彼等の色‐1



 神様。神様、神様――
 世の人々は、皆貴方を捨てました。
 白銀の将軍が、被る血の代償に、全ての敬愛と忠義を担って行ったのです。
 神よ、それは教えに背く行為ですか。
  ならば何故、貴方は救って下さらなかった。貴方は、何処で何をしていらっしゃった。
 人々の悲鳴など、幾千も紡がれた歴史の一部と見れば、取るに足らぬ些事だったのですか。

 私はあの日声を張り上げた。
 骨が潰れても構わないと、ひたすらに絶叫した。冷たくなって行く愛しさの証明に、何度別れを告げても涙が止まらなかったのです。
 灯りに集まる虫達の羽音。私の咆哮も、その程度だったのでしょう。神にとっては。

「どうして、どうし、て……」

 救いに見合う代償の果てが見えぬなら。
 神よ、私は貴方を見限ります。






 クジェス共和国首都、ヘレブエス。
 国中から人や物が集まるこの地は、日が昇る限り賑わいを損なわない。
 高台に聳え立つヘレブエス城を取り囲む城下町には、常に商売人の威勢の良い声が飛び交っている。
 花を売る者、服を売る者、食べ物を売る者、己の芸を売る者。様々な境遇の人々が、何の法則性にも捕らわれず思い思いに汗を流す。旅慣れぬ者が不用意に歩き回れば、すぐ様その巧みな話術の餌食となるだろう。
 少々強引――いや、勢いのある服売りに捕まった女性を尻目に、整った顔立ちの青年はやんわりと装飾品の勧めを断った。

「よっ、色男がこんな朝っぱらからお出掛けかい?」

 突如差し出された逞しい腕に、青年は足を止める。客引きであれば立ち止まらず適当に話を流すべきなのだが、青年は相手の顔を確認すると、人々の流れから外れパン屋の軒下へ移動した。
 通行を妨げた張本人である店主からは、その体格に似合わない甘く香ばしいパンの香りが漂っている。

「そちらこそ、色男が朝からパンの仕込みですか?」

 肩まで伸びた淡い金髪が朝日の下で煌めき、鮮やかな黄緑色の瞳は機嫌良さそうに細められていた。
形の良い唇を動かし青年が微笑えめば、隣の花屋で商品を並べていた少女が恥ずかしげに頬を染め、いそいそと物陰へ隠れてしまう。
 粉に紛れた帽子を取りながらパン屋の店主は深く嘆息した。

「嫌味な野郎だな、笑顔一つで女落とすような奴が言うか」
「嫌やなぁそんなつもりありませんて」
「全く……で、あれだ、もう移動すんのか?」

 店主の問い掛けに青年は苦笑する。笑顔は物言わぬ肯定であり、店主も理解したのか「またお前は黙って……」と呟きそれ以上は追求して来なかった。
 そして口元に蓄えた髭を二・三度指で擦り、店先に並べた包みをむんずと鷲掴む。

「餞別だ、持って行きな」

 青年が纏う淡い緑のコート、その裾近くに備え付けられたポケットへ、店主は包みをねじ込み始めた。これには飄々としていた青年も目を剥き、急いでコートを引っ張り上げようとする。

「えっ! いやあきませんて、この前も貰ったばっかりやし、」
「こう言うの貰った時は若者らしく「ありがとう御座います頂きます!」って食い付いときゃいいんだよ!」

 抵抗すれど時既に遅し。
 店主は包みから素早く手を離すと、鼻息荒く誇らしげに腕組みしてしまった。ねじ込まれる際何やらぐちゃりと不快な音がした気もする、が、聞かなかったことにしよう。
 青年は溜め息に乗せ「ありがとう御座います」と吐き出した。短い言葉に諦めと感謝をたっぷり含ませれば、店主の満足そうな笑みが返って来る。

「また来た時はこっちに顔見せろよ」
「もちろん。ソフィアちゃんにもよろしく言うといて下さい」

 別れの挨拶を済ませ歩き出そうとすれば、花屋の少女が俯きながら行く手を遮り、その耳と同じくらい赤く色付いた花を差し出した。
 風を受けた花弁と共に少女の指が震える。真っ直ぐ向けられた純粋で清廉な好意に、青年の頬は自然と緩む。
 青年は少女の頭を優しく撫で、自分とよく似たブロンドの髪に口付けた。途端薔薇のように赤らんだ頬が視界の端でチラつき、また笑顔が零れる。

「お前っ、ガキにまで手ぇ出すな!!」
「アホ言わんといて下さいー挨拶ですー」

 未だ顔を上げないままの少女を追い越し、人混みへと再び飛び込む。
 老若男女誰の者か分からない声に聴覚を支配され、それでもその喧しさに何処か安堵しつつ歩を進めた。
 次の目的地は何度も通い主人とも気心が知れている。今回みたいな成金の相手より、よっぽど気楽に仕事が出来るはずだ。思わず漏れ出した鼻歌すら、喧騒の中へと溶け込んで行く。

「おいっ! 次はどこ行くんだ!?」

 背後から届いた声を受け、青年は踊るように身を反転させた。
 その顔には、少女に見せた甘い物ではない、少年のように無邪気な笑顔が浮かんでいる。肩をぶつけた数人の通行人に睨まれながらも、離れてしまった店主に向かい声を張り上げる。

「シャーディです!」

 油でも買うのか、店主のそんな問い掛けは、留まらない人の波にかき消された。






「ぎゃあああああ変質者―――!!!」

 大凡女性の物とは思えない野太い奇声が部屋にこだまし、その後男性にしては甲高い悲鳴が響いた。
ありふれた格安宿の一室。狭く質素な室内に、首都の市場に勝るとも劣らない騒がしさが充満して行く。

「いや――!! ちょっ、待っテ!!」
「いい度胸してんじゃない窓から颯爽と登場なんて怪盗気取ってんの!? ほらもう一発――」
「止めて――落ちちゃうかラぁぁぁ!! ねぇサンザっ、ボーッとしてないで何とか言ってヨ!!」

 交わらない会話の押収。どちらの声も所々ひっくり返り、何処からそんなに下品な声が出るのかと呆れれば米神まで引きつって来た。
 出来ればこのまま無視し続けたいが、真横で馬鹿騒ぎを続けられて平気でいられる程大人でもない。
 サイドテーブルを担ぎ上げ今にも放り投げんとするユキトの向こうで、イルクシュリが必死の形相で窓枠にしがみ付いている。両腕以外、体の全ては窓の向こう側だ。
 つまり、もう一発サイドテーブルでも何でも叩き付けられれば、間違いなく二階の窓から地面まで真っ逆様になる。サンザは呼んでいた本から視線を外さず、抑揚のない声でサラリと告げた。

「……腕を狙ってしっかり投げなさい」
「えええそんなサンザの裏切り者っ、」

 イルクシュリの絶叫と、ユキトの怒声と、サイドテーブルの破壊される音が、高く澄んだ青空に響いた。






 アッシアの指示を受け、四日前この隣町へと辿り着いた。
 初めての野宿と終日の移動で疲れ果ててしまい、宿へ入った日は一日中眠りこけ、それから一歩も外へ出ていない。
 三日――三日間だ。
 勉学・静止を何よりの苦行だと認識しているユキトにとって、正に拷問と言っても良い日々だった。身を隠す為カトンを出たのだから、当然と言えば当然の対応だが。
 同行する人間は話し掛けてもロクな返答をして来ないし、諦めず纏わり付けば容赦なく攻撃されるし、偶に話が続いたかと思えば色霊の勉強が始まり今度はこちらの集中力が保たない。

 そうして鬱憤が最高潮に達し、もう窓から逃げ出してやろうかと思っていた矢先にこの騒ぎだ。
いきなり窓から侵入して来た見知らぬ男。物を投げつけ後少しで撃退出来ると言った所で、呑気に読書するサンザからそれはイルクシュリだと告げられた。

「何っですぐイリさんだって言わないのよ!! 危うく殺しかけたじゃない!!」
「あまりに必死の形相でしたので。邪魔するのも忍びないかと」
「ハァァいっつも人の都合なんてお構いなしな癖に!?」
「ちょっ、ちょっとゴメン、お水下さいお水……」
「うああゴメンなさいイリさんっ!」

 ベッドに突っ伏すイルクシュリへ、ユキトはグラスに満ちた水を差し出した。震える手で一気に煽るイルクシュリの姿は随分と痛々しい。
 騒ぎを大きくした張本人であるサンザは、未だ椅子から立ち上がりもせず人事のように頬杖を付いている。その後頭部を蹴り飛ばしたかったが、まずはイルクシュリへの謝罪だ。
 ユキトはイルクシュリの正面へと移動し、深々と頭を下げた。

「えっ、いいヨいいヨ謝らなくテ! いきなり窓から入った俺も悪いんだしネ!」
「いやもう気持ちに折り合いつかないから謝らせてほんとゴメンナサイ! ぜっ、全然っ、イリさんだってわかんなくって……」

 頭を上げず、眼球だけでイルクシュリを見やる。
橙色を帯びた茶色の髪は、四日前の時と打って変わり真っ直ぐ首元へと流されていた。



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