第十話「それでも。‐5」




「いいの? フェルディオくん。僕に見せる最後の姿かもしれないのに、そんな土下座もどきのみっともないポーズしてていいの?」

 ーー彼、ーーは。ジャンは、それを求められた。不自然さを、誰からともなく。そうして、恐ろしい程隙のない笑顔が染み込んで行ったのだろう。

「嫌いじゃ、ないんですよね。無様なの」

 求められている物が違う。朝焼けでの確信が胸中を満たした。この人の枷を取り払う役目は、フェルディオに与えられてはいない。
 先程よりずっと近くなったジャンの顔に、また笑みが貼り付いた。それは自然な不自然さの含まれた、人間らしい、無様な笑い方。やっと、やっと、自分で選び、飛び込む無謀を手に出来た。それでも今のフェルディオに、ジャンを揺さぶる手段は手に入っていない。

「うん、好きだよ」

 ジャンは膝を付き、上体を前へ倒すと、フェルディオの前髪に額をそっと近付けた。息も、まつ毛も届くくらいの距離で、唇の動く様に視覚が奪われる。
 紡がれた言葉は、とりとめもなく。 告白された薄暗い内容を、「それでも自分で選んだんだ」と、ジャンは言い訳することなく締めくくった。

「帰って来たら、話しようね。君もきっと話したいコトがたくさん増えてるだろうから。ね」

 さっきまで「これが最後かも」などと言っておいて、今度は未来の希望の話。こうやって、どうにもならない現実を、どれだけ嘯いて来たのか。後、ほんの少しの時間を置いて空と陸に別れた時。この希望の話は、支えとなるのか虚しさとなるのか。
 不安を静かに飲み込み、いつものように、無様に笑って見せた。







 どうして? と聞いて、答えの返って来ることが、どれだけ恵まれていたか。
 蝕む悪夢の元凶は、いつでも理不尽の中にある。







 最初に接触を開始したのが、ヴィオビディナ側だったか、エラント側だったか、はたまたIAFLYS側だったか。今となっては思い至るにも一苦労する。少なくとも、一年二年の悲願でないのは、確かなのだけれど。
 曇天を仰げば、感傷に浸れ浸れと、奥底の記憶が湧いて来た。
 捧げた物は、大抵他人の人生だ。
 一枚岩となり切れないヴィオビディナ、エラント双方だが、勝手に瓦解する日を待つ余裕などなかった。意図して内側に毒を仕込み、黙して待つのではなく、自ら針を突き立てなければ。
 ある者は友情を裏切った。
 ある者は親から傷を受け、ある者は我が子の人生に烙印を押した。
 温かな一握りの平穏を望んだ者程、逃れようのない深みに引きずり込まれた。
 止めてしまいたかっただろう。それでも、それでもと、進んで来た彼等は、源に何を抱え堪え忍んでいるのか。

 父を見上げていた幼子の、実直な瞳が思い起こされる。こうして一人、静寂を共に、ただ待つ身でいることの侘びしさは、何度味わっても慣れることがない。
 ヴィオビディナとエラント。世界平和の敵に、鉄槌を下す。いざ目的を明確にしてみると、その単純さに目が眩んだ。そしてふと考える。
 ーー果たしてこの大義に、多くの無垢を傷付けるだけの価値が、あったのだろうかと。
 人となりを知り、存在の実感がある人間より。顔も見えない見知らぬ誰かの、平和を守った。讃えられても、愛されはしない。「情より利益を取った」と、後ろ指を指される方が、盲目的に賞賛されるよりは健全な世界なのだろう。

「お時間です」

 思い出の残る姿を、鏡の中に見る。父から継いだ物と、個人として培って来た物が混在した面差しだ。

「準備は?」
「全て滞りなく。軍部の動きも間違いないようです」

 視察団がヴィオビディナに入国するまで、後一日足らず。表向きはまず外交担当との顔合わせが行われることになっている。ーーあくまで、表向きは。

「では私も出ます。後はお任せしました」
「ーー“あなた”の、」

 “彼”が自発的に発言するのを、初めて聞いた。“彼”もまた、ヴィオビディナの人間だ。軍部に弾圧され、人とは思えぬ扱いの中生き抜いて来たと聞く。
 危険な場所では矢面に立ち、周りが褒めそやされる時こそ影となり、この日の為によく働いてくれた。

「あなたの尽力に、気付くこともない国民が大半です。それでもーー」
「それでも、です」

 口ごもる彼より先に発言する。
 これは、切り傷でも、穴の開いた痛みでもなく。擦り切れたように、ひりひりと。まとわり付く割に治療する程でもないと、見過ごされる痛みの断片。周りからも。ともすれば、自分自身からも。

「私の中にはそれしかなかった。己の為に尽くしただけの結果です。国民に知られず終わる方が、有り難い」

 ーーそれでも。
 それでも、それでもと。引きずって歩いて来れたのは。

「ご武運を」




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