第十話「それでも。‐4」



 チータの進む先に、不機嫌な顔があった。ベンチに深く腰掛け、小さくも分厚い本を淡々とめくる、緑髪の青年。座っていてもその大きな体が目立つ、第二分隊副隊長ユージーン・ホワイトリーだ。
 先日から何かと隊内を騒がせている問題児は、足を止めたチータに気付いたらしい。深緑の気怠げな双眸を本へ向けたまま、浅く嘆息した。

「何?」
「え? ああ、いえ……失礼しました。お顔の傷が、少し」
「そんな目立つ? 隊長の鼻っ柱よりはマシだし。気にし過ぎじゃない」

 一見不遜に見える態度だが、これが普段通りのユージーンだ。むしろ、読書中だと言うのに声を掛けて来る辺り、まだ機嫌がいい方なのかもしれない。

「そう言えば、チータ、上担当になったの?」
「はい」
「地上配備じゃなくていいんだ。弟のコト、近くで守れた方が安心でしょ」
「ジャックファルはジャンに任せています。わざわざ抗議してまで、配置転換しようとは、」
「ふーん。嘘吐きだね」

 別段感情を滲ませたつもりはなかったのだが、ユージーンは奥底を見抜いたのだろうか。それとも単に鎌をかけられたのか。
 頬のガーゼを指でつつき、ユージーンの視線はやっとチータへと向けられる。

「地上配備で逃げ回るより、上担当の方が、エラント直接やれるからね。チータ、あんた今わっるい顔してるよ」

 じくりと、胸に突き立てられていた棘の毒が、傷口へと溶け出した。

「……ユージーンさんも、人のこと言えない顔をされていますよ。面倒事は避ける主義でしょう、何故より危険な地上配備へ志願を?」

 返答もないまま、ユージーンの目線は本へと戻る。だが、決して無視された訳ではないのだと、しっかり吊り上がった口角を見て察した。

「理由? ーー簡単。嫌がらせ」

 不自然に清々しいその笑顔が。彼が今正に、嫌がらせを仕掛けている「あの隊長」にそっくりだと。思うだけで口にしなかったのは、我ながら英断だったと思う。
 ユージーンの影を通り越して更に向こう、待機中の戦闘機が横たわっていた。殴り付けられた左の頬が、翼の下で談笑するジャックファルの姿を見つけた途端、しくしくと痛み出す。

「俺他人相手でも気にしないからさ、よく分かんないんだけど。兄弟同士でそこまで遠慮し合うのってなんで?」

 遠慮。そうだ。チータの顔には、ユージーンと違い、傷跡はほとんど残っていない。ジャックファルーー弟が手加減したことぐらい、とっくに気付いていた。

「……私は、遠慮なんてしていませんよ」

 ジャックファルとアーヴァインが、揃って振り向いた。歩を進め、距離を詰め始めれば、やっとこちらの存在に気付いたらしい。背後でユージーンの立ち上がる気配がした。アーヴァインはジャックファルの背を叩くと、方向転換しその場から去って行く。

「ジャックファル」

 昔は名を呼べば、喜色満面の返事が当たり前だった。
 ジャックファルも、ハンナも。呼べば、答えてくれた。

「どした、兄貴」
「私も後から飛ぶ。お前も、任務を全うして来い」

 少しだけ瞠目して、笑う。
 あれだけ激情にかられたようでいて、実際は恐ろしいくらい周りをよく見ている。昔はもっと素直にわがままを言っていたのに。そんな弟の真っ直ぐさを削いだのは、他でもない自分の、復讐に捕らわれた生き方だ。

「ーーチータも。自分のやりてぇコト、やって来いよ」

 なのに?
 だから? 諦められるのか? この燻る炎を、「復讐の連鎖を断ち切る為に」「次の世代の為に」と消してしまうのか。どうして知りもしないまだ産まれてもいない命の為に産まれて来たのに奪われた友の命を忘れなければならないのだ。
 下らない。吐き気がする。
 この身にある物全て、自分が培って来た物。薄暗い復讐心も、血の滲む感情も。どこかの誰かの為に捨ててやる義理など、微塵もない。







「みっともないねぇ」

 優しい声色と辛辣な発言の落差には、まだまだ慣れそうにない。
 新鮮な空気を取り込みたいのに、渇き切った気道は、通る物全てから新鮮さを奪ってしまう。フェルディオは纏わりつく熱気に喘ぎながら、何とかジャンを見上げた。それでも肘と膝は、滑走路に貼り付いたままだ。

「何て言われた?」
「へ、下手くそ、って……」
「だっろうねー。分隊長相手に模擬空戦やったらそりゃそうなるよ」

 格上との模擬空戦後は、いつもこうだ。
 全身が空へ置いてきぼりにされたようで、フワフワと落ち着かず、平常に戻ったはずの重力が何とも煩わしい。

「ジャ、ジャン、さ……」
「なに?」
「俺、聞いーーっ、聞きました、アルベルトさんとの、会話、多分、聞いちゃいけない部分から、」
「会話ー? 何のことぉ?」
「あのっ、鷲掴みにされてて、俺っ、がっ、止めに入っ、」
「……うん、ゴメン。分かってるよ」

 炎天下、遮る物のない日面に晒され、うなじが熱で焦げ付いて行く。

「聞いちゃいけない部分なんてなかったよ。だから気にしないで」

 火照った首筋に落ちる、温度のない声。
 そろりと顎と上げれば、見慣れた笑顔が変わらず見下ろしていて、目頭が熱くなる。ジャンはフェルディオの前でしゃがみ込むと、明日敵国へ旅立つとは思えない、「何でもないような」態度を貫いた。

「どうせ、もうすぐ終わるんだし」

 アルベルトと言い争っていた時、ジャンの声音は確かに揺らぎを持っていた。水面も、炎も、揺らいでいる姿こそが自然だと言うのに。




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