三匹の豹


 靴底が乾いた大地を蹴る。手袋越しに伝わる鋼の感触。増した重みは、真横に薙ぎ払えばかなり軽減された。全ての動作が繋がっていて、思考と反射が直結する。脳内で描いた動線は、目指す道標でなく走った軌道の証明だった。組み立てた動作が吟味する間もなく四肢を突き動かす。
 走れ。命じながら足は隆起した岩盤を踏み締めた。跳べ。思った時、体は宙にいた。

「いい加減しつこいっ!!」

 右手の中で柄を一回転させ、杖のように真下へ突き立てながら落下する。足が再び基盤を得た時、剣の切っ先は真っ黒な目標の体内へと侵入していた。
 溢れ出す液体と崩れる肉片に寒気を覚える。これで何度突き刺した。これでも駄目なのか。舌打ちを引き金に黒獣の巨大な体から飛び降りる。

「あーあーお前等いいから退け! 巻き込まれたくねぇだろ、先に避難誘導完了させてくれ! 補充部隊! 喚く暇あったら油運べ!」

 背骨に纏わり付く嫌悪感が、凛とした声に引き剥がされて行く。
 自分と同じ、もしくはそれ以上の動きを見せながら、彼はいつものように雄々しく振る舞っていた。拳を丸々入れる・などと言う下らない一発芸に酷使される大きな口が、今は人々を動かす言葉の出口となる。
 舌打ちが零れる。黒獣に向けた物とは出所が違う。これはただ、真っ直ぐ自分へと帰って来た。

 後ろにいるのは、護衛兵の片割れだ。ギデオーグ・ソラテ。元帥閣下に付き従い、その身の糧となる為の精鋭。
 負った肩書きは同じだと言うのに、何故ここまで違うのか。彼は今、自身と警備兵の身を守りながら、目まぐるしく指示を飛ばしている。
 そして眼前では、黒に塗れた視界の中で、眩い銀色が踊っていた。
 それは彼の人の纏う鎧か、携えた剣(つるぎ)か、生まれ持った髪の色か。もしくは、その全て。帯びた全ての銀が黒獣の群れを走り、一線描く度、黒は地に伏し視界が晴天の青を取り戻して行く。
 今で何匹倒した。銀色を纏ったアッシア・グランセス元帥閣下は、足元を一瞥するとすぐ様黒獣の元へ飛び込んだ。続いて踏み出そうとした右足が、ギデオーグの声によって引き止められる。

「イサルネぇ! 避難完了だ!」

 噛み締められていた唇が、解放と共に弧を描く。この時を待っていた。拭いもしないまま剣を収めれば、鞘の中でごぽりと音が破裂した。黒獣の体液で溢れ返ったのだろう。普段なら不快な音色も、今は沸騰する血液と共鳴するようで、どこか心地良い。
口角を吊り上げたまま緩い吐息に言葉を乗せる。

「アルファル・オ・フォン・ラッツ」

 腰に下げたホルダーから、一対の篭手を取り出した。鉄で作られたこれをはめれば、人間相手なら強力な打撃武器となるだろう。だが、切ろうが折ろうが再生する黒獣相手では、こんな薄っぺらい鉄何の役にも立たない。
 ――そう、薄っぺらい鉄だけ、なら。

「ヤハナキ・ディ・キドゥ!」

 喉が自らの声で焼かれる。発した言葉は、明確な引き金となった。
 手首のベルトから液体が滲み出し、拳に装着した篭手を包む。それは、自らの瞳と同じくすんだ青緑。この世に一つの藍色。両手に宿る鈍い色彩が、鮮やかな闘志を引き立てた。

 左手の甲を右手の掌で包み、左右を入れ替えまた同じ動作を行った。そうすればこの液体は思うがままに姿を変えてくれる。
 生物のように流動した液体は、篭手を倍以上の分厚さに変化させた。確かな眺め、一度深く頷く。
 身を反転させ、流れる空気と共に迷いを振り切る。
燃えるように熱い足を何度も交差させ、一人奮闘する閣下の元へとひたすら駆けた。
 血の色を灯した瞳が、ほんの一瞬向けられる。そしてまた一瞬、微笑みと共に細められた目が、逸る心臓を凄まじい速度で射抜いた。

「お供します、閣下!」

 返事はない。それでも止まることはない。いっそ燃えてしまえと独りごちながら、足に渾身の力を込め飛び上がった。
 黒獣の頭部がブーツ越しに見える。体液の滴る首へ着地すると、そのまま右の拳を振り上げた。巨大化した蟻のようなこの黒獣。硬い皮膚に覆われた頭部より、頚部との繋ぎ目を攻めた方が確実に仕留められる。

「――はぁっ!」

 短く声を吐き、拳を沈める。黒獣の頭部は簡単に切り離され、足場がまた地面へと戻った。何かが引きちぎられる短い破裂音を、深く重く長い轟音がかき消して行く。
 転がった巨大な頭部と、幾つもの繊維を引きずった頚部の切断面。その両方に挟まれた、即座に立ち上がる。
 次の目標に向かい拳を構えた。視界の隅では、未だ銀色が舞っている。

「ヤハナキ・ディ・キドゥ!」

 背後から、またあの雄々しい声に背中を押される。
 ギデオーグもまた、色霊を発動させたのだろう。推測は落ちて来た影によって確信へと変わる。
 頭上を、見慣れた軍服が飛び越えた。人間の物とは到底思えない跳躍力で、ギデオーグは黒獣の元へひとっ飛びで辿り着いてしまう。
 彼の両足は、海のような青で覆われていた。正確には、装着した鋼鉄製の具足――グリーブが、鮮やかな青をしているのだ。
 あの青もまた、彼の身に宿った色霊の色。ただの鉄は、一文の呪文によって異形を貫く神の武器となる。

 如何なる外傷も瞬く間に回復させる黒獣。だが色霊なら、その驚異的な再生能力を無効化出来る。銅のような黒獣の巨躯も、人智を超えた力で打ち払える。
 ギデオーグの右足が、黒獣の腹に突き刺さった。傾き始めた巨躯から目にも留まらぬ速さで離脱し、地に伏したその背を踏み台に宙へと再び舞い上がる。

「とっとと仕留めて、閣下の肩でも揉んでやろうぜ!」
「無駄口叩くな」
「おぉっとぉ!?」

 二匹目の黒獣を踵で踏み倒し、叫ぶように話すギデオーグの頭上を、白銀の剣が走る。ギデオーグの背後にいた黒獣は、アッシアの手でいとも容易く切り裂かれてしまった。
 だがイサルネには、切っ先が何処を向いていたか視認出来なかった。目にも留まらぬ速さ。ギデオーグに抱いた羨望が、アッシアにも向けられる。 自分が一匹倒す間に、ギデオーグは二匹、アッシアは――もう数える気にもならない程、その剣で黒獣を駆逐している。何が違う。奥歯を噛み締め、半ば八つ当たりで眼前の黒獣を殴り倒した。

「ギデ、むしろ閣下に揉んで貰わない? 私肩凝りに凝ってるんだけど!」
「お前っそれ名案!」
「拳骨でいいならいくらでも揉んでやる」

 そう吐き捨てたアッシアは既に身を翻していた。真っ白なマントが風に靡く。とっさに追った。隣では、「それ叩くの間違いだろ」などと呟きながら、ギデオーグが涼しい顔で戦場を駆けて行く。
 銀髪に抜けるような白い肌を持つアッシアは雪豹。黒髪のギデオーグとイサルネは黒豹。多くの時間を三人で過ごす姿に、いつしか周囲はそんな異名を囁き始めた。
 ――何処が黒豹だ。自分はせいぜい、木に登って降りられなくなった飼い猫だろう。出来る、成し遂げられる、そう猛進し尻拭いが出来なくなった情けない黒猫。勇み足で自身を追い詰めておきながら、木の下で誰かが待っているのだと、無責任に安堵している。

 拳を握る。掌の肉が軋み、その下で骨が悲鳴を上げた。
 とっさにアッシアの背後へ回り、彼に向かう爪を渾身の力で殴り飛ばす。真っ黒な爪は千切れ、黒獣は大きく体勢を崩した。

「イサルネ、ギデの無駄口に付き合うなよ」
「閣下は本当に遊び心がありませんね」
「お前等に比べたらな」

 会話に終止符を打ったのは、自らの右腕だった。黒獣に留めを差し、頬に付着した体液を指で拭う。

「終わったら幾らでも構ってやるから。三人いるんだ、さっさと終わらせるぞ!」

 肩越しの言葉。完全に子供をあやす親のそれだ。
 年齢的な問題ではない。人格が、経験が、何もかもが自分の幼さを際立たせる。
 それでも――聞き逃してはいない。三人。未熟な一介の兵が、元帥閣下の戦力に加えられている。
 今更舞い上がったりはしない。戦闘、知略、双方に秀でたアッシアだ。例え剣の持ち方を知らない新米警備兵でも、戦力として必要な働きを与えるだろう。
 そう、今更だ。自分は戦力だ。至らなくとも及ばなくとも、力を持つ元帥閣下の剣なのだ。
 拳を胸の前で突き合わせ、首だけで背後を振り返ってみる。すると、先程と同じように、アッシアと視線がかち合った。二度目とは言え予想していなかった事態に、思わず息が詰まる。

「――任せた」

 浮かぶ笑みに、満ちた自信。その一端に、自分の存在は刻めているのだろうか。
 問う間などない。そんな隙与えられても困る。今出来ることは――歯でも爪でも何でもいい、折れるまで突き立てて、剣のまま朽ち果てる。求める最期はそれだけだ。

「必ずや、御期待に答えてみせます。我等が尊き元帥閣下」



 そう簡単に諦められる訳がない。
 猫にだって牙はある。




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