燃える月の睨む先‐4


 サンザは構えたナイフを握り直し、正面を見据えた。馬が二頭、人も二人。闇の中こちらへ真っ直ぐ向かって来る二人にこそ、この刃物の切っ先を叩き込んでやりたかった。

「足手纏いばかり……」

 思うように動けないじれったさが、サンザの中で暴れ回る。黒獣はより大きな音のする方へ移動していた。先を走るリネットの頭上に影が落ちると同時、耳障りな数種類の声が林道でぶつかり合う。
 コリンスが名を呼び、ユキトが危険だと叫ぶ。もう一人、唯一具体的な命令を発したのは、相変わらず闇に弾かれた金色だった。

「リネットさん、右に走って!」

 馬の動きを横目で追いながら、エノウは揺れる馬上から矢を放った。二人の間へ鋭い爪が降り下ろされ、リネットが短い悲鳴を上げる。エノウは屈めた身を元に戻し、二本目の矢を爪の付け根へ射ち込んだ。
 黒獣を追い越し、リネットが三人の元へ辿り着いた直後、不可視の空間から黒獣が姿を現した。
 月を、夜空を貫くような巨体が、絶叫と共に空気を揺らす。頭(こうべ)を垂らしながら進むその姿には、どの生物の名も当てはまらない。ただただ不快な唸り声を発し、歪んだ口元を上下させるだけ。エノウが放った矢は、かろうじて首らしき部分を抉っていたが、すぐに地面へと落下した。

「ーー下手くそ! 打つなら目を狙え!」
「あほんだらっ、狙ったけどこれが精一杯や! そもそもこいつの目何処にあんねん!」

 馬を捨て、元来た道を走らせると、エノウは単身黒獣の眼下を駆け抜けた。

「エノウっ、危ない!」

 サンザは上着から小瓶を取り出すと、そこに満ちた液体をナイフに振り掛け、間髪入れず黒獣へと投擲した。闇を裂いた赤い刃先が、垂れ下がった肉の向こうの、柔らかい眼球を直撃する。
 黒獣が腕を振り上げ絶叫した隙に、エノウもサンザ達と合流する。だが彼を迎えたのは、安堵の声でなく、逞しい腕が繰り出す容赦ない一撃だった。

「ごあっ! 何すんねん!!」
「黒獣のすぐ側を生身で走る馬鹿がいますか。馬と一緒に引き返せば良かった物を。どうしてこうも私の負担ばかり増やすんですか? どいつもこいつも、黒獣を猪か何かと思っているのですか? 自分一人が頑張れば最悪何とかなると思っているのですか? 勘違いも甚だしい、まだ獣の方が従順で賢いですよ」

 罵詈雑言、全て無意識だった。流れるように不満が口を付き、呆然とするエノウにもう一撃お見舞いしてやりたくなるのを必死で抑え、サンザは背後へ目をやった。

「奥様、お怪我は御座いませんか!?」
「何故ここへ来たのですか、あなた、屋敷に……」
「お願いです、どうか、馬鹿な真似はーー」

 コリンスに寄りかかり、リネットは声も身体も震わせた。何の茶番だ。唾でも吐き捨てそうになるくらい、今サンザの心は荒んでいる。隣で奇妙な男が奇妙な方言で何か叫んでいるが、とんと頭に入って来ない。
 喚く一般人達の心情などどうでもいい。理由は後から付いて来る。今は、目の前の脅威を、最小の犠牲で駆逐しなければ。

「私の言うコトを黙って聞きなさい」

 二本目のナイフを取り出すと、サンザは凶悪な目付きで四人をねめつけた。言葉にせずとも、その苛立ちと怒りは伝わっているのだろう。普段あれだけ騒がしいユキトも、固唾を飲んで次の言葉を待っている。

「これから黒獣を討伐します。コリンス夫人、貴女に話を伺うのは後回しにしましょう。私の希望としては、黒獣をあの林の中で仕留めたい。林道を渡って、農園に向かう事態は極力避けたい」
「ちょっと待って、林の中でって、あそこは木がたくさんあって視界が、」
「黙って聞けと言ったはずですが」

 眼力に殺傷能力が宿るはずもないのに、エノウがユキトを庇うように、サンザの前に立ちはだかった。
 呼んでもいないのにしゃしゃり出て来た身で、何を偉そうにしているのか。何もかもが神経を逆撫でするようで、疎ましさが募って行く。

「言い方ってもんがあるやろ」
「選んでいる時間はない。いいですか、黒獣が撒き散らかした液体は、新たな異形を生み出す可能性がある。その被害が農園に及んで御覧なさい。農園の、種油の木々ごと焼却処分されます。現在シャーディからの流通も滞っていると言うのに、種油の木まで減れば、今後黒獣討伐にどれ程の悪影響が出るか。分からない訳ではないでしょう」

 エノウが奥歯を噛み締めたのが、ありありと確認出来る。そうだ、そうやって押し黙っていろ。余計な言葉は口にするな。一瞬の妨げが取り返しの付かない事態を引き起こすのだと、懇切丁寧に説明してやる義理はない。
 ただでさえ黒獣の出現で種油の運輸に影響が出ているのだ、これで農園まで処分対象となれば、他の地域での討伐にも打撃を与える。
 その事実だけ、理解させればいい。

「……予想外に肥大しているな……」

 黒獣は、何度も何度も咆哮した。今はサンザの放ったナイフ、そこから侵入した「彩水」が動きを抑えているが、あの程度の量ではもう保たないだろう。
 黒獣から、背後の農園、コリンス、リネット、エノウ。そして、最後にユキトを一瞥する。
 役割を与えなければ。この無駄に行動力のある面々に、直接的な命令を下さなければ。制限を設けろ。これ以上、好き勝手に動き回られては堪らない。
 風に靡いた前髪が頬を打つ。慣れた感触すら腹立たしく、払い除けようとした瞬間、白い腕がそれを遮った。
 サンザの褐色の肌に映える、透き通るような、白。
 見下ろせば、今度は全てを一緒くたに飲み込む深い黒が、じっとサンザを射抜いていた。

「ーーで? 私は、何をすればいい?」




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