第三話「夜明けに染まる風見鶏‐5」


 存在意義の失われた操縦桿を握り、同じくらい固く、瞼を閉じた。
 犠牲が怖いから流れに添うと決めたのだろう。流された先での平凡を目指すしかないと、諦めたのだろう。自分で選択したのにどうしてこうも定まらない。

「スイマセ、――いや、申し訳ありません……」
「お前自身、実際どうなんだ。転属に納得してんのか」
「……納得しなきゃな、って思ってます」
「正直だな」

 届く笑声が、全て嘲笑に思える。駄目だ。かなり悲観的になっている。早く開き直らないと。自分は無能で、一般的で、何かを求められるような人間じゃない。アルベルトやジャンのように、望まれた人材とは最初から造りが違う。

「隊長はどうなんですか? 俺みたいな新米をいきなり押し付けられて、その、何て言うか……」
「めんどくせぇな」
「でっ、ですよねー!」

 負の感情を隠そうと、返答が軽い内容になってしまう。これは何度上官に叱責されようとも改善出来ない。恐らく一生の付き合いとなる悪癖だ。
 意図しない失言に、呼吸が更に激しさを増す。本当にこの酸素マスクは作動しているのか。文句を言わない無機物に、とりあえず鬱憤をぶつけてみる。

「自覚してるだろ? 理解出来ない物に巻き込まれてるって」

 そんな物最初からとっくにだ。皮肉混じりの返答を、言葉に出来るはずもなく。かと言って頷くだけでは後部座席のアルベルトに伝わらない。「はい」と一言絞り出せば、呼応するように機体が上昇した。

「俺だってそうだ。テメェの頭で理解出来ない物が一番めんどくせぇ」

 理解出来ない。それは、フェルディオが第一分隊に配属された理由だろうか。
 精鋭部隊に平凡な人間が混ざる。力ある者からすれば、きっと不愉快極まりない出来事だ。
 未だ顔合わせしていない他の隊員達。彼等から向けられる眼差しには、きっと不快感が詰まっている。

「フェルディオ」
「はい」
「俺はお前の異動を望んだりしてねぇ。上から言われて引き受けただけだ」
「……はい」
「今渡してやれる情報もない。お前にかかる重圧を肩代わりする気なんざ更々ねぇ。うちの隊員になった以上、自分でどうにかする方法を考えろ。答えられることなら答えるし、見本くらいなら見せてやる」

 ――僕はね、必死で無様な子、そんなに嫌いじゃないよ。
 ふと、ジャンの言葉が蘇る。
 どうして、縋り付く隙を与えられているのに、拒絶してしまうのか。アルベルトも、ジャンも、自分の足掻く姿を否定したか。答えは簡単に湧き出て、意地の代わりに涙をせき止めてくれる。
 ここで高らかに「頑張ります」と声を上げれば、成長が見込まれてしまう。
 今まで具体的な発言は避けて来た。こいつならやってくれる、そんな重圧から逃げる為だけの打算を繰り返し、結果それなりに上手くやって来れた。
 これからもそれで良かったんじゃないのか。
 ただ所属部隊が変わっただけ。特異細胞なんてこの目には見えない。周りの人間も、自分を見込んでなんかいない。なら、今までのように、どうとでも取れる曖昧な返事をしてしまえば。

「何でヴェックなんですか?」
「…………は?」
「タッグネーム。さっきジャンさんが教えてくれようとした時、明らかに遮りましたよね? 鶏? と何か関係あるんですか?」
「お前、今それ、」
『アハハハハハ! せっかくカッコ付けたのに、最初に聞かれたのがタッグネームって! 良かったねーヴェック、勉強熱心な新入隊員で!』

 頭の中が破裂しそうで、何の脈絡もない会話を始めてしまった。タッグネーム、確かに気にはなっていたが、今聞かなくてもいいだろう。フェルディオは自身の発言を反芻し、その度大量の汗が噴き出て来た。
 ヘルメットに内蔵されたスピーカーから、ジャンの笑い声が止め処なく届く。

「シルヴィー、何でこっちに入って来るんだ、模擬空戦はどうした!」
『もうすぐ入りまーす』

 シルヴィーはジャンのタッグネームだ。確か由来を教えて貰ったはず。
 だが今のフェルディオに、訓練前の記憶を辿る余裕は残されていなかった。
 背中が寒い。なのに、首から上と胸の中心は燃えそうな程熱かった。
 背後から感じる鋭い視線と痛い程の敵意。どうやらタッグネームの由来は、アルベルトにとって触れられたくない話題らしい。だがその事実に気付いた所で、もう後の祭りだった。
 熱を帯びた耳に、スピーカー越しでなく、直接空気の振動が伝わる。

「ディープ」
「ひぎゃっ!?」
「人に聞くならまず自分からだろ……何でディープって付けられたんだ」
『えーヴェックそれちょっとズルくない? 聞かれたのそっちなんだしさ』
「ディープ!!」
「ちょおおお俺巻き込まないで、いやっ、シープ、シープです! 最初はシープの予定だったんですよ! 臆病者の、羊!」

 暴露して、底まで沈む。
 そうだ、自分は誰もが認める臆病者だろう。猛々しいタッグネームの中で、こんな惨めな由来の者が他にいるだろうか。
キャノピーを突き破ってしまいたい衝動が、混乱と共に湧き上がる。

『……でも今はディープだよね? 何で変わったの?』

 ジャンの追求に頬が引きつる。どうして自らタッグネームの話題を振ってしまったのか。火の粉が降りかかることぐらい、容易に予想出来ただろうに。

「……羊じゃあまりに情けないから……頭文字を、Daybreakの、Dに変えて……」

 夜明け? ジャンの問いが、懐かしい記憶をより鮮明にする。言葉だけ聞けば何でもないが、込められた意味は、臆病者の羊と大差ない。
 下手に自分から会話を切り出してしまった以上、答えなければ。酸素マスクの下で意味なく開閉する唇を、一度強く擦り合わせた。

「ああ、目の色か」

 唇が離れても、結局明確な音は零れなかった。
 夜明け。目の色。単語が繋がると同時、反射的に視線を空へと向ける。

『あーこちらサーバル。ヴェック、順調そうだな』
「おい何で次から次に入って、っシルヴィー! いつまでも笑ってねぇでとっとと行って来い!」

 耳の真上で響く音が、脳内に巡らず後頭部へと流れて行く。
 聴覚も、視覚も、全てが掌握されてしまったようだ。行き場を無くした神経の全てが、視覚へと注がれて行く。



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