリの推理を固めて行く。
 何度も書き損じを塵箱へ放り込み、紙の上で騒ぐ大量の報告文に、矛盾がないか推敲を重ねた。その間にサンザからの依頼と別件の調査も行う。コリンス邸で迎える二回目の朝日が、嫌と言う程目に沁みた。

 結局、ユキトとはロクに会話が出来ていない。色無を使用したと聞いたので、体調に変化がないか確認して、それきりだ。サンザとは会ったがそれも数度で、忙しなく揺れる灰色の髪を、遠くから眺めてばかりいる。
 彼も相当疲弊しているのだろうか。そう思い至った時、肩に微かな重みを感じた。視線は落としたままそっと人差し指を差し出せば、堅い嘴が摺り寄せられ、柔らかい羽毛が頬を掠める。髪色が変わっていようが、賢いこの子は主人と見抜いてくれたようだ。
 もう飼い出して五年になる昼蝙蝠は、小さな体で何処へでも飛んでくれる。足に結ばれた文を解き、代わりに新しい物を巻き付けた。口笛一つと餌の補給で、鳴きもせず再び空へと飛び立つ。

「あー、駄目ネ、俺も仕事しないト」

 勢い良く立ち上がれば腰に鈍痛が走る。十年前は感じたこともなかった、体の芯を抉る感覚に、形容し難い情けなさが込み上げた。肩を回せばまた同じ切なさに襲われ、口角が引きつる。
 散らかった資料を両手で抱え、真っ直ぐ進むのも不自由な姿に、使用人が先回りして扉を開放してくれた。相変わらず歓迎されていない様子だが、質問に答えて貰えるだけ上等だ。
 礼を告げ、昨日の同じ頃訪ねた客室へ向かう。あの不器用な青年は、今どんな顔で夢を見ているのだろうか。





「サンザ、起きてるネ?」

 差し込む陽光を背に、扉を開ける。染めたのか何か被っているのか、どちらでも構わないが、黒髪姿のイルクシュリは朝から満面の笑顔で腹が立った。
 身支度を整えているとは思っていなかったのだろう。両手一杯の書類越しに肩を竦め、「やるコト早いネ」などと呑気にのたまう。

「こちらが私の報告書です。持てますか。持てますね」
「わっ、ちょっ、乗せないでそのままでいいヨ!」

 伸ばした手を掻い潜り、イルクシュリは書類を机の上に広げた。凄まじい量だ。作成した本人が身震いしているのだから間違いない。そこにこちらで纏めた分を追加すると、炎色の瞳から光が消える。

「……まあ、ほぼ予想通りでショ。ユキトちゃんと、あのーーエノウくんだつケ?
 どうしてるノ?」
「さあ。屋敷の中にいるはずですが、詳しいことは」
「ユキトちゃんはともかく、……いいや、先にこっちの話しちゃうネ」

 着席を促されるが、視線だけで拒否しておいた。この男と腰を据えて話してもロクな目に遭わない、嫌と言う程思い知っている。

「見下ろされるととっても威圧感……」

 思わず零れたであろう独り言を責め立てようとしたが、イルクシュリは被せるように二の句を継いだ。

「さてさて、今回の件についてだネ! うん!」

 わざとらしく手を打った後、必要な書類を数枚山から引きずり出す。薄い眼鏡の向こうで忙しなく眼球を動かし、数秒もかけず紙の束に目を通した。どう言う段取りで脳が動いているのか、これで内容を理解し切っているのだから恐ろしい。

「サンザから見て、どうネ? 夫人はやっぱり気付いてたって結論で間違いないなさそうネ?」
「ええ。初日の視察で、同業者が絡んでいるのでは・と的外れな推測を護衛に伝えたのですが、案の定すぐに動いてくれました」
「護衛さんはサンザとエノウくんを襲撃したんだネ」
「夫人からは、私から命令されたと聞かされていたようです。とんだ濡れ衣ですね」

 エノウが追って来ないよう足止めさせるつもりだった。だが、自分と話し込んだままいつまでも一人にならないので、仕方なくそのまま襲撃したと。随分力押しの計画たが、それだけ切羽詰まっていたのだろう。

「誤算だったかナ……伝えるべきじゃなかったカ……」
「黒獣の性質を伝えたのは、恐らく彼女の夫です。こればかりはどうしようもない」

 コリンスは気付いてた。特徴的な見た目のあの黒獣が、息子を食らった個体であることを。そして、未だ息子ーーハイメの意識が、あの化け物の中に根付いていることも、間違いなく。
 第一段階の報告が上がった際、アッシアも疑問を抱いたのだろう。黒獣が、その視界に人の姿を捉えておきながら、何もせず引き返した。殆どの者は黒獣の気紛れだと気にも留めないが、奴等の生態を熟知している者なら、すぐ様別の可能性に辿り着く。

 捕食された者の精神が、黒獣の中に“残る”。条件は未だ特定出来ていないが、人を食らった黒獣が生家や家族の元に向かう事例は、今までにも報告されている。すぐ近くに人がいても、その存在を無視して。
 公表などされていない。そもそも黒獣に直接確かめた訳でもない、ただの偶然かもしれない。だが、コリンスの亡き夫・ルジェーロは、軍に種油を提供する上で一般人より黒獣の知識を得ていた。彼から妻へ、どう言った経緯で伝わったのかはこの際どうでもいい。
 結果、コリンスは一縷の望みに縋った。自分を母と認識出来る黒獣に、幕を下ろして貰う為に、サンザ達を利用したのだ。

「軍へ上がって来た報告書では“黒獣との遭遇は一度だけ”と書かれているけれど、恐らく数回目撃していたんだろうネ。どうするべきか迷っている間に、とうとう黒獣は林の中で暴れだしタ」
「……林で木を損壊させた一件だけ報告し、色霊師を派遣させ、滞在している間に会おうとした。そうすれば黒獣が息子の意識を失っても、すぐ討伐して貰える」

 口にすればする程、苛立ちが募る。
 自分達を何だと思っているのか。家の中に現れた害虫を駆除するのとは訳が違う。未だ全容が解明されていない異形を相手に、命を懸けなければならない。
 軍の者が派遣されておきながら、万が一一般人に被害が出れば、どれだけ糾弾されるか。知らなかったとは言わせない。彼女は、ユキトやエノウよりよっぽど軍の近くにいたのだ。



[ 50/65 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -