第八話「譲渡多難‐1」


 暗闇の中、黒い上着に覆われた後ろ姿が振り返る。途端、青緑の髪が照らし出された。基地内の施設から漏れる光は、夜半だと言うのに下品な程爛々と輝いている。
 とっさに立ち止まってしまったが、染み入る声で名を呼ばれれば、引き寄せられるように足が動いた。

「ジャンさんも今戻られたんですね」
「はい。聞きましたよ、窃盗犯まとめて捕まえたんですって?」

 上品そうな壮年の男性は、否定もせず何処か照れ臭そうに頬を掻いた。やっぱり。思わず零せば「やっちゃいました」と肩を竦められる。
 聞けば相手は若い破落戸の集団で、財布や携帯端末を捲き上げるのが常套手段だったと。
 ああ、確かに。この中肉中背で品の良い男性は格好の標的だ。何も知らず、読み取る手段も持たない不良崩れならそう思うだろう。

「特殊部隊の隊長からカツアゲしようなんて。とんだ武勇伝ですね」
「元、ですよ。私みたいな年寄りが昔の栄光を語ると、若い人に嫌われちゃいます」

 眼鏡の向こうで慈愛に満ちた瞳がしなる。人差し指を唇に押し当てられ、子供のように制されれば、伝え聞いた武勇伝との差異に思わず噴き出した。
 破落戸達を気の毒と憐れむべきか、自業自得だと笑うべきか。並んで基地へ向かいながらふと思案すれば、また青緑の瞳を細めながら、ーー元特殊部隊隊長、ルーカス・シュトラウスが顔を覗き込んで来る。

「落ち着かない出来事ばかりだと言うのに……どうせ裏方で働くなら、もっと有意義な結果を得たい物ですねぇ、お互い」

 「労って貰えます?」今度は子供のように懇願され、「お疲れ様です」と自分なりの労りを返せば、ルーカスは満足そうに頷いた。
 お互い、だ。ルーカスも、自分も、またそれぞれの職務を全うしに行く。誰に認められなくても。誰に、願われなくても。
 ヨニはしっかり外してくれたと言うのに、パイプ椅子とすれ違った左半身が、じんと熱を帯びた。






 考えろ、考えろ。
 ほんの数週間前から、この短い言葉を何度繰り返しただろう。
 降り注ぐ少し熱めの湯が、雑念を連れ流れて行くのだと、フェルディオは狭いシャワールームで思い込みに縋った。

(理由もなく選出される訳がない。ジャックをヴィオビディナに送りたい何かがあるんだ、きっと……)

 異例には、必ず理由がある。その理由は、大抵一般との差異に埋もれている。ジャックファルが逸脱したレール。そのきっかけ、彼の言動で平生から逸れていた物。
 フェルディオは欠陥なのだと、その結論をジャンへ伝えたのだと。ジャックファルは確実に告げたのだ。
 ジャンは未だ戻らない。本部へ出張中だと聞くが、目的はアルベルトに尋ねてもあやふやだった。この身の欠陥を、異質を、意識し表に出した二人が。何処か遠くへ、とんでもない質量の思惑によって押し流されて行くようで。
 長く湯に晒されたせいでふやけた指先を、重たくなった毛先に絡ませる。そうして意味もない動作を幾つか繰り返してから、ようやくシャワーを止めた。

「落ち着け、絶対はない、そもそも人員を選出したのはどっちだ、軍側かヴィオビディナ側かによって全く変わってくる、今の仮定は軍側だって断定して……」
「ナメクジか、お前は」

 顔を上げ、声の出所を探り、真正面に立つビセンテを見つけ。促されるまま振り向けば、フェルディオの辿って来た進路が、点在する水滴によってありありと示されていた。
 成る程、だからナメクジか。上手いことを言う。

「ばー……ご、ゴメ、あー……」

 うなだれる勢いのまましゃがみ込み、首にかけていたタオルを手にした。手に触れた髪は、シャワーを浴びていた最中と大差ないくらい湿っている。そう言えば、首より上を拭いた記憶がない。

「待て。それで拭いて、その濡れくさった髪はどうする」

 当然の指摘に、言い返す言葉もなかった。ーー使え、吐き捨てられた言葉と一緒に、乾いたタオルが頭に落ちる。仰ぎ見れば、ビセンテは手に着替えを抱えていた。これからシャワールームへ向かう所だったのだろうか。

「え、い、いいんですか? これ使うんじゃ……」
「ただでは貸さない。拭き終わったら、その後時間を作れ」

 本能的に、ジャックファルのことだろうと察するが。
 同時に胸中で沸き上がった、色のない固まった炎の存在には、気付かない振りをした。






 何か欲しい物はないか。
 猫撫で声で問えば仏頂面が崩壊する。疑いを隠しもしない表情に、先が思いやられるなと密かに呟いた。この周囲に対する無関心さと無遠慮さが、僅かでも和らいでくれたなら。
 アルベルトや自分とはまた違う、腕の良い隊長になれるだろうに。ダンテは眼前の副隊長を通して、過去己が抱いていた青さを省みた。

「何ですか気持ち悪いですね」
「お前のその明け透けな態度、嫌いじゃないぞ」
「それはどうも……もっと気持ち悪くなりました」

 エラントと、ヴィオビディナ襲撃直後に対峙したのがいけなかった。それも、空の上で。
 労りの言葉もないまま、お偉方相手に何の面白味もない聴取を繰り返した。何故撃墜しなかったとこちらを無能呼ばわりする上官も、そう言えばいたように思う。今となっては。

「何ですか、禿げ極めた上官共のいびりに耐えた部下への労いですか。車買って下さい雪道に強いヤツ」
「いいぞ、買ってやる」

 目を丸くする副隊長は、こちらがどうやって今の言葉を覆すのか、野生動物のように全力で警戒している。酷い対応だが、今までの行いを思えば当然だろう。言葉尻を捉え、言葉の綾を存分に悪用し、相手を騙して来た戦歴は自覚している。
 だが今回は濡れ衣だ。胸を張って弁明出来る。
 帰って来たなら何だって買ってやろう。それで労えるなら。車くらい惜しくはない。

「ヴィオビディナへの調査隊、加えて貰うよう志願して来た。まあほぼ間違いなく通るだろう。その間、第二分隊を頼むぞ」

 蛍光灯に照らされた、深緑の髪が揺れる。フアナの髪は春の若葉色だが、この男の髪は、霧が立ちこめた冬の森色だ。
 凄まじい勢いで迫って来たそれを、何故か避けもせず観察してしまい。やっと目が逸れたのは、旋毛に激痛を感じた後だった。


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