燃える月の睨む先‐5


 この一時で確信した。
 サンザ・ニッセンには、人を使う技術がない。
 面と向かって告げれば窒息するまで鼻の穴を嬲られるであろう、遠慮のない結論が、ユキトの中で固まった。
 きっと彼はこれまで一人だったのだ。一人で何でもやろうとして来た。そして、幸か不幸か、実際に上手くやれて来てしまったのだろう。人を遠ざけ、守り、黒獣を倒す。それだけの責務を全うして、それだけが最善だと思って。
 この人が何を思って戦いを生業としたのか、毛程も知らない。だから偉そうな説教など口に出来ない。なので、心の中で思う存分吐き出すことにした。

 これでは駄目だ。
 ただ目的だけを告げ、最短で達成する為の計画を立てたとしても、ここまで高圧的では彼の本心が伝わらない。確かに口を開けば罵倒の連続で瞳に活力はなく人の話などろくに聞かず手も足も暴力方面の意味合いで非常に早い性格破綻者だが。
 サンザは確かに、人を守ろうとした。 ユキトが初めて対峙したあの日、自力で逃げることの出来ない商人達から黒獣を遠ざけ、足手纏いのユキトの手をそれでもと引いた。彼の中には、他人を優先する気概が確かに存在しているのだ。
 鬱陶しそうに前髪を払うサンザに、自然と手が伸びた。黒い服に包まれた腕を思い切り掴む。ユキトの指では、掴む・と言うより、しがみ付いているような物だが。

「ーーで? 私は、何をすればいい?」

 あなたが言ったのでしょう。小難しいことを考えるなと、眼前の出来事だけに集中しろと。なら、お言葉に甘えさせて貰おう。黒獣を林の中で倒し、農園の損傷を最小限に留める。その希望を叶える為に、一体何が必要なのか。
 私頭悪いから、サンザ、考えて。素直に教えを請えば、脳天へ腕が振り下ろされた。ユキトの手を振り解かないままだっから、挟まれた指にも痛みが走る。

「ばっ、ちょっ、叩いても頭良くならないっ!」
「農園から屋敷への最短経路は黒獣から攻撃される恐れがあります。かと言って、この暗闇の中農園を馬で走って迂回すれば、音に黒獣が反応する。夫人、リネットさん、貴女方は馬を引いて農園内の通路のすぐ脇に下がっていて下さい。万が一黒獣がそちらに向かえば、振り向かず真っ直ぐ走るように」

 ああ、だからそんな一気に話したら相手が萎縮する。サンザの背後で、ユキトは思わず頭を抱えた。

「ニッセン様」

 一歩前に出たコリンスを、尖りきった瞳が射抜く。エノウが間に入ろうとするのを、サンザは嫌味ったらしく長い足を差し出し制止した。

「私が、囮になることは出来ませんか」
「奥様!?」
「勇猛果敢で聡明なコリンス夫人なら、そう仰ると思っていましたよ。それでは夫人、無礼を承知で私の見解を申し上げます。ーー今更遅い、もう全部食われたに決まってるだろうが!」

 阻む足を払い、今度こそエノウがコリンスを背に庇った。ユキトも咄嗟にサンザを諌めようとしたが、月影の中揺らぐ瞳に気付き喉が塞がる。
 普段の眠たげな物でも、苛立ちにix上がった物でもない。涙を堪えているのかと疑ってしまう程、美しさよりも硝子細工のような儚さが際立つ、頼りのない双眸だった。
 とっさに名を呼ぶ。引き攣った喉からは、上擦った小声しか出て来なかった。
 エノウの影に隠れ、コリンスがどんな顔をしているのか分からない。それでも、何の反論もない辺り、怒号の真意を理解したのだろうか。エノウが乱暴に頭を掻き毟り、サンザに詰め寄った。

「分かった、もう分かったから、とにかく指示をくれ! 間違ってるんやったら間違ってる、無理やったら無理、それだけでえぇ! 時間がないんやろ!? 夫人とリネットさんは馬を引いて避難、それで、俺はどうしたらえぇんや!?」

 黒獣に抗う術を持つサンザより、持たないエノウの方が冷静に見えた。確かにコリンスの申し出は無謀に思えたが、それだけで激昂するなんてサンザらしくない。
 エノウの気迫をどう捉えたのか。サンザは若干落ち着きを取り戻したように見えた。冷え切った表情を貼り付け、聞き慣れた声で命令する。

「貴方は、それなりに腕に覚えがあるようですからーー夫人達を退避させた後、通路とこの林道の中間辺りで警戒しておいて下さい。異変があればすぐ夫人達へ報告出来るように」
「分かった。万が一の退避以外、馬は使わん方がえぇな?」
「ええ。自分の判断でここまで出しゃばって来たのですから、自分の身は自分で何とかして下さいね」

 何故頼まれてもいないのに余計な一言を提供する。エノウも明らかに表情を曇らせたが、言い争うことはせず、地団駄を踏みそうになっているユキトの腕を引いた。

「ほなユキトちゃんは、夫人等と一緒に通路まで」

 ーー逃げて。そう言おうとしたのだろうか。衣擦れの音に掻き消され、エノウの声を最後まで聞くことは出来なかった。

「結構です。これは、私が」

 後ろから喉元に腕を回され、そのまま思い切り引き寄せられる。力加減と言う物を知らないのだろうか。息苦しさと強かに打ち付けた後頭部の痛みで、思わず顔が歪む。

「は? え? 私が、って、何?」
「ですからーーああ、そうです。囮にはこれを使います」
「はぁ!?」

 エノウの表情が、困惑から驚愕へと様変わりする。つられてユキトも「そうなの!?」と叫んでしまったが、腕で喉を圧迫されそれ以上の発言を阻止された。サンザは腕の中にユキトを閉じ込めたまま、平然としている。

「待て、夫人がアカンのに何でユキトちゃんやったらえぇねん! 危険過ぎるやろ!」
「指示をくれ、と言ったのはそちらですが?」
「ペネループさんは……武術の心得がおありなのですか?」
「いえ、これには全く」
「ではっ、やはり私がーー!」

 走れ。コリンスの申し出を遮るように、サンザが叫んだ。真っ先に反応したのはエノウで、コリンスとリネットを庇う後ろ姿が、舞い上がる粉塵の向こうに見えた。とっさの判断にしては的確過ぎる。彼は一体、何者なのだろう。
 倒れて来た大木によって林道が塞がれ、再び動き始めた黒獣が、林の中から身を乗り出した。

「ユキトちゃん! サンザ!」

 エノウの声が、大木と折り重なった枝葉の向こうで響く。サンザは返答もせず、ユキトから手を離すと即座に宙を舞った。

「引っ込んでろ!」

 大木の枝を踏み台に、黒獣の眼前へと踊り出し、空中で作り上げた赤い鎌を叩き込む。一連の流れがあまりに美しく、ユキトは思わず溜め息を漏らした。やっぱり、強い。だから、ずっと一人で良かった。
 それでも今は一緒にいなければならない。自分はその為にシャーディに来た。どれだけ恐ろしくても、サンザから離れる訳にはいかない。

「ーーエノウ! サンザは強いから、大丈夫! とにかく逃げて! 大丈夫だから!」

 もちろん、快く了承してくれるはずもないだろう。それでもサンザと同じように、ユキトもこの場を離れなければならない。一歩踏み出す直前、巨木が衝撃音と共に振動し、思わず足を止めた。

「サンザぁ! 私が、って、あれ、私が守るって意味よな!? そう言うことにするで! 絶対怪我さすなよ、この、ーーアホ!!」

 あまりに子供染みた悪態は、あの朗らかなエノウが発した物とは思えなかった。だが、それだけ自分達を心配しているのだと思えば、不謹慎だが頬が緩む。
 大丈夫。届くはずもない音量で呟き、ユキトは今度こそ黒獣に向かって走り出した。



[ 43/65 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -