あとがき H27.9.5
- ナノ -


あとがき H27.9.5

 あの日、たしかに自分が書いたことなのに、忘れている。あの日、たしかに自分が思っていたことなのに、覚えていない。そんなことは、実はけっこうよくある。
 『つれづれなるままに……』を読み返しながら、つくづくそう考えていた。たとえば、前回の『先生の配慮』のあとがきで、書いた文章を誰にも見てもらわないのでは文章をつづる意味が半分以上失われてしまう、というようなことを書いたが、『書くということ』を読んでいると、ああそれだけじゃなかったんだよなあ、あのときの私はそれをよく知っていたんだなあ、と、かえって新鮮な気持ちになった。
 わりと、こういうことがある。大切な思いや考えはこころの中にしっかりと保存しておこうとするのだが、月日が経つと取りこぼしやすい。感じ方や考え方が変わったときには、昔にどう思っていたのか、わからなくなることもある。そんなとき、その当時に書いたものがあると、記憶を復元できる。これが、書き物をするということのよい点のひとつなのだ。なかには、昔自分が書いたものなど見たくもない、というかたもいらっしゃるとは思うが、私自身は自分の書いたものをよく読み返す。そして現時点での自分の考えとか思いを書き残す。
 『書くということ』に限らず、忘却のかなたに消え去っていた思いはかなりいろいろとあった。でも、それと同時に、ああいまでも変わっていない、このときの考え方や感じ方、経験が、いまの自分の基礎になっているなあと思うものもたくさん見つかった。それはそれでおもしろいものである。とくに『目をそらさずに』は、後日、サイトのほうにも置く予定の『大切な、あなたたちへ』という書き物へと続いてゆき、現在の私を形作っている。  
 根のほうでよく見せたがりの面も持つ私だから、文章にもそれが表れて、自分の弱いところとかどうしようもないところとかを書こうとすると、どうしてもごまかしてしまおうとするちからが働くことが多かった。その結果として、表現に流されたり、ことばに惑わされたりすることもいろいろと増えてしまっていたのだろう。そんなふうにしてものすごく書きづらい自分の弱い面を、なんとかして素直に書き記したものが、『目をそらさずに』『大切な、あなたたちへ』という書き物なのだ。これを乗り越えることによって、「書くことがとても恐ろしくなることがある」というようなこともまた、克服していった側面がある。文章表現にふりまわされずに自分の思いを述べたり、装飾しない率直な気持ちを記したりする技術と心構えが鍛えられた、という気がしている。
 ちなみに、『そんなときだからこそ』の内容は、現時点では完璧に板についた。板についたのだが、それはそれで、また新たな壁が出現している。人生、なかなかうまくいかないものである。さて、今度はどの角度から、壁を切り崩していこうか。
 過去はどれだけ思い起こしてももう戻ってはこないし、過去の自分には、戻りたくてももう二度と戻れない。しかし、現在の私はまちがいなく、過去の自分を引き継いでいる。  
 過去があるからこそ、現在があるのだ。
 そう思ったときに、過去という時間のやさしさと強さを感じる。過去は現在を支えてくれる。過去を大事にできるならば、現在もまた、輝いていくだろう。そして現在を大事にできるならば、未来も輝いていくかもしれない。
 書き物は私にとって、そんな過去と現在と未来をつないでくれるものでもあるのだ。
 きっと。


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