みょうじも俺に気を許し過ぎているから、こんなに近くにいんのに本気で嫌とは言ってこない。
酔ったみょうじによって見せつけられている素肌の背中へ手を伸ばす。さらりとした肌の触り心地はなによりも気持ちよく頬を寄せた。酔って眠っているとはいえ無防備な姿をさらけ出したのは自分なんだから、このくらいは許してもらわなないと困る。
しかし、すっかり癒えてはいるが、背中には一生消えないケロイドの痕が残り見栄え的にキレイとは言いがたい。が、それを悪いとも思わない。
唇を寄せてその傷をなぞりながら、色を失った世界に浮かぶ赤い血を思い出すように一つ痕を残しておく。気付かれはしないだろうし、気付いたらそれはその時で。でも、今までだって一度たりとも気付かなかったんだから、きっと、今日も気付かれない。
「どうして私は一番になれないんですか」
夜勤明けだからまだ早すぎる朝。部屋着でもラフな格好でもなく、目の前の女は告白してきたあの日と同じ花柄のスカートを履いていた。あの日もひらひら揺れる軽い裾が可愛いと思った。
夜勤明けで疲れてこの女の家へ立ち寄った。自分の部屋へ戻るよりもこいつのアパートのほうが本部からは近く、確か今日は講義が入っているはずだし、いなくなるなら寝るのにちょうどいいと思ったから。
出迎えた女は泣き腫らした顔で膝を抱え、当り散らすように俺へ物を投げつける。手元の物がなくなると、最後にテーブルへ投げ置かれたのは女の携帯で、画面には本部での俺とみょうじ。この席には出水と唯我もいたし国近もいたが、見事に俺とみょうじだけ。上手く盗撮されてんじゃん。送って欲しい。
さて、この女とは付き合ってひと月ちょっとあったかな。ボーダーにいる時以外かいがいしく世話を焼いてくれるのは有り難く、文句も言わず時間の合う時は寝食を共にしてきたはず。
それと同時にみょうじからは意味もなく避けられるようになった。取っている同じ講義もみょうじは離れた席に座る。カフェテリアでも理由をつけてはいなくなって。そのくせ本部ではいつも通り話しかけてくるし一緒にいることが多い。
今までも彼女ができるたび避けられることが何度かあった。別れたらすぐにまたいつも通りに戻るのだが、もどかしくないわけなかった。みょうじに避けられるために彼女を作っているわけじゃない。ただ、“普通の友達”でいるためなのに。
「私、慶先輩のこと一番好きだって自信があります! 慶先輩のためならなんだってしてきたし、慶先輩に気に入ってもらえるよう努力もしてきた! なのに、どうして私じゃなくてみょうじ先輩が一番なんですか!?」
みょうじが俺に望んでいるのは友達であって彼氏ではない。
「どうして、私のこと本気になってくれないんですか?」
「じゃあ別れよ」
鬱陶しく並ぶ“どうして”ばかりに答えるのは面倒くさい。俺でさえ答えを持ってねーんだ。押し付けられる好きもここまでくると重いだけ。
それにきちんと一番最初に言った。『いいよ、付き合っても。――でも俺があんたに本気になることはない』って。
「なんでっ……!」
「なんで? お前には本気になれないからだってはっきり言ったほうがいいのか?」
「そんなのっ、……あの人と付き合ってるって、言われた方がまだ救われるじゃない」
絶望に消え入りそうな声。涙を流しながら引きとめようと訴える姿に一つもそそられない。セックスは悪くなかったのにな。どこで間違えたか。忍田さんが「日々繰り返し鍛錬だ、慶!」と言っているが、継続とか維持するって難しすぎるだろ。
いくら周りにみょうじと付き合えと言われても、無理なものは無理。壊そうと思っても全然壊れない友情なんだから。
「それでいいぜ。付き合ってるってことで」
俺とみょうじが付き合っていることで自分の気持ちが納得するなら好きにしたらいい。引きとめる手を振り払ってこの女との終わりがくる。
外へ出たら雨が降っていた。傘なんてものは持ってないし改めて買うのも面倒で。何より眠たい。今日はひどく疲れた。
始まりがあっけなければ、別れもあっけない。それでも多少は傷心しもする。自分が悪いことなんてわかりきっているから余計に。
ああ、俺が悪くないときなんて、あったかな
こんなこと考えるのもアホらしい。結局足が向くのは“友達”の家。
「太刀川!?」
「ん?」
「どしたの? びしょ濡れじゃん」
「帰ろうとしてたら雨降ってきたからみょうじんちきた」
「理由になってないよそれ」
差し出されたバスタオルは特に温度なんてないのに温かく感じる。なんでうちに来たのかとか、自分ちのほうが本部からなら近いでしょとか言われるのを黙って聞いてたら、溜息を吐いてみょうじもなにも言わなくなった。
なんで来たか、なんでお前はわからないんだ?
濡れた服を剥ぎ取られみょうじのスウェットを着させられ、ドライヤーで髪を乾かせられたら布団に押し倒される。喜ばしい状況のはずも、今手を出したら追い出されかねない。それでも、そばにいたい。
「寝なさい。夜勤明けでしょ?」
「添い寝してぇ〜」
「私講義あるから出るけど、鍵は夜返して」
可愛く甘えてみたのに効きゃしねえ。呆れた顔で頭まで布団掛けられた。なんだ、今日は夜にまた会えるのか。
「……どうかしたの?」
「なにが?」
「なんか、元気ないでしょ」
「そうみえる?」
「みえるみえる。友達だからわかるわよそのくらい。なにか知らないけど、聞ける話なら聞くよ?」
「…………そーだなー」
「とりあえず今は大人しく寝たら?」
くすくすと笑う声が聞こえ、布団の上からぽんぽんと叩かれて早く寝ろと促される。そんなことされなくてもすっかり瞼は重たかった。
友達でもなんでもいい。この布団の中は一人じゃないみたいに温かい。
その日の夜本部ですったもんだの末、数日後にみょうじとデートに行くことになった。デートといっても、いつもと同じでなにも変らないだろう。最近はなかったけど、付き合っている女がいない時は二人で買い物に行くこともまぁまぁあった。
なのに、ちょっとした悪ノリとテンションで決まった話だったのに。バカみたいに浮かれてんなぁ俺。
「なまえ」
もう二度と冗談でも呼べないのかと思っていた。泣かせてしまうことも、思い出してしまうきっかけにさえもならないのだとわかれば、調子に乗って何度も呼んだ。
きっとあの日の事はこいつの中から完全に消え去ってしまったのだろう。消えたほうがいい。クソみたいな出来事は俺だけに特別なままとっておく。
今は友達の太刀川慶とみょうじなまえでなくていい。
名前を呼んだら振り向いて笑ってくれることが、俺にとってどれだけ嬉しいかお前には一生わからないだろうな。
国近チョイスだと言っていたいつもと違う服装が可愛くて、手を繋いだら握り返されるのが嬉しくて、次第に楽しそうに笑うのが俺も楽しかった。
「でも、私となんてつまんなかったでしょ……け、慶は」
これでもかってほど浮かれてんのに、なまえはさらに俺へ空気を吹き込む。あの時と同じように柔らかくて甘くてくすぐったい。なぁ、それわざとやってんのか? ずっとずっと待ち望んで、今日初めて、やっと呼ばれた。焦らし上手じゃねえか。
照れくさそうな表情や恥ずかしさで戸惑う瞳をじっと見つめながら、やっぱりなまえとは“この関係”がいいと思わずにはいられなかった。俺には他の誰でもダメだった。友達でいるのももうダメそう。悪い。
唇どうしが触れて初めて自分の唇が乾燥していたことに気付く。俺のが乾燥してるんじゃなくてなまえの唇が潤ってんのか。奪い取るように何度も何度も食んでいたら、びくりとなまえの体が揺れる。次の展開が読めてはいたけど止めようとは思えない。
最近生身で痛みを感じることなんてなかったもんだから、ぶたれた頬はやけにじんじんと疼く気がした。
「お前と“そんな関係”になりたい」
手が繋げて、キスして、名前で呼んでも嫌な顔されない関係。友達よりも彼女よりも今までよりももっと近い関係になりてえ。