楽しむコツ
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楽しむコツ

 今日、五時間目に算数がありました。今は少数のわり算の計算をしていてむずかしいのですが、今日の算数は楽しかったです。先生の教え方が物語のようでとてもおもしろかったからです。例えば、わられる数が敵(魔物)でわる方が勇者(自分)だとか、出てきた答えがけいけんちだとか、練習問題全部まちがえたら負けだとかです。
 いやな問題の群れでも魔物だと思って戦えば(とりかかれば)、なんとなく楽しくなってきます。負けてしまったらリベンジしようと自主学習までがんばれそうないきおいです。
「ああ、むずかしいよこの問題」
 ではなくて、
「ああ、この敵はてごわいぞ!」
 ですね。
                        
                        ――十月二十九日



 今でこそ少数の割り算は簡単な計算だ。少なくともXやらシグマやらが出てくるよりもずいぶんいい。しかしこの時は、少数の割り算というと、これは私にとって最も嫌な計算のひとつだった。筆算で計算する場合、まず割る数と割られる数のどちらを記号の外に出して中に入れるのかに頭を悩ませることもあった。たいていの問題なら大丈夫だ。しかし例えば二割る四という問題が出てきた時、違和感を覚え、つい四割る二と計算して整数の答えを出してしまう。そして嫌な少数の答えが出ずにすっきりした気分でいたら間違えていたという、何ともあとあじ悪い状態に陥ってしまうのだった。
 そんなこともあって少数の割り算はどうも好きになれない私だったが、この日の授業は先生の説明がとてもおもしろく、楽しんで計算に向き合えたのだ。あまり知られていないけれども私はファンタジー全般と某ロールプレイングゲームの大ファンである。勇者とか魔物とか聞いてわくわくしださないはずがない。
 自分が勇者で、問題が魔物。
 そう思えば計算もつらくはなかった。レベル・アップするためには修行が必要なのだ。楽ばかりしていたら少しもレベルが上がらないどころか先へも進めない。言うまでもなく、出会う敵には負けまくり、絶望と悔恨の道をどこまでも行くことになる。そんな空しい勇者になる気はさらさらない。勇者である以上、格好良く戦い、襲い来る魔物たちを倒して、壮大な冒険ができる存在でありたい。その思いが私を計算問題に立ち向かわせた。苦手な問題だってそう考えてみればやる気が起きるというものだ。計算ドリルという魔物の巣窟も、そうやって乗り切ることができた。心躍らせながら学べるとはなんという素晴らしい勉強の方法だろう。
 ところで大好きなファンタジーとロールプレイングゲームの世界観を使って、もうひとつだけ乗り越えてきたものがある。それは中学三年生、人生のひとつの難関である高校受験だ。そういうと驚く方もいるかもしれない。驚くというよりもふざけているのではないかと呆れたり私の脳内を心配したりする方もいるかもしれない。しかし私にとってこの要素こそ受験を成功させるための一大要素であり、受験勉強のやる気を起こさせる大切なエッセンスであった。
 その方法とはつまり、レベルアップ表を作るということだった。
 レベルが上がる、ということはゲームのような世界でも、そして現実においてもとても嬉しいことであるというのは想像がつくだろう。先に書いた通りである。私はその喜びを点数化して実際に目に見えるものにすることで、やる気を起こし少しでも楽しんで勉強できるようにしようと思ったのだ。
 方法とルールは簡単。毎週具体的な勉強の目標を考えて、それが達成できたら一レベルずつあがっていく仕掛けだ。目標を机の前の壁にはり、自分で作った一から九までの数字を、その下に取り付けた二本の引っ掛け棒に掛け替えてレベルを表す。運動会の得点板を思い出して下さったらいい。最初はゼロだった数字が、一、二、三……十……二十……と上がっていくのは痛快そのものだった。数字として自分の頑張りが分かる。これは心強い。
 そしてここからがまた、小学生だった私を楽しませた「勇者と魔物」の登場である。そう、私は定期テストや模試を魔王に、受験を大魔王に見立ててみたのだ。なんと子供っぽい、と笑うことなかれ。これはレベルを上げる秘策中の秘策なのだ。強い敵を倒そうと思ったら、レベルが高ければ高いほどその戦いは有利になる。逆に低ければ低いほど戦いは不利になり、負ける確率は上がっていくことだろう。負けたくない。魔王や大魔王に負ける勇者なんてどれほど悲しい勇者なのか。その思いが強まり、受験という最大の敵に打ち勝つために私は日々の鍛錬に精を出した。ここまでくるともはや受験という名の大冒険である。結果、とうとうレベルは四十五くらいに達した。最終的には推薦入試で合格した私だったが、勉強も頑張ったと思える満足感を味わうには十分な数字だった。
 高校生になった今、勉強を好きだと思える人はたぶんあまりいないのではないかと思う。かくいう私ももちろん好きではない。勉強なしにのんびり暮らせたらいいのにと本気で考えてしまうことだってある。
 しかしそこに少し何かを工夫して入れてやれば、楽しんで勉強することだって可能かもしれない、とも私は思う。もしも楽しんで勉強することができたなら、その分だけ効率良く勉強できることだろう。人間、自分の興味のあることはすぐに自分の中に取り込んでしまえるものだ。
 そう思いながら、私は自分を励まして勉強し続ける。
 楽しみ方に違いはあれど、今も私は少しおかしな勉強をすることがある。なんせ、六十度と三十度の直角三角形の比を「に(二)い(一)さんルート(ルート3)忘れてない?」と覚えたり、化学の硫酸イオンを「そう(SO)、竜(硫酸イオン)は西(2、4)に去る(イメージからマイナス)」と覚えたりするような奴である。こんな風に覚え方を考えるのは楽しい。そしてこの方法で覚えたものは、ちょっとやそっとでは忘れない。それは今の私の勉強を楽しむひとつの方法である。
 工夫をして勉強を楽しむこと、それはまさにこの小学五年生、十月二十九日の算数の時間に私が得た大きな成果だった、そう言えるかもしれない。



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